君が眠るは夏の日
今日は音々の家に来ている。音々の家に遊びに来たのは片手で数えるくらいしかない。基本的に遊ぶ時は私の家か外だったから、音々はもちろん、他の二人の家にもあまり行く機会は無かった。
「突然誘ってごめんね、霞ちゃん……」
「全然いいよ! 私も暇だったし……ん?」
紅茶が入ったティーカップを持ちながら、私はデジャヴを感じた。こんな状況と会話を胡桃ちゃんの時にもあったような。まさか、音々に限ってあんな事はしないだろう。そう信じているけど、一応警戒はしておこう。
「……紅茶って久しぶりに飲んだけど、普通のお茶よりも飲みやすいよね」
「そうだね……! 緑茶とかは苦くて飲めないけど、紅茶なら飲めるんだ……!」
淹れたての熱い紅茶を息で冷ましながら、音々はゆっくりと少しずつ飲んでいく。飲んだ瞬間は熱さにビックリしたような表情を浮かべたが、雪が溶けるように表情は和らいでいった。紅茶を飲むだけでこんなに愛らしく映るとは、可愛くも恐ろしい存在だ。
私達がいるリビングは二人だけだと広く感じる程に、静かだった。棚やテレビやソファ、今座っているキッチン前のテーブルも最近使われた痕跡は無い。埃があるとか見て分かる事ではなく、直感のなんとなくでそう思った。
「音々。もしかして、この家に一人でいるの?」
音々に尋ねてみると、音々はぎこちない笑顔を浮かべながら答えてくれた。
「実は、ね……パパもママも、二年前に亡くなったんだ……」
「それからずっと一人なの?」
「うん……親戚とか、頼れる人がいないから……」
「そっか……寂しく、ないわけないよね」
「でも、今は寂しくないよ……! だって、霞ちゃんがいるから……!」
飲もうとして口元に近付けたティーカップを受け皿に戻し、私は音々の隣の席に移った。音々の長い黒髪を指で撫でた後、肩に手を置いて、ゆっくりと私の方へ抱き寄せた。まるで自分の匂いを移す猫のように頬を擦り付ける音々。そんな彼女を私は更に抱き寄せ、私の胸に埋めた。
「……霞ちゃんの匂い、好き……」
「匂いだけ?」
「匂いだけじゃなくて、霞ちゃんが好き……! 大好き……!」
「私も音々が好きだよ。このまま私の中に入れたいくらい」
「このまま霞ちゃんの中で溶けちゃいたい……」
「私が蛇なら丸呑み出来たんだけどね。頑張って口を開けても、頭の先っちょも入らないよ」
「じゃあ、私を潰して飲み込んで……骨も、肉も、髪も、私の全部で霞ちゃんの中を埋め尽くしたい……」
「それだと、なんだか鬼みたいだね。やっぱり……うん。こうして抱き合うのが一番良いね」
私は赤ん坊を寝かしつけるように、背を優しく叩き、鼻歌を歌い、心臓の鼓動を聴かせた。安心出来たのか、音々は私の胸で眠った。耳をすませば微かに聞こえてくる音々の寝息に笑みがこぼれた。
「おやすみ。音々」
私は唇を音々のツムジに近付け、ソッと口づけした。少し開けてあるリビングの窓から流れてくるのは、夏の季節。セミの鳴き声・少し温い風・差し込む陽の光。どうしてか思い出す幼少の思い出。時計の音がしないリビングは、まるで時間が止まっているようだった。
音々が目を覚ましたのは、朝陽が夕陽に変わった後だった。寝起きで目覚めきっていない音々は私の胸に頬を擦ると、窓に差し込む陽の光が夕陽の色になっている事に気付いてハッとなった。
「もうこんな時間……!? ごめんね霞ちゃん……!」
「どうして謝るの?」
「だって、せっかく家に呼んだのに……私、寝てばかりだったから……」
「気にしなくていいんだよ。音々が安心して寝てる姿を見てたら、時間があっという間に流れちゃった」
「……帰っちゃう、よね?」
「帰ってほしくない?」
「……うん……叶うなら、ずっとこの家にいてほしい……」
「そっか。じゃあ、そうしよっか」
「……え?」
音々を抱き寄せたまま、ポケットから取り出した携帯で時雨ちゃんに電話を掛けた。
「もしもし時雨ちゃん。急で悪いけど、私は音々の家に住む事になりました。うん、音々の家に……え? いや、違うよ! 脅してなんかない! 時雨ちゃんならともかく、私がそんな事するはずないじゃん! うん、うん……分かった。じゃあ、また後で」
「時雨ちゃんはなんて言ってた……?」
「意味が分からないから直接聞きに来るって。待ってる間、晩ご飯作らない? もちろん時雨ちゃんの分も」
「うん……! せっかくだから、胡桃ちゃんも誘おう……!」
「うん、そうしよう!」
私達はキッチンへ向かい、冷蔵庫の中を確認した。
しかし、冷蔵庫の中には食材と呼べる物が何一つとして無かった。あるといえば、パンに塗るバターだけ。
私は一度冷蔵庫の扉を閉じ、再び時雨ちゃんに電話を掛けた。
「……あ、時雨ちゃん。急で悪いんだけど、来るついでに晩ご飯買ってきて。今日と、数日分の食材。え? もちろん時雨ちゃんが払って―――あれ、切れちゃった……」




