1話
俺、藤崎理月の朝は教室の隅の落書きだらけの机を拭くことから始まる。
「貧乏人」「不細工」「グズ」悪意のある言葉だが全て俺を表す言葉だ。
貧乏であまりご飯を食べてないせいでひょろっとした体に不健康に青白い肌色。
おまけに目が悪いのにメガネも買えずピントを合わせるためにいつもしかめ面。不機嫌、睨んでいると誤解されてしまうことも多い。
「クスクス…」とクラスメイトが嘲笑っている声が聞こえる。
悔しさをグッと堪えながらなかなか消えない落書きをこすっていると、その嘲笑をかき消すように「おはよう」と澄んだ声が響き渡り教室は一瞬で和やかなムードに変わる。
「理月くんもおはよう」
「お、おはよう」
彼女、西田遥香はこのクラスの中心的存在で容姿端麗、成績優秀、おまけにテニス部で全国大会に出場する腕前の持ち主。
当然憧れている男子生徒は数知れず。
小学生のころは仲が良く、俺がいじめを受けるようになってからも挨拶を交わしてくれる。
「あ、そうだ!私アンファグ始めたんだけど理月くんもやってる?
ゲーム強かったよね?」
人気者の西田遥香がいじめられっ子の藤崎理月に対して親し気に話しかけるものだから教室内が少しざわつく。
アンファグ。先月発売されて以降日本で大流行しているオンラインRPGだ。
VRゲームであまりのリアルさに現実との境目がわからなくなるほど評判高い。
「いや、俺は…やってない」
西田と遊んでいた時期はゲームをよくやっていたが、今はできるような環境ではなくなってしまった。
苦し気に目を背ける。
「じゃ…じゃあ家で、」
「西田もアンファグやってるの?俺もなんだ!メインジョブなに?!」
「俺は黒魔導士でレベル35まで育てたんだ!よかったらレベル上げ手伝おうか?!」
彼女の周りにはすぐに数人の男女が集まってきて彼女の自席まで押し流されていく。
ふぅっと一息つくと急に息が苦しくなる。
「"理月くん"、ちょっと付き合えよ」
机の落書きをした張本人、坂力元<さかりきげん>が理月の3倍ほどの太さの逞しい腕で首をしめニヤリと意地の悪い笑みを浮かべていた。
◇ ◇ ◇
「なんで西田がお前なんかをゲームに誘うんだよ!」
バコっと鈍い音が校舎裏に鳴り響く。
殴られた二の腕がジリジリと痛む。
(さっきの西田さんとのやり取りが気に障ったのか…)
坂力はどうやら西田に恋心を寄せる男の1人なのであろう。
最近は推薦取消を恐れているらしく直接の暴力を受けるのは久しぶりだった。
ダン!!
「うぐっ……かはっ!!」
3度目の蹴りはお腹だった。
強制的に体の空気が吐き出され呼吸が止まる。
(苦しい…息が、でき…ない)
視界がぼやけて意識が薄れていくのを感じる。
「おい、元。問題になってもめんどうだしやり過ぎんなよー」
「お前も推薦取消は困るだろ」
理月が殴られる様子をニヤついた顔で楽しんでいた取り巻き2人だが、流石にまずいと思ったのか止めに入る。
「ちっ!はぁーあ、アンファグなら無限に殴れるのになあ」
「メガネも買えない貧乏人にゲームなんか買えるわけないだろー?」
「そりゃそうか!残念、ゲームでも可愛がってやろうと思ったのにな」
(くそ…そもそもメガネを壊したのはお前らだろ…)
立ち去っていく3人を地に這う形で見送る。
理月はただ校舎裏の土を握りしめることしかできなかった。
◇ ◇ ◇
殴られた箇所は青紫色のあざになった。
保健室で派手に転んでしまったと簡易的な手当てをしてもらい、痛みをこらえながら一日を過ごした。
本当はすぐにでも家に帰り横になりたいくらいだったけど理月には帰れない理由があった。
オンボロマンションの一室のドアを開けると酒を飲んで寝てる叔父さんがいた。
この叔父さんが帰れなかった理由だ。
(今日は一段と酒臭いな…寝てるうちにご飯食べちゃおう)
起きると暴れて面倒なのでなるべく静かに行動する。
冷蔵庫を開けると叔父さんが買ってきただけあろう惣菜がいくつか入っていて、そこから一つ拝借して食べる。
一番腹に貯まりそうなかぼちゃの煮物を選んだ。
この叔父さんがいるせいで帰ってきたところでゆっくり休めるわけがないし、なんならあざが増える可能性だってある。
それに理月にとって給食は命綱だった。
叔父さんが起きるのはいつも夜22時を過ぎた頃。
そこからはまた酒を飲みながら永遠に愚痴やら説教やら聞かされ、うたた寝しようものならビンタが飛んでくる。
それまではいつもぐっすりで唯一心落ち着ける時間だ。
(この惣菜も俺が食べたら怒るけど、酔っ払って何買ったか覚えてないから案外バレな…)
「おい、薄汚いねずみが盗み食いか?」
酒瓶が俺の髪を擦り背後の壁でパリーンと大きな音を立てて割れる。
(やばい!起きたか!!)
