そこにあったはずの思い出にて君と逢う。
時雨ちゃんの仕事は週に五、六日。朝八時に家を出ていって、午後十七時に帰ってくる。当然その間、私は一人だ。朝、時雨ちゃんが仕事に行く時、予め外に出るかどうかを決めておく必要がある。だって、この家には合鍵が無い。ここは田舎で、たった数分程度家を空けたとしても、泥棒が入ってこないという確証は無い。
「今日はどうする?」
「外で時間を潰してくるよ」
「そっか。じゃあ、十七時までには帰って来いよ? ついでに仕事も探してこい」
「うん、十七時までには帰るね」
「後半部分は聞こえなかったようだな。じゃあ、行ってきます」
「いってらっしゃい」
軽トラに乗ってノロノロと走り去る時雨ちゃんを見送ってから、私も出掛けた。
生まれ育った故郷を散策だなんておかしな話だ。幼少期から中学までの記憶は正しく頭の中に保管されている。何処を通って、何処を曲がれば、何があるのかさえ憶えている。
しかし、たった五年離れただけで、その記憶が間違っていると錯覚してしまう程に変わった。人の数も増えたし、コンクリートの建物や、車の通りも多くなった。故郷が限界集落のようにならなくて安堵している気持ちと、私の思い出が消えていく悲しさがある。
ここだってそうだ。昔、私達がまだほんの小さかった頃、集まって遊んでいた公園。ブランコや砂場、一本だけ生えた桜の木の下で輪になってお昼寝もした。
現在、そこは駐車場になっている。土の地面はアスファルトに変わり、遊具は撤去され、あの桜の木は跡形も無く消え去った。朝だからか分からないけど、駐車場の利用者が多いわけじゃない。それなら、あの公園をそのままにしてほしかった。桜の木の下には、私達が埋めたタイムカプセルがあったのに。
「……私が離れた所為なのかな」
私がここを離れようが離れまいが、結果は変わらないだろう。でも、もし私が残っていたら、ここは元の公園のままだったのだろか。
「あの」
駐車場の入り口前に立っている私の前、駐車場の出口側に立っていた女の人が私を見ていた。背が低く、腰まで伸びた長い髪が特徴的だ。彼女は指の背で眼鏡の小さなズレを直すと、顔を前に出しながら私を凝視してくる。
しばらくすると、彼女は笑みを浮かべた。トコトコという足音が似合いそうな小走りで私の目の前まで来ると、私に抱き着いてきた。
「え、え? ど、どうしたの?」
「夢じゃない……夢じゃないんだ……!」
人見知りな印象から察するに、見知らぬ人に抱き着くとは考えられない。となれば、きっと私の事を知っている人。そして私と交友がある人物、つまり友達。小さな体と小さな声。長い髪。可愛らしい動き。
私の胸に頬ずりする彼女と、記憶にある友達の一人が直結した。
「音々? 音々だよね!?」
「憶えててくれたんだ……! 嬉しい……霞ちゃんの匂いだ……!」
思い出の公園があった場所で再会出来るなんて、凄く感動的。しかもその相手が音々だなんて、凄く嬉しい。音々とは同い年だけど、小さな体な事もあって私の妹みたいな存在だ。記憶にある音々と、今の音々は、少しだけ大人っぽくはなってるけど、あまり変わっていない。愛らしさは変わらず健在だ。
私達は場所を変え、使われなくなったバス停のベンチに座って話をする事にした。昔はここで雨宿りをしていたけど、木造のバス停はボロボロで、雨宿りが出来る状態ではなかった。ベンチの端には錆があるが、まだ座れる。
「霞ちゃんだ……妄想じゃない本物の霞ちゃんだ……!」
「なにさそれ。この通り、私は正真正銘本物の霞だよ。音々は、音々のままだね」
「高校生になったら伸びると思ってたんだけど、全然背が伸びなかったよ……」
「駄目駄目! 小っちゃくて可愛いのが音々なんだから! 大きくなっちゃ駄目!」
「エヘヘ……! 霞ちゃんがそう言うなら、このままでいいや……!」
音々は頭を撫でる私の手を小さな両手で掴み、自分から頬を撫でさせにきた。これ以上に可愛い存在を私は知らない。彼女は人の形をしたチワワだ。
「ねぇ、音々。音々はどうしてあそこを通ったの?」
「行きつけの本屋さんの通り道なんだ……。あそこは、今は駐車場になってるけど、私と霞ちゃんの思い出が詰まった公園があった場所だから……。いつも通り掛かる時、思い出すんだ……。そして今日通り掛かったら、本物の霞ちゃんが立ってた……!」
そう言って、音々は満面の笑みを向けてきた。なんて愛らしいのだろうか。ヒマワリ畑に連れて行って写真を取りたい気分だ。
しかし、音々と会って話して、改めて思う。久しぶりの再会というのは、まさにこれだ。時雨ちゃんの時は怖かったし、胡桃ちゃんの時はアダルトだった。こうして昔を思い返しながら今を語る事が、どれだけ嬉しいか言葉では言い表せない。
「ねぇ、霞ちゃん……。霞ちゃんは、何処に行っちゃってたの……?」
「ん? 別に、大した理由じゃないよ」
「聞きたいな……!」
「ん~、そこまで求められたら仕方ない! でも、笑ってくれる?」
「うん……! 笑わな―――え?」
「約束してくれなきゃ話さないよ?」
「や、約束する……! ちゃんと笑うから……!」
「よろしい! それじゃあ教えてあげる!」
「うん……!」
「洋画に出てた女優さんに会いにアメリカに行ってた!」
「……」
おかしい。笑い声が聞こえてこない。音々なら笑ってくれると期待してたんだけど、全然笑ってくれない。
横目で音々の様子を伺うと、音々は静かに涙を流していた。
「え、え!? ど、どうしたの!?」
「……だ、だって……! 私はてっきり、私に嫌気が差して別の場所に行ったかと思ってたから……!」
「嫌気!? そんなわけないじゃん! だって、音々だよ!? ポケット一杯の宝石を渡されても、音々を選ぶよ!」
「でも、五年もいなくなっちゃったじゃん……」
「ぐっ! ま、まぁ、あの時は抑えきれぬ情熱に体を乗っ取られたと言うか……とにかく! 現に私は今、音々の隣に戻って来たでしょ!? だから、ね? 泣き止んで?」
音々の顔を胸に抱き寄せ、背中をさすった。それで落ち着いたのか、音々は私の背に腕を回し、私の胸に顔をグリグリと押し付けてきた。少しくすぐったいけど、不安にさせた気持ちを拭えるのなら気にもならない。