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無防備

 二階の部屋で音々が仕事をしている。何の仕事をしているか尋ねても、部屋で出来る仕事としか教えてくれなかった。しかも仕事の様子を見られたくないのか、部屋に入ってきたり、部屋を覗いちゃ駄目と念を押された。織物でも織っているのだろうか。


 どれくらい時間が掛かるか分からないけど、その間に私は何をしようか。掃除は気分じゃないし、昼食の準備には早過ぎる。昔の人の名言に【無能な味方ほど厄介な敵はいない】みたいな名言があったっけ。その言葉に則るなら、私は何もしないのが一番だろう。


「さて、何の映画観ようかな~」 


 棚に並べられた映画を選んでいると、玄関のチャイムが鳴った。手に取っていた映画を棚に戻し、玄関へ小走りで向かった。


 扉を開けると、そこに立っていたのは胡桃ちゃんだった。足元には衣服類が入っていると思われるキャリーバッグと、ネギの頭がはみ出ている買い物袋を肩に掛けてる。


「なんだ胡桃ちゃんか。おはよう!」


「おはよう。音々は、仕事だよね?」


「え? うん、そうだけど」


「とりあえずお邪魔するね」


 胡桃ちゃんはリビングへ行くと、持ってきたキャリーバッグをソファの横に置き、キッチンへ向かうと買い物袋から買ってきた物を冷蔵庫の中に入れていった。


「やっぱり、何も無い。ちゃんと食べてるのかしら」


「もしかして、胡桃ちゃんは音々の面倒を見てたの?」


「面倒って程では。ただ、ちゃんとご飯を食べてるか確認しにちょくちょくね」


 やっぱり胡桃ちゃんは面倒見がいい。学生時代の時も、修学旅行や林間学校では頼りになった。胡桃ちゃんがいなかったら、トラブルが続いて思い出を作れなかっただろう。


「さて。それじゃあ霞。しよっか」


「何を?」


 私の前まで歩いてきた胡桃ちゃんは、一切の迷いなく、そして自然に私にキスをしてきた。自分がキスをされたと気付いたのは、数秒経ってからだった。


 一歩後ろに下がったけど、逃がすまいと胡桃ちゃんは私の腰に手を回し、グッと私の体を引き寄せた。


「ちょ、ちょっと胡桃ちゃん……! 二階で音々が仕事してるんだよ……!?」


「じゃあ静かにしないとね」   


 胡桃ちゃんはクスッと笑うと、またキスをしてきた。口の中に侵入してきた胡桃ちゃんの舌が暴れてる。私の舌に絡まってきたかと思うと、頬の内側や舌の裏をなぞったりで、舌の動きを予測出来ない。それに、息がしづらい。鼻で息をしようとしても、鼻と鼻がくっついている所為で上手く鼻呼吸できない。


 ようやく唇を離されると、私の舌からか胡桃ちゃんの舌からか、伸びた一筋の涎が互いの舌を繋げていた。涎が自重で落ちそうになり、咄嗟に口を開けて涎を口に含んだ。凄く下品だけど、口に含んだ涎はシロップのように甘かった。


「……胡桃ちゃんは酷い人だよ」


「無防備な霞が悪い。何の警戒もせずに前に立たれたら、キスしたくなっちゃうじゃない」


「友達なのに、何で警戒しなきゃいけないの?」


「……霞」


 突然、胡桃ちゃんは私の肩に手を置き、眉間にシワを寄せて睨んできた。


「向こうでも誰かれ構わずキスしてないよね?」


「してないよ! 胡桃ちゃんに無理矢理キスされた時に初めてだって言ったじゃん!」


「いや、そうだけど。なんか、信用出来ない」


「えぇ……じゃあ、どうすれば信用してもらえる?」


「……その調子じゃ駄目ね」


「その調子って?」


「すぐ受け身になる所。おかげで私の思考はピンク一色に染まって、衝動を抑えるのに必死なんだから。おかげで私の理性は無いに等しい。ハァ……コーヒーでも飲もっか」


「落ち着く為に?」


「そう。苦い物飲んで、出来るだけ甘味から遠ざかるの」


 そう言って、胡桃ちゃんは頬を二度叩いた後、コーヒーを淹れにキッチンに向かった。  


 二人でソファに座って、コーヒーを飲みながら真っ暗なテレビの画面を眺めている。胡桃ちゃんが飲んでるコーヒーは真っ黒だけど、私の分のコーヒーにはミルクと砂糖が入っている。熱いと温いの中間で飲みやすく、主張する甘さの中にほんのり苦さを感じた。


「そういえば、胡桃ちゃんの荷物はそれで全部? キャリーバッグ一つだけって少ないね」


「服と携帯の充電器、その他諸々。必要最低限の物しか入ってないよ。あとは家に置いてきた」


「え? ここに引っ越すんじゃないの?」


「引っ越すわよ。あのアパートは店の従業員が暮らす用。何人かはいるけど、実家から通う人もいるから、部屋の空きはまだあるの。だから退去する必要も無い。それに私は一応店長だし」


「私と同い年で自分の店を持つって、改めて凄い事だよ!」


「まぁ、大人気とまではいかないけど、上手くいってる」 


「私も仕事しようかな~。私にも出来る仕事ってあるかな?」


「無いんじゃない?」


「直球だね……」


「映画の女優に一目惚れして、何にも言わずにアメリカまで行った前科があるもの。自由人を悪く言うつもりはないけど、仕事に関して言えば、自由人を雇うのはリスクがあり過ぎる」


「雇ってくれないの? 胡桃ちゃんでも?」


「居酒屋がポルノ劇場になってもいいなら雇うけど?」


「じゃあ、いいや」


 しかし、本当に真面目に考えるべきだろうか。まだ二十一歳だけど、もう二十一歳だ。大学に通ってる人もいれば、仕事をしてる人もいる年齢。今は三人が面倒を見てくれるけど、いつ見限られてもおかしくない。


「楽にお金を稼げる仕事って無いかな?」


「無いわ」


「……直球だね」 


 まぁ、このまま今まで通りでいよう。今は楽しいんだから、楽しい事に集中したい。真面目になって考えるのは危機感を抱いた時だ。その時が何年後か何十年後かは分からないけど。

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