「兄貴もこんなガキ押し付けていなくなりやがって……
まぁ俺が代わりに躾けてやるしかねえなぁ」
ニタリと笑いフラフラとこちらに近寄ってくる。
相当飲んでいるようでこの目をしている時はだいたいリミッターが外れていて危険だ。
以前も滅茶苦茶に暴れて大変だった。
「お腹が空いて…ごめんなさい」
「ああ?お前は給食があるだろう?
なのに腹が減っただなんて甘えるんじゃねえ!」
育ち盛りの男子が1日1食で足りるわけはないが、そんな理屈は通じない。
そもそも父さんから結構な金額を受け取ったと先日酔っ払いながら自慢げに話していたのに叔父さんからまともな食事を提供されたことはない。
(こうなったら逃げるしかないか…)
相手は酔っ払い。隙をついて逃げ出すくらいならできる。
叔父さんがふらついた隙に靴だけ握りしめて家を出る。
「おい&☆¥%〜〜〜」
背後でギャンギャン騒いでるが振り向くことなく走り去った。
◇ ◇ ◇
「ふぅ、ここまで来れば大丈夫だろう」
家から少し離れた河川敷に腰を下ろす。
少しひんやりとした空気が走って熱った体に染み渡る。
夢中で走ったので気にならなかったが、動きを止めると今日坂力に殴られた箇所がずきずきと痛む。
「はぁ早く独り立ちしたいな…」
今は中学3年生の10月。中学を卒業すれば働ける。
バイトでもなんでもいいから仕事を探してこの家から出ていく。もう半年の辛抱だ。
(そんな事より今日の心配か。制服で出てきたのは失敗だったな)
制服だと確実に補導される。かと言って今帰ればサンドバッグ確定だ。
時刻は19時を過ぎたところ。
中学生の帰宅時刻は過ぎてるしどこか身を隠す場所はないかと思案する。
(夜は結構冷えるし出来れば暖かいところが良いけど…)
「そこの君ー中学生?あー待て待て、補導じゃないから」
声をかけられた瞬間に逃げ出そうとするのを腕を掴まれ静止された。
振り向くと片腕のない若い男の人だった。
理月が再び逃げ出さないのを見ると「ちょっと頼みたいことがあってさ」と話し始める。
「実は俺アンファグのテスターでさ。
でも、こんな体になっちゃって…代わりにやってくれる人を探していたんだ。君、どうかな?」
悲しげに左腕があったであろう場所を見る。
怪しさ満点だがその悲し気な顔でなんだか無碍にしてはいけない気持ちになる。
片腕ならいざという時も逃げ出せるだろうという油断もあったのだろう。
「アンファグの…?いや、それ運営の人に言った方がいいんじゃ」
無視をしようかと思ったがなんだか困っている様子でなんだか放っておけない。
でもテスターと言われても個人間、しかも初対面の赤の他人同士でやり取りしていい内容ではないと思う。
「うぐ…そうなんだけど実はまだ公表されてない特殊仕様の端末で…テスターを辞める場合は問答無用で買い取りするって契約なんだ……」
「ええ…いや、でも素直に買い取ったほうがいんじゃない?」
事情が考慮されないのは可哀想だとは思うけど。
「報酬も……」
「え?」
「事前受け取りの報酬も全部使っちゃってもう無いんだよぉぉおお!!お願い!この通り助けると思って!!!」
いい大人の土下座をみてドン引きする。
公表されてない特殊端末…しかも評判高いアンファグをプレイ出来るなんて正直興味は惹かれる。でも…
「ゲームなんて持って帰ったら壊されるか売られて終わりだよ」
今まで持ってたゲームも暴れて壊すか売られて酒代になるかだった。
「ふむ、ところで君はこれから家に帰るの?」
「え?いや、それは……」
お兄さんは全てを見透かしたような笑みでこちらを見ている。
(しまった!この片腕のお兄さん結構悪い奴だ!)
