記憶に根付く謎
布団の中に忍ばせた湯たんぽの効果がようやく現れ始めてきた。部屋の数からして仕方がないとはいえ、アタシの部屋にだけストーブが無いのは辛い。今年の冬はいつもよりも寒くないとはいえ、夜になれば流石に冷え込む。これで雪が降り始めてくると、いよいよマズい。
まぁ、心配する事はないか。どうせ近い内にここを出ていくんだから。
瞼を閉じて眠ろうとした矢先、部屋の扉からノック音がした。次の日になるって時間に一体誰だ。ようやく暖かくなってきた布団から出る気にならないし、寝たフリをして無視しよう。
二度目のノック音が鳴ると、少し間が空いた後に部屋の扉が開いた。部屋に入ってきた誰かの足音が近くまで来ると、アタシのすぐ隣で止まった。閉じていた瞼を開くと、膝を抱えてアタシを見ている霞がそこにいた。
「霞……どうした?」
「眠れないんだ……眠くならないの」
「随分騒いだしな。まだ興奮が収まってないんだろう」
「そういうのじゃ、ないと思う……」
「歯切れが悪いな。何か悩んでるなら言ってみろよ」
「どうして私は時雨ちゃんの記憶しか無いの?」
暗闇の所為か、嫌味のように聞こえた。
「……信じられないかもしれないが、少し前のお前は、おかしくなってたんだ。それでそれを治す時に、記憶が無くなっちまったんだ。アタシ以外の記憶が」
「どうして時雨ちゃんだけが残ったの?」
「それは……自分で言うのも恥ずかしいが、アタシは霞の中でかなり根付いた存在らしい。友人としてな」
「……それって、本当かな?」
「どうしちまったんだよ。さっきまであんなに楽しんでた奴とは思えないぞ」
「そうだね。私も分からない。あんなに楽しかったはずなのに、今はまるで暗い深海に沈んでるみたい。凄く虚しいの」
様子が変だ。アタシが霞の友達でいる限り、おかしくならないはずだ。それとも、やっぱりあのノッポの魔法使いが言ってた言葉は嘘だったのか?
体を起こして、霞の肩を掴んだ。服の上からでも分かる程、霞の体温は低下している。それなのに、全く震えていない。寒さを感じていないのか、あるいはこれが霞の体温なのか。
「ねぇ、時雨ちゃん。私は酷い人間なのかな?」
「何を言う。そんなわけないだろ」
「だって、記憶が無くなったって事は、時雨ちゃん以外の人の記憶もあったって事でしょ? それなのに、私はその人達の記憶が無い。あの三人だって、あっちは私の事を憶えているのに、私は全く憶えてない」
「だからそれは―――」
「友達だったとしたら、どうして三人の記憶を忘れちゃったんだろう。どうして同じ友達のはずなのに、時雨ちゃんだけを憶えてるんだろう」
言われてみて疑問が浮かんだ。どうしてアタシだけが、霞の記憶に残っているのだろう。一番最初に友達になったのはアタシだ。でも、それだけで記憶に残るものだろうか。
記憶に根付いている。それはつまり、忘れたくても忘れられない記憶。当てはまる一つの言葉が浮かんだ。
その言葉は【トラウマ】だ。そしてそのトラウマの正体はアタシ。
だが待ってほしい。アタシは霞に対して、一度も酷い事をした覚えはない。確かな自信もある。
「……なぁ、霞。霞はアタシの事が嫌いか?」
「嫌いなわけない。大好きだよ。もしかして、嫌な風に聞こえてた?」
「いや、そうじゃなくて。少し確かめたくて。確かに霞が言ったように、何故アタシだけが残ったんだろうな。友達としてなら、アイツらだって同じだ」
「初めて友達になったから、とか?」
「それだけじゃない気がする。そもそも、あのノッポの魔法使いがお前にした事を完全に理解出来ていない。アイツはお前の心を消して、窮屈だった中身を解消した。でも、それが出来るなら、他の奴を残す事だって出来たはず」
「その人って、何処にいるの?」
「……分かんねぇ。知ってるとすれば、遠山楓だ……よし、今から聞きに行こう!」
「今から? もう夜遅いよ?」
「お前だってアタシの所に来たろ。それにアイツの睡眠を邪魔しても、アタシの良心は微塵も傷まないさ」
アタシが立ち上がったのを見て、霞は少し考えた後、立ち上がった。二人で部屋から出て、一階の奥にある遠山楓の部屋の前まで来た。アタシは躊躇う事無く、部屋の扉を開けた。
部屋に入ると、ストーブも無いのに部屋の中は暖かった。それどころか、少し暑すぎる気もする。おそらく遠山楓の魔法が原因なのだろう。
一方、肝心の遠山楓はというと、周囲に物を散乱させ、その中心で本を横目で見ながらすり鉢で何かをすり潰していた。周囲にある物はよく分からない物や不気味な死骸。実に魔女らしい。
「こんな夜遅くまで妙な事してんのか」
「ノックも無しに入って来るなんて、デリカシーが欠けてると思いますが」
「何を作ってるんですか?」
「明日の準備です。明日は結婚の儀式がある故、これが必要になる。ですが初めての事ですから、こうしてレシピを見ながら作らないといけなくて」
「結婚!? 楓さん、結婚するの!? 誰と?」
「そこにいる時雨とだ」
「えぇ~!? 時雨ちゃん、結婚するの!?」
「それは―――じゃなくて! 本題から話が逸れてるぞ! 遠山楓。お前に一つ聞きたい事があるんだ。あのノッポの魔法使いに会いたい」
「ノッポ? まさか、母様の事を言ってるのか? 無知な者には無礼が付きものだが、流石に看過出来んな」
「名前知らないんだから特徴で呼んじまうだろ。それで、会えんのか?」
「どうしても、確かめたい事があるんです」
「……霞さんがそう言うなら。でも、会えるかどうかは分かりません」
「前みたいに、呼び出せばいいじゃんかよ」
遠山楓は呆れたような表情でアタシを見ると、大きくため息を吐いた。
「貴様は母様の事をまるで分かっていないな……無知な貴様の為にも、母様について。そして我々魔法使いについて少し教えてやろう」




