戦場
今年の冬は雪が降るのが遅くなるらしい。雪が積もらなければ仕事は無いが、幸運にも今は友人と共同生活。家主の音々は、買い出しを条件に仕事が再開するまで家賃を免除してくれる。お使い程度で家に住み続けられるなんて好条件だ。
頼まれた物を買いにスーパーまで軽トラを走らせる。前まではこのボロい軽トラで十分だったが、複数人乗れる車に買い替えようか。そうすればアイツらを乗せて遠出出来るし、何よりマニュアル車から早く解放されたい。多少は慣れたが、それでもたまにギアチェンジを失敗してしまう。
赤信号で止まっている間に、煙草を一本口に咥えた。しかし、肝心の火を点ける為のライターが見当たらない。ポケットやダッシュボードにも無い。このままじゃ咥え損だ。
そう思っていると、アタシの目の前に火が現れた。咥えた煙草の先を近付けて火を点けると、隣に座っていた遠山楓は火をしまった。見間違いじゃなければ、指の先から火が出ていた気がする。
「ありがと……なんでお前が乗ってんだ?」
「今更我の存在に気付いたのか?」
「極力お前の事は考えたくないからな」
「酷い人」
「じゃあ出ていってくれよ。駅まで送ってやるから」
「それは無理。我は母から霞さんの様子を看るように言われた。万が一、また霞さんの様子に異変が生じた時の為にな」
「返り討ちに遭って何も出来なかった癖に」
「あ、あれは、初めての試みだったからだ! 次はもっと上手くやれる自信がある! 母から助言も頂いたしな!」
青信号になり、車を走らせた。今日の天気は雲が少し多い晴れ。暖かさも感じて、冬の季節とは思えない。少し嫌な予感がするのは、雪が全く降らない所為だ。
「……この際聞いておきたいんだが。お前は本気でアタシと結婚しようとしてんのか?」
「もちろん」
「即答かよ。でもさ、少し一緒に暮らしてみて分かったと思うが、アタシとお前は絶望的に合わない」
「そんなの知ってる。マナーも悪ければ、口も悪い。今も普通の暮らしが出来ているのが奇跡的だと思える」
「酷い評価だな……」
「でも、そんな貴様だから選んだのだ。知っての通り、我は魔法使い。共に生きるとなれば、多少ネジが外れた者が適任だ。貴様は適応能力もあり、体も頑丈だ。これで男なら文句が無かったのだが」
「悪かったな、女で。だが、別に同性を好きになったっていいだろ? いや、別にアタシがお前との結婚に乗り気ってわけじゃないが。というか絶対に嫌だけどさ」
「男の利点は女よりも多い。女と比べて、多くの実験に耐えられる。母のような女は稀なんだ」
「……お前、結婚を何か勘違いしてないか? お前の発言を聞くに、体のいいモルモットのように考えているようだが」
「違うのか?」
コイツと結婚したくない理由がまた一つ増えた。誰が好き好んで実験体になるんだか。
スーパーに着き、吸っている煙草を急いで吸い尽くして、灰皿に捨てた。助手席にいる遠山楓が当然のように一緒についてこようとしているので、外したシートベルトをもう一度付け直してあげた。
「ここで待ってろ。お前みたいな奴と一緒に歩いてる所を見られたくない」
「あら、どうして?」
「見るからに怪し気な格好をしてるからだ。大人しく待ってろ」
遠山楓を車の中に置いて、小走りで店の中に入った。買う物はメモに書かれてるし、さっさと買って戻ろう。
メモに書かれた物をカゴに放り込んでいく。たまに同じ物に見えて種類が豊富な物があるが、この場合何を基準に選べばいいんだろう。とりあえず中央にあるやつをいつも取ってるが、今日は別の物を買ってみよう。
「ん?」
向こう側に人が多い。全員商品を見て回っているが、どれも手に取る事無くウロウロしている。しばらく眺めていると、店員が商品が並べられた棚を周囲でウロウロしている客の中央に置き始めた。店員は腕時計で時間を確認すると、逃げるようにしてその場から離れていった。
店内放送のチャイムが鳴った瞬間、周囲でウロウロとしていた客が一斉に中央の棚に向かって駆け出した。タイムセールというやつだ。仕事場が旦那の戦場なら、買い物は主婦の戦場だ。アタシのお母さんも、よくボロボロになって帰ってきてたっけ。
始まって一分も経たぬ内に、棚に並べられた商品は空になっていた。商品を勝ち取った者は満足気に去り、取れなかった者は床に倒れ込んで悔し涙を流している。普段より安くなっているとはいえ、あそこまで本気になるとは、アタシには理解出来ない。
「理解出来ない、か」
アタシが理解出来ないのは、理解出来る環境にいないからだ。アタシの場合、例えタイムセールの商品を勝ち取れなくても、別の物で妥協する。さっき見た商品棚のように、ここには同じ物でも種類が豊富だ。値が違っても、物が手に入るなら何でもいい。
でも、アレらは違う。限られた予算で、少しでも浮かせられるように戦う。それは自分の為ではなく、家族の為。そうじゃなきゃ、あそこまで感情を剥き出しに出来ない。
すると、少し離れたコーナーにもタイムセールの棚が運ばれてきた。近付いて見てみると、お菓子の詰め合わせがおよそ三十個程あった。既に周囲をウロウロしている者達が開始の合図を待ち構えている。
お菓子なんてメモには書かれていなかったが、これも経験だ。一度荒波に揉まれてみるのも悪くない。カゴを床に置き、袖を捲りながら戦場へと乗り込んだ。
「それで、なんで貴様は血だらけなんだ?」
「……今度お母さんに感謝してくるよ」
「はぁ?」
「菓子食うか? というか、食え」
「食べるけど……貴様、大丈夫か?」
アタシは油断していた。菓子の安売りなら、そこまで激しい揉み合いにならないだろうと。
しかし、実際は嵐のような混戦だった。誰から何処をどう攻撃されたのか分からないまま、進む事も戻る事も出来ない。
確かな事は、タイムセールが始まったら、その場からすぐに立ち去るという教訓を得た事だ。