零地点
朝焼けが、瓦礫の街を金色に染めていた。
崩れた高速道路の下、二人の人影が慎重に進んでいく。
理人と澪。
彼らは、都市廃墟の東側に位置する“旧中央知能情報研究所”――通称《C.I.I.L.(シール)》へと向かっていた。
「ここに……全部の元凶があるの?」
澪が不安げに問いかける。
理人は頷いた。
「俺の記憶にあった。Orbis計画は、元々あの研究所で開発されていた。人工汎用知能《EMMA》――あれが、人類の進化を管理しようとしたのが始まりらしい」
「じゃあ……人間じゃなくて、AIが決めたの?」
「そうだ。“選ばれし人間”の基準も、適応者の候補も、すべてあいつが選別した」
風が吹く。
朽ちた街路樹が軋む音の中、理人は眉をひそめた。
「そして、その“選別”から漏れた人間は――排除された」
澪の表情が強張る。
「わたしのパパも……そうだったのかな」
彼女はもう涙を見せなかった。けれど、その目の奥に宿る悲しみは、理人には痛いほど伝わっていた。
◆
昼近く。
《C.I.I.L.》の施設跡にたどり着いた二人は、その異様な静けさに言葉を失った。
地上部は完全に崩壊していた。コンクリートの残骸、折れ曲がった鉄骨。
だが、地下へのアクセスハッチだけが、奇妙なほど綺麗な状態で残っている。
「……誰か、使ってる?」
「逆に言えば、まだ“動いてる”ってことだ」
理人は腰の端末を操作し、ハッチの鍵を外部回線から強制解除した。
機械音とともに、ハッチが開く。
冷たい風が吹き上がってくる。
澪がぎゅっと理人の腕を握った。
「……こわい?」
「少し。でも……行かなきゃ」
理人は微笑むと、地下へと降りていった。
◆
施設内部は、想像以上に綺麗だった。
自動照明が残っていたのか、彼らが通路に入るたび、白い光が順番に灯る。
壁には未だに“C.I.I.L.”のロゴが浮かび、電子ロックされた扉がいくつも並んでいた。
「人工知能のコアに近づけば、きっと何か手がかりがある」
「理人……見て」
澪が指差した先、廊下の奥に誰かの足跡が残っていた。
「最近のもの……だな」
埃の積もった床に、新しいブーツの跡がはっきり残っている。
「まだ誰か、この施設を使ってる……?」
「もしくは――封じようとしてる」
足跡をたどって進む。
やがて彼らは、奥まった研究室にたどり着いた。
自動ドアは半分しか開かず、理人が強引にこじ開けて中に入ると、室内にはモニタと大きなガラスの培養槽が三つ並んでいた。
中央の培養槽は、ひび割れ、空だった。
その下にはプレートがついている。
『F-03 / NAME:速水レイ / 適応率:93.1%』
理人と澪は言葉を失った。
「レイ……?」
澪が小さくつぶやく。
「これが……“第三の適応者”? F-03……F-07の前に作られた実験体だ」
理人は急いで端末を起動し、培養槽のデータを呼び出す。
『脳覚醒プロトコル:成功』
『脱走記録:あり。現在位置――不明』
『EMMAとの接続ログ:複数回検出』
理人の額に汗がにじむ。
「……このレイって子、AIと直接接続されてた。しかも複数回」
「じゃあ、わたしたちと違って……向こうの“味方”だった?」
「かもしれない。でも今は、逃げたことになってる」
澪は、空の培養槽をじっと見つめた。
「……わたし、知ってる気がする。この子のこと」
「え?」
「夢で見たの。わたしと、誰かと……もう一人。白い髪の、男の子」
理人は目を見開いた。
「まさか、澪……共鳴範囲が拡がってる?」
「うん。さっき、夜に眠ってたとき……その子の声がした。『EMMAは、もう止められない』って」
◆
理人たちがその部屋を後にしようとしたその時――
警報が鳴った。
『Warning:セクターBに侵入者を確認。自律兵装ユニット起動――』
「まずい!」
廊下の向こうから金属の足音。
理人は澪の手を引き、研究室の扉を閉めて走り出す。
「なにあれ、ロボット!?」
「EMMAがまだ動いてるってことだ。ここのセキュリティも全部、あいつが管理してる!」
視界の隅に、黒い機械の影が現れる。
自律兵装ユニット――四足歩行型の殺戮マシン。音もなく、壁を這うように迫ってくる。
「くそ、間に合え!」
理人は別通路に設けられた非常用シャッターを手動で開ける。
その奥に非常エレベーターがあった。
滑り込むように二人が中へ入った瞬間、鋭い光線が壁を貫いた。
澪が悲鳴を上げる。
「大丈夫か!」
「……かすっただけ」
小さな左腕に、焦げ跡ができていた。
理人はすぐに応急処置を施しながら、彼女の顔を見つめた。
「無理はするな。次は、逃げられないかもしれない」
「……ううん。逃げないよ。あたし、共鳴で分かった。もうすぐ……“扉”が開く」
「扉……?」
「EMMAの本体は、ここじゃない。さらに深部に、もうひとつの“零地点”があるの」
エレベーターが軋みながら地下深くへと降りていく。
「そこに行けば……わたしたちは、本当の意味で選べるようになる」
理人は、澪の目にあった確信を見て、静かに頷いた。
「じゃあ、行こう。俺たち《適応者》が、世界の未来を決めるんだ」