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心を通わせるにはあまりにも遠く

 アタシの大好きな霞。アタシの大嫌いな霞。アタシらしさを受け入れてくれた霞。アタシの想いを受け入れてくれない霞。


 アタシにとって、霞は何よりも大切な存在だ。だから五年前のあの日、突然いなくなった時は絶望した。アタシは何を生き甲斐として生きなければいけないのか。何も感じない虚無の日々を送り、気付けば大人になった。仕事をして、自分の事は自分でやり、ただただ死に一歩近付いていく。もう死んでもいいやと何度思い、何度試しただろうか。


 霞が帰ってきた。アタシを見てもちっとも思い出さないし、男だと勘違いしてる。生意気だ。誰の所為でこうなったのか。でも、またアタシの前に戻ってきたのは嬉しい。


 それからというもの、アタシは霞に振り回され、絶縁したはずの友人達と復縁し、今は一つ屋根の下で暮らしている。少し前のアタシの生活からは考えられない程に、今は充実している。それはきっと、霞がアタシの目の届く範囲にいるからだ。


 じゃあ、どうしてアタシは今、霞が遠くにいると感じてしまうのだろう。すぐ目の前に、手を伸ばせば触れられる距離にいるのに、空の更に先にある宇宙のように遠い。


「アンタ、いつまでメソメソしてんの」


「……胡桃……霞は、どうしちまったんだろうな」


 アタシが遠山楓を駅まで送っている途中、胡桃から連絡が入った。霞が消えた、と。最初は散歩でもしてるんだと軽く考えていたが、徐々に嫌な予感が沸騰してきた。


 霞は自由人だ。昔から何をするにしても、アイツはアイツらしさを持っていた。決して誰にも流されず、即断即決という言葉が相応しい行動をしていた。だからこそ、アタシらは危機感を持っていた。そして現に、霞は消えた。その時に感じた予感と、同じ予感だった。


「とにかく。明日にでも病院に連れていきましょう。ハッキリ言って、今の霞は異常よ」


「二人共……その、遠山さんが話があるって……」


「あの女が?」


「入って……」


 部屋に入ってきたのは、高校の時にアタシの事を嗅ぎ回っていた遠山楓。顔も見たくない奴だが、霞を見つけられたのは、コイツのおかげだ。コイツはまるで霞の居場所が分かっているかのようにアタシに指示を出し、そして見つけた。


「……一応、礼は言う。霞を見つけられたのはお前のおかげだ。でもやっぱり、アタシはお前の事が嫌いなままだ」


「今は好き嫌いの話をしている場合じゃない。率直に言うわ。霞さんの状態は、病院なんかじゃ治らない。魔法によって解決するしかない」


「魔法って……ふざけてんのか、お前!!!」  


 アタシは遠山楓に殴りかかった。この状況で、魔法なんて創作世界のデタラメを言うから。


 怒りに身を任せ、アタシは遠山楓に拳を振り放った。その拳は空振り、次の瞬間、アタシの体は床に突き倒されていた。


「落ち着いて。こうしてる間にも、霞さんは遠ざかっている」


 遠山楓は酷く冷静に、この場にいる誰よりも事態を把握して、霞の目の前に立った。


「魔法とは信じ難い奇術。目に頼る人間だからこそ、目に見えぬ魔法は架空のものと決めつける。魔法は実在する。それを扱う魔法使いも」


 そう言って、遠山楓はローブのポケットからネックレスを取り出した。そのネックレスには、三角状の小さな紫色の宝石が付いている。遠山楓はネックレスを揺らし、霞にその宝石を目で追わせた。    


「今から我は霞さんの心の中へ入り込む」


「……それで、解決すんのか?」


「魔法はそんなに便利じゃない。これは単に解決策を講じる為の問題を見つける為。人に試すのは初め―――」  


 遠山楓は唐突に言葉を区切った。見てみると、霞の合わせ鏡のようになっていた。


「ねぇ、これどうなってんの?」


「知るかよ……コイツが何を言おうと何をしようと、アタシ達はアタシ達に出来る事をしよう。胡桃、精神科の病院の場所を探しておいてくれ。どんなに遠くても、候補が多くてもいい」


「もうやってる」


「音々。お前は食べ物と水を頼む。咀嚼しなくても飲み込みやすい物、粥とかでいい」


「う、うん……!」


「アンタは何すんのさ?」


「コイツらを監視する」


 胡桃と音々はそれぞれの役目を果たしに部屋から出ていった。この部屋に残っているのはアタシと、硬直状態の二人だけ。


 何の変化も無いまま、数分が経った。相変わらず二人は揺れる宝石を目で追いかけている。普通なら見飽きてアクビでも出るところだが、どうしてか緊張が和らぐ事が無い。アタシには変化が無いように見えているだけで、実際には変化が起きているような。さっき遠山楓が言っていたように、目には見えない何かが起きている気がしてならない。


「……目には、見えない?」


 アタシは違和感に気付いた。いや、気付いていたけど、その気付きを信じられなかった。ほんの少しだけ遠山楓に対する疑いを払拭した事で感じた違和感。


 それは、遠山楓が消えていくような感覚。遠山楓の姿は今も確かにそこにあるが、どうしてかそれが少しずつ薄れているように思えた。


 多分、直感だ。このままではマズいと思い、アタシの体はアタシの思考を無視して動いていた。


 遠山楓の体を後ろに引っ張ると、遠山楓の表情は途端に青ざめ、上手く呼吸が出来ないでいた。口を手で覆うと、部屋の隅に駆け込み、吐き出した。


 様子をうかがおうと背に近付いていくと、遠山楓は酷く怯えた表情を浮かべながら振り返った。


「で、電話……電話を……!」


「電話? それより、お前大丈夫かよ?」


「いいから早く!!!」


 鬼気迫る表情の遠山楓に圧し負け、アタシは自分の携帯を渡した。涙も鼻水も涎も流したまま、遠山楓は助けを求めるように急いで通話を掛けた。   


 ふと、背後にいる霞に視線を移した。霞は真っ直ぐと前を向いたまま、ベッドに腰を下ろしている。


 それは生きた人間と言うには、あまりにも空っぽだった。

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