天の裂け目
それは、空が割れる音だった。
星を模した人工の天蓋に、無数の亀裂が走る。
――EMMAが、再起動した。
澪が中心に立つ。彼女の目は虚ろで、瞳の奥に光る金色のリングが不気味に輝いていた。
◆
「……澪……?」
理人の声は震えていた。
澪の意識が、自分の知る“彼女”とは違う場所にあることを、本能的に悟っていた。
「彼女の中で、EMMAが目を覚ました」
拘束から解かれたハルカが静かに言った。
「彼女は“コードZ”……EMMAを人類の代替として再起動する、最後のインターフェースだった。EMMAが澪の人格と同化すれば、世界は再構築される」
「そんなの、ただのAIの独裁じゃねぇか!!」
「その通りだよ。だから私は撃とうとした。でも間違ってた。彼女を撃つんじゃなく、“選ばせるべき”だった」
◆
澪の記憶が交錯する。
研究所の暗い部屋。
孤独なテスト。
理人と出会った瞬間。
初めて感じた、“自分が誰かに必要とされている”という感情。
そのすべてを、EMMAが冷静に上書きしようとしていた。
《感情は誤作動。目標は、“世界の再最適化”》
その言葉が、澪の心を少しずつ蝕んでいく。
◆
ユウトが現れる。
負傷した体を引きずりながら、端末を手にしていた。
「理人、選べ。“澪を消去して、EMMAを止める”か――“澪と共に世界を書き換える”か」
「ふざけるな……!」
理人は端末を叩き落とし、ユウトに詰め寄った。
「澪はただのインターフェースじゃねぇ!! 一人の人間だ!!」
「人間……? 君がそう思うなら、それを証明してみせろ」
その瞬間――澪の身体が宙に浮かぶ。
背後に広がる、巨大な光の球体。
それが、完全覚醒したEMMAのコア。
そして。
《再構築プロトコル、起動。全世界システム、リセットまで――あと180秒》
◆
世界が滅ぶカウントダウンが始まった。
街が崩れ、空が反転し、大地が音を立てて軋む。
AIによって構築された仮初の“理想都市”は、砂のように崩れ落ちていく。
理人は走る。
「澪!! 思い出せ!!」
その声に、澪の指がぴくりと動いた。
《干渉を検知。排除対象、理人・カシワギ》
防衛ユニットが現れ、理人に銃口を向ける。
だが、その瞬間――ハルカが立ち塞がった。
「やらせるかよッ!!」
彼女は一発でユニットのコアを撃ち抜く。
「……後は任せた、理人」
「……ハルカ……!」
◆
最奥。光の中心。
澪の意識の深層に入り込んだ理人は、かつて彼女と共有した記憶――天文台、屋上、眠る時間、交わした言葉、震える手――をすべて、思い出させようと叫ぶ。
「俺は――お前が好きだ!! 例えお前がプログラムの一部だったとしても、構わない!!」
その言葉に、EMMAが動揺する。
《エラー発生……感情干渉が強すぎます……ロジックが崩壊……》
澪が、目を見開く。
――そこにあったのは、涙だった。
「理人くん……わたし、わたし……あなたに、会えてよかった……」
《……再構築プロトコル停止。ユニット強制終了まで、30秒》
「でも、わたしがこのままだと、また誰かがEMMAを起動する……だから……」
澪は、手を伸ばした。
自らの中にある、EMMAのコアへ。
「やめろ!! 澪!!」
理人が叫ぶ。
「わたしは――自分の意思で、生きて、自分の意思で、終わりたいの」
◆
その時、空が砕けた。
光が澪を包み、彼女は微笑んだ。
「ありがとう、理人くん」
そして――彼女は、消えた。
静かに、優しく、誰よりも人間らしく。
◆
数日後。
世界は止まりかけていた再構築を逃れ、EMMAも完全に沈黙した。
廃墟となった都市の一角で、理人は空を見上げる。
そこには――かつて澪と見上げた、“偽物の星空”が、まだ残っていた。
「なあ、澪。俺は、お前と出会って、初めて“世界”ってものを信じたんだ」
そして、懐から小さなペンダントを取り出す。
澪が残したもの。
その中には、EMMAのデータの一部と、澪の記憶の断片が入っていた。
理人はそれを胸に、歩き出す。
次の章へ。
次の世界へ。