風船が空に飛んでった
時雨ちゃんが恐れていたストーカーである遠山楓を家に入れた。彼女が前に時雨ちゃんが言っていたストーカーだとは薄々気付いていたけど、連れてった方が面白くなりそうだから、あえて黙っていた。
その甲斐あってか、私と遠山楓は二人並んで正座させられている。しかも遠山楓に関しては、口を布で塞がれ、後ろに回した手を縄で縛られている。
「霞、説明しろ。なんでコイツを連れてきた!」
時雨ちゃんは厳つい見た目を最大限に活かし、バットを片手に私達を見下している。
「時雨ちゃん落ち着いて! どうせ十二月に会うんだから同じでしょ! 早いか遅いかの二択の内、早かっただけ!」
「馬鹿か! 前に言ったよな、コイツはヤバいストーカーだって! もしかしたらお前に危害を与えたかもしれないんだぞ!?」
「そんな子じゃない! 少し話してみて分かったんだ! この子はただ単に、恩返しをしたいだけだって!」
「結婚迫ってくるストーカーの何処に恩返しの要素があんだよ!?」
「いいじゃん結婚! めでたいじゃん!」
「だから相手が問題なんだって!!!」
駄目だ、話にならない。第三者が話を主導してくれればいいけど、胡桃ちゃんも音々も買い物と銘打って、この場から逃げ出している。
様子をうかがおうと、隣にいる遠山楓を見てみると、ウットリとした表情で時雨ちゃんを眺めていた。その視線と合わせないように、時雨ちゃんはさっきから私だけを見つめている。
なにはともあれ、このままだと一向に話が進まない。今日はお風呂掃除をしたいのに、この調子だと昼過ぎか、夕方になりそうだ。そんな長時間正座させられたら、足が痺れて立てなくなってしまう。
「時雨ちゃん、一旦落ち着こう! 一旦落ち着いて、どうすべきか冷静に話し合おう!」
「コイツを追い返す」
「家を知られたんだから、追い返したってまた来るよ」
「誰の所為だ、誰の!」
「だからこうしよう。遠山楓もここに住まわせよう!」
「お前はどうして話を複雑にしていくんだ!」
「ストーカーって追っかけてくる人の事を言うじゃない。だったらもういっその事、目に付く範囲にいさせたら―――」
「ストーカーじゃなくなる……確かに、そうだな……いや、待て。そりゃ本末転倒だろ」
何故か最近、時雨ちゃんはしっかりしてきている。前まではその場のノリに流されていたのに、今の時雨ちゃんを騙すのは簡単じゃない。
「もういい! 何かしらの理由があると思ったが、結局いつものお前の気紛れだったわけだ。お前はそこで正座して反省してろ。アタシはこのストーカーを遠い場所に捨ててくる!」
そう言って、時雨ちゃんは遠山遥を抱えて出ていった。なんだか捨て犬を勝手に拾ってきたのを怒られた気分だ。
一人になり、正座を崩して楽な姿勢で天井を見上げた。シミ一つ無い真っ白な天井。
しばらく天井を見続けていると、何処からともなく黒い小人達が集まり、天井にぶら下がった一人目に続いて、徐々に下に降りてくる。最後の一人が私の肩に降りてくると、耳元に近付いて囁いてきた。
『ツマラナイ。ツマラナイ。アキタ。アキタ』
幼い頃の私の声だ。
『ツギ。ツギ。ドコカ。ドコカ』
足の痺れが無くなった。外に出よう。リビングから出て、この家から出て、何処か別の場所へ行こう。近くても遠くても、何処か別の場所に行った方がいい。ここは私が居ていい場所じゃない。私は何処に居てもいけない。私の居場所は何処にも無い。私は何処にもいない。
私は私を何処に置いてきたのだろうか。
「霞!!!」
気付くと、時雨ちゃんと遠山遥が私の前を塞いでいた。不思議な事に、二人は焦りと怯えが混じった奇妙な表情を浮かべていた。どうやら知らぬ間に、私は家から離れ、森畑を出る田んぼ道を歩いていたようだ。
空を見上げた。今日は夕暮れになるのが随分早い。
「おい、遠山! コイツを運ぶぞ! お前コイツを掴んだまま軽トラに乗れ!」
「霞さん、しっかりして!」
何をそんなに焦っているのだろう。私は正気に戻ってる。ここが何処で、自分が誰なのかは分かる。
あれ? なんで私は、外に出ているんだろう? 確か家で正座をさせられていたはず。寝た覚えも無いし、そもそも外に出た記憶が無い。
「時雨様! まずは皆さんに連絡を!」
「分かってる! チッ……くそっ! 手が震えて、携帯を操作出来ねぇ! くそ、くそくそチクショウ!!! なんでアタシは霞を一人にしたんだ!!!」
「しっかりして! 霞さんは無事に見つけられたんです! まずは家に送り届けるのが先決! 後悔なら、後で好きなだけ聞きますから!」
二人が言い争ってる。仲裁したいけど、頭がフワフワして何を言えばいいのか分からない。目は確かに目覚めているのに。
早くいつもの調子に戻らないと。時雨ちゃんには意地悪で、胡桃ちゃんには弱気で、音々には甘々な、いつもの私を取り戻さないと。




