灰色の牙、剣を持つ日
この物語は、言葉を知らず、獣のように生きていた少年が、剣士としての道を歩み始める物語です。
彼の名はアッシュ。灰の森での孤独な日々から、王女リュシエルとの出会いを経て、やがて牙を持つ者としての“証”を刻んでいきます。
これは、言葉なき者が言葉を紡ぎ、生きる意味を問いながら成長する旅の記録。
過酷な修行と試練を乗り越え、やがて訪れる“変革の序章”までを描いた物語です。
――それは、深い森の中から始まった。
幾重にも茂る樹々の影、苔むした岩々、冷たい風と湿った土の匂い。
その奥で、灰色の瞳の少年は、ひとりで生きていた。
名を持たず、言葉を知らず、ただ“飢え”と“生”だけを糧にして。
だがその日、ひとすじの光が差し込んだ。
森を越え、王女リュシエルの一団が現れたのだ。
グリムヴォルフ――その大狼が、低く咆えた。
少年を護るように、兵士たちに牙を向ける。
兵士たちが剣に手をかける。だが、リュシエルはその前に立ち、静かに膝をついた。
「……ありがとう。あなたが、彼を守ってくれていたのね。」
その声は柔らかく、どこまでも澄んでいた。
狼はしばし彼女を見据えたのち、低く鼻を鳴らし、森の奥へと姿を消した。
こうして、少年は“アッシュ”と呼ばれる存在として、森を出た。
王女の指示で用意された担架には乗らず、アッシュは自らの足で歩いた。
森の外れまでは兵士に囲まれ、そこから王国の道へと進んでいく。
途中、一行は古びた薪窯跡のそばを通りかかった。
地面には、黒く焦げた灰が厚く積もっていた。
風が吹き抜け、灰がふわりと舞い上がる。
その瞬間、少年の足が止まった。
舞い上がる灰をまじまじと見つめるその姿に、リュシエルは何かを感じた。
灰は、彼の髪や衣を覆い、ひととき全身を包み込んだ。
「……アッシュ。」
少女は呟いた。
灰の色。灰の名。そして、焼け跡に咲く命のような――
「あなたは、ここで生き延びてきた。焼けた森のなかで、それでも……」
言葉を止めたリュシエルは、彼に向き直り、柔らかく微笑んだ。
「……灰は、燃え尽きた後に残るもの。でもね、それは終わりじゃない。
灰から始まる命も、あるのよ。」
彼女はしゃがみ込み、少年の目を見つめる。
「“アッシュ”。あなたの名前よ。今日から、そう呼ばせて。」
当然、その意味は届いていない。
だが、少年はほんのわずかに、首を傾けた。
灰が舞う中で生まれた名。それは彼にとって、初めての“言葉”だった。
やがて、森が開ける。
目の前に現れたのは、王国の外縁――ラフレスの丘陵。
そこから見えるのは、深緑に囲まれた小さな都だった。
水の音が聞こえる。
川が幾筋も走り、畑と段々の茶園が広がっていた。
木造と石組みの素朴な家々。遠くに見えるのは、一本の高い塔――
古代から残る観測塔“リーデンの杭”。
豊かな緑と水に恵まれ、作物はよく育つ。空は澄み、鳥のさえずりが絶えない。
だが、王都と呼ぶにはどこか頼りない。大通りに市場もなければ、騎士の駐屯地も粗末な板壁造り。
“平穏な田舎”――それが、この国の正直な印象だった。
華やかさもなければ、異国の香りも届かない。
だがそこには、確かな“安らぎ”があった。
リュシエルはその景色を見下ろし、小さく息を吐いた。
「……ここから始めましょう、アッシュ。」
傍らの少年は、その言葉の意味を理解せず、ただ空を見上げた。
彼の瞳には、初めて見る空が映っていた――森の梢の向こうに広がる、世界の空が。
アッシュの旅はまだ始まったばかりで、彼の剣と牙はこれからも試され続けるでしょう。
もし物語が少しでもあなたの心に響いたなら、それは何よりの喜びです。
次作ではさらなる成長を描いていく予定ですので、どうぞご期待ください。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。