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温度差

 最近、どうにも眠れない。睡魔は確かに私を襲うけど、奪うのはほんの僅かな時間だ。目を閉じて、目を開ける。これのどこが睡眠と言えるだろうか。それに伴ってか、遠くの景色を眺める事が多くなった。窓越しに見る外や、見上げた先にある空。


 今日は少し傾いた土手に座って、穏やかに流れる川を眺めている。何故眺めているのか、何を想うかは、私自身にも分からない。ただ遠くを眺めたい気分になるだけ。 


 私はまた迷子になっているのかもしれない。自分の人生、他人との距離、感情といった心の迷子。こういった事は小さい頃からよく起きていた。迷って、考えて、時間が経つと迷っていた事を忘れる。だから今回も時間が経てば忘れてしまう。


 本当にこのままでいいのだろうか。このまま答えを見つけ出さずに忘れて、いずれまた迷子になって、また忘れる。その繰り返しに慣れてしまえば、いずれ大事な事も忘れてしまう気がする。この不確定な謎に対して、私は恐れるべきだ。


「何か悩んでいるようだね」


 低く、澄んだ女性の声が隣から聞こえてきた。振り向くと、ショートカットの中性的な顔をした女の人が私の隣に座っていた。ハッキリとした年齢は分からないけど、落ち着いた雰囲気から年上だと思う。


 そして、この人の姿を見ても、記憶の中の誰とも引っ掛からない。この人と私は初対面だ。


「人は悩みを抱えている時、遠くを眺める。自分一人では解決出来ないから、手を伸ばしても届かない場所へ逃げようとしてるんだ」


「……私は逃げたいと思ってるのかな」


「君の悩みは何だい?」


「何に悩んでいるのか分からないのが悩み」


「難題だね。じゃあまずは、どうして悩む必要があるかを考えてみよう。君は今の人生が楽しいと言える?」


「うん。毎日楽しいよ。学生時代の友達と再会して、今は四人で同じ家に住んでる」


「それは楽しそうだ。その生活の中で、何か不満に思う事は?」


「不満なんか無い。毎日四人でご飯を食べて、話して、笑ってさ。喧嘩しても冗談一言ですぐに仲直りするし。だから、不満なんか無い」


「じゃあどうして悩む必要があるんだろうね?」


「どうして……」


 この人、ちょっと怖い。話し方・声・微動だにしない瞳。一見親身に相談に乗っているように見えるけど、自分の望む答えに私を誘導している気がする。


「君は人を好きになった事があるかい? この人の隣にいられるのなら、残りの人生に変化は起きなくていいと思える事を」


「……分かんない」


「君は何も分からないんだね。それとも分からないフリをしてるだけかい?」


 若干だけど、この人の本心が分かった。この人は親切な人じゃない。私に対して、明確な敵意を持っている。怖いけど、好奇心が勝ってしまう。この人が何者で、私に向ける敵意の正体を知りたい。


「アナタは何に対して怒ってるの?」


「今は君の悩みを聞いてあげてるんだよ?」


「あ、イラっとしたね? なんとなく声色で分かる。という事は、アナタの怒りの原因は私なんだね」


「君が話を変えようとしているからね」


「今度はちょっと嬉しそうだね。アナタが本当に聞きたい事に近付いたから? 私に気付いてほしいんだ。アナタがどうして怒っているかを」


「……そうやって、君は香奈の心を惑わしたのか」


 やっぱり、この人は私の事を知っていた。それにしても、この人の口から香奈お姉ちゃんの名前が出てきたのは驚いた。これまでの発言から判断して、この人は香奈お姉ちゃんの友達、あるいはそれ以上の関係。今はそう仮定しよう。


 その仮定の上で、どうして私に対して怒っているのだろうか。まさか、香奈お姉ちゃんが姿を消した原因が私にあると考えているのだろうか。


「香奈は良い子だった。友達も多くて、勉強も運動も出来て、誰もが憧れた。そんな香奈を私は好きだったし、香奈も私の事が好きだった。でも、ある日から香奈は孤立するようなった。誰とも目も合わせなくなって、いつも窓の外を眺めては、誰かに想いを馳せていた。学校が終わってすぐに下校していく香奈を尾行すると、香奈は君と会っていた! 誰にも向けなくなっていた視線・声・想いの全てを君にだけ捧げていた! 私だけの全てを! 果てには、あんな……私でも見た事の無い香奈の一面さえ……!」


「それで?」   


「……それ、で……?」


「アナタの怒りは分かった。でも、私に何を求めているのか分からない」


「ッ!? お前の所為で香奈は―――」


「そっか。アナタは香奈お姉ちゃんが都合の良い相手じゃなくなったから、私に怒ってるんだね」


「……は? 私は香奈を都合の良い相手だなんて―――」


「だって、アナタは押し付けてばかりじゃん。自分の好きと理想を」


「黙れ!!! お前が、お前なんかの所為で!!!」


 声を荒げながら彼女は立ち上がると、ポケットから何かを取り出し、腕を振り上げた。陽の光で光り輝く銀色のそれは、小さなナイフ。それを私に向けて、振り下ろそうとしている。多少の理性が邪魔をして躊躇っているようだけど、血走った眼には確かな殺意が込められている。


 そんな彼女を前にして、私は気付いた。私が悩んでいたのは、三人との温度差だ。私は三人を大事な友達だと思ってるけど、三人は私に恋心を抱いている。別に嫌な気はしないけど、もう少し抑えてほしい。


 帰宅後、リビングに揃っている三人に早速提案してみる事にした。  


「私から皆にお願いがあるんだけどさ。私に対する好感度を低くする事って出来る?」


「無理だな」


「無理ね」


「ごめんね……」


「ちょっと! そんな簡単に諦めないで!」


「いや、お前の事をどうやって嫌いになれっていうんだよ。再会したのは最近だけどさ、アタシらの付き合いは長いだろ? ちょっとやそっとじゃ、嫌いになんかなりゃしねぇよ」


「え~。じゃあ、時雨ちゃんの髪を坊主にしてあげるからさぁ!」


「おい待ておかしいだろ」


「あら、面白そうね。バリカンってあったっけ?」


「興味を持つな探すな! おい、携帯で何見てる!? まさかバリカン買うつもりじゃなねぇだろうな!? おい逃げんな胡桃!」


 自分の部屋へ逃げていく胡桃ちゃんの後を時雨ちゃんは追っていった。


 まぁ、無理というなら仕方がない。それに三人からの好意に鬱陶しさを覚えても、嫌いになるわけじゃないし。そう考えれば、最初から悩む必要なんて何も無かったんだ。なんだか呆気ないな。   


「ねぇ、霞ちゃん……」


「ん? どうしたの音々」


「その……何か、あった……?」


「うん。あったけど無くなったから大丈夫。ふぁ~、なんか眠くなってきた。音々、一緒にお昼寝しよ~」


 私は音々を抱きしめながら、ソファで横になった。抱き心地の良い音々のおかげか、久しぶりの本格的な睡眠をとる事が出来た。


 そういえば、結局あの人の名前は聞きそびれちゃったな。


 さいごに聞いておけば良かった。

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