朝食前に
口の中が歯磨き粉で渋滞だ。歯がスースーして舌がヒリヒリして、すぐにでも吐き出したい。でも、まだだ。もう少しすれば、胡桃ちゃんが起きてくる。
「おはよう、霞。一番に起きるだなんて意外ね」
「……ヴェェ!」
私は口を塞ぎ、吐血するように唾液と歯磨き粉が混ざった物を洗面台に吐き出した。
何故こんな事をしているのかというと、昨日観た映画のワンシーンの影響だ。主人公は人の形をした化け物で、敵の攻撃で出来た傷から白い血を流し、ヒロインから化け物として恐れられるシーン。映画の結末を言えば、まぁよくあるメジャーな終わり方で、主人公とヒロインがキスをしてエンドロールに移る。総評としては微妙な映画だ。
そんな微妙な映画の中で、私が興味を持ったのは【反応】だ。人の本性は無意識の間に垣間見える。あの映画のヒロインは何度も命を救ってもらった主人公に対して、ただ色が違う血を見て悲鳴を上げて逃げ出した。つまり薄情な人間という事。
さて、ここで私は疑問に思った。はたして私は友達の本性をしっかり理解出来ているのだろうか、と。今の私は普通の人間だけど、人生は何が起きるか分からない。私が普通じゃなくなった時、三人が変わらず友達として接してくれるとは限らない。だから今の内に反応を見ておきたい。
そんな意図があってやってみたけど、一人目の胡桃ちゃんは私の顔を見つめるだけで、特に反応は無い。
「……朝から何してるの?」
「胡桃ちゃん……白い血、吐いちゃった」
「歯磨き粉が混ざった唾液でしょ。今時小学生でもやらないって、そんな遊び」
「なるほど。胡桃ちゃんは現実派か。一番面白くない反応だね」
「悪かったわね、面白くない女で。ほら、ちゃんと水でゆすいで」
胡桃ちゃんは自分の歯ブラシで歯磨きをしながら、私にコップを手渡してきた。コップに入った水を口に含んで、口の中に残った歯磨き粉を流した。
「でも、そっか。現実的な胡桃ちゃんとは、関係が悪くなっちゃうかもね~。私が化け物になったら、真顔で射殺してくるかも」
「日本で、しかもこんな田舎でどうやって銃を手に入れるのよ。出来るとしたら、撲殺とか刺殺くらいじゃない?」
「殴られるのも刺されるのも怖いからヤダ」
「それにね、霞」
歯磨きを終え、口の周りをタオルで拭いた胡桃ちゃんが顔を近付けてきた。私は後ろに下がろうとしたけど、すぐ後ろには壁があり、胡桃ちゃんからのキスを受け入れるしかなかった。
寝起きにしては長く濃厚なキスが終わると、胡桃ちゃんは微笑みを浮かべた。
「私が霞を殺すわけないでしょ。例え霞が化け物になったとしても、それって絶好の機会じゃない」
「え? どういう事?」
「フフ、教えない。さて、おはようのキスも出来たし、着替えて朝ご飯にしよっと」
そう言って、胡桃ちゃんは去っていった。胡桃ちゃんが私を殺さない事は知れたけど、私が化け物になる事をまるで望んでいるような口振りには全く理解出来ない。見世物小屋にでも売り払うつもりなのだろうか。
数分も経たぬ内に、今度は音々が起きてきた。眠い目を手で擦りながら、お気に入りのヌイグルミを抱きしめている。こんな愛くるしい寝起き姿はフィクションの中だけじゃなかったんだ。
「んん~……あ、おはよう霞ちゃん……」
「おはよう、音―――ヴェェ!」
胡桃ちゃんの時同様、吐血するように歯磨き粉が混じった唾液を洗面台に吐き出した。まだ口に含み始めたばかりで、さっきよりも歯磨き粉の形が残ったままのもある。
さて、音々の反応はどうだろうか。予想ではアワアワと慌てる反応を見せてくれると思ってるけど。
「あ……え……え……」
大きく見開いた目から、涙が零れ落ちていた。驚き過ぎて脳の処理が追い付いていないのか、言葉が上手く出せないようだ。
「い、嫌……! 嫌だよぉ……!」
「あ、ごめんね! 気持ち悪かったよね!? これ、歯磨き粉! それをただ吐き出しただけで、あ、でもやっぱり気持ち悪いよね!?」
「じゃあ、大丈夫、なの……? 霞ちゃん、死なない……?」
「死なない死なない! 前にアメリカにいた頃さ、占い師のオバチャンに「アンタは死から最も遠い場所にいる存在だ」って言われたくらいだし!」
「そっか……良かった……」
音々は抱えていた枕を床に捨て、私に抱き着いてきた。もし私が化け物になったら、音々の為に死ねないな。今の内に攻撃手段とかを映画から学ぼう。
朝から泣かせてしまった罪滅ぼしとして、後ろから音々を抱きしめながら歯を磨いて上げた。歯を磨いている最中、音々は凄く嬉しそうにしていて、そんな音々を泣かせた罪悪感が募るばかりだった。
さて、最後は時雨ちゃんだけど、歯磨きを三度もやるのはやり過ぎだ。ここでやり方を少し変えてみよう。
時雨ちゃんの部屋に入ると、時雨ちゃんは口を開けたまま眠っていた。学生時代も寝相が悪かったけど、今は悪いどころか壊滅的だ。時雨ちゃんとだけは一緒に寝れないな。
「さて、やるか」
私は掛け布団を纏い、時雨ちゃんの体にダイブした。
「ぶへぇ!? な、なんだ!?」
「おはよう、時雨ちゃん」
「え、霞!? なんでアタシの布団の中に霞が!?」
「時雨ちゃん。私、血が欲しいの。時雨ちゃんの血を吸いたくて、体が爆発しちゃいそうなの」
「な、なに言ってんだ!? 血って……!」
「ねぇ、時雨ちゃん。少しで良いから、血、頂戴」
時雨ちゃんの首筋に吐息を吐いた後、舌を伸ばして舐めた。
「ヒャッ! ね、ねぇ、霞……やめ、て……!」
「時雨ちゃんの血じゃないと死んじゃいそうなの。時雨ちゃんじゃなきゃ駄目なの」
「アタシ、じゃないと……わ、分かった。でも、その……強く、吸わないで……!」
なんだろう、この納得のいかない感じは。まるでブラックコーヒーを飲みたいのに、出てきたのは凄く甘いパフェのような違いは。
「時雨ちゃん」
「な、なに?」
「解釈違い」
「……え?」
「エッチな感じは求めてない」
「エッ!?」
「お腹空いてきちゃった。朝ご飯食べに行こーっと!」
「ちょ、お前ふざけんなよ! あんな風に誘惑しておいて放っておくのかよ!? おい、霞!!!」
誘惑って何の事だろう?
まぁ、そんな事よりも朝ご飯だ。今日は飲み物をオレンジジュースにして、トーストに何塗ろうかな。