この人は俺が家出少年だと見抜いて話しかけてきていたようだ。
「困ってるならさ、僕の家くる?」
口籠る俺を見てお兄さんはイタズラっ子のような顔で微笑みで甘く囁いた。
◇ ◇ ◇
「さー上がって!まぁ自分の家だと思ってくつろいじゃってよ〜
僕料理しないからお茶もお菓子も夜食も出せないけど!」
「お、お邪魔します……」
部屋は広めの1LDKでシンプルに整えられている。
(宿の魅力に負けてホイホイと付いてきちゃったけど本当に良かったのかな)
実はお兄さんが悪い人でこれから犯罪に巻き込まれる可能性が今更ながら頭をよぎる。
「はぁ〜良かった〜。彼女にカッコつけて海外旅行の予約しちゃってたんだよ〜キャンセル不可だし焦っっっ痛ぁあああ!!!机の角に小指ぶつけたぁあああ!!」
(あ、大丈夫そうだ)
「と、とりあえず君に守って欲しい事は二つ。
一つは毎日ゲームにログインをしてデイリークエストをこなす事。
日によって内容は違うけど30分もあればクリアできるものがほとんどだよ」
30分なら学校があっても問題なくプレイ出来る。
これは問題無さそうだ。
「二つ目は、絶対に特殊端末の事を口外しない事。もし口外したら……」
「したら……?」
「僕がとんでもない違約金を払わなきゃいけなくなります!!絶対にやめてね!!!」
お兄さんの顔は切実だ。
前払いの報酬まで使ってしまったお兄さんだ。違約金を払うとなると大変なのだろう。
「ゲームはこのVRゴーグルを装着してスイッチを押すだけだから」
「あれ?コントローラーは?」
お兄さんは「それはプレイすればわかるよ」と得意げに笑う。
「今日の分はクリアしてあるから明日からよろしく。
僕、今から海外だから帰ってきたら様子を見に来るね!それまで頼んだよー!」
そう言い残してお兄さんは嵐のように去っていった。
「もしかして、ゲームが出来ないのって腕のせいじゃなくて旅行に行くから…?」
ちょっと騙された気持ちだが、数日の宿が確保出来たのだからこちらとしてはありがたい。
早くゲームをプレイしたい気持ちもあるけど今日は疲れた。
久しぶりにゆったりとお風呂に浸かり、暖かなベッドに潜り込む。
(こんなに落ち着いて眠れるのいつぶりだろう…お兄さんには感謝しなくちゃ)
理月は久しぶりに安心して眠りについた。
◇ ◇ ◇
とあるホテルの一室、男が青い薬瓶を取り出し一気に煽る。
すると欠損していた左腕が元にもどる。
「さすが完全回復薬だな。クソ!酷い目にあったぜ。
本当に腕がなくなるとかあのゲームどうなってんだよ!!まぁ…おかげでこれが手に入ったんだけどな」
男はボストンバッグに視線を向けるとニタリと笑う。
カバンの中には金や宝石がどっさりと入っていた。
「くくく…これだけあればあんな危険なゲームは用済みだ!
同期率100%になったせいで現実での姿がゲームでの姿に変わっちまったが…
まあこの姿もなかなかイケてるし悪くないよな」
(ただ、この仕事を持ちかけてきた奴ら…あれは確実に裏社会の者だ。契約違反をすれば何をされるかわからない。
しばらくは海外に身を潜めるのがいいだろう)
先ほど代わりを任せた中学生。ガリガリに痩せていて、あれは普段から食事を与えられておらず虐待されている子だろう。
その不憫な様子を思い出しても男は同情するわけでもなく、都合の良い奴が見つかって良かったとしか思わない。
「身代わり…とまでは言わなくても精々時間を稼いでくれよぉ?
ていうか同期率40%の状態でのゲームオーバーでも腕一本行かれたんだ。100%の今だと…まぁ俺には関係ないけどな」
「そうですね。もう死ぬ貴方には関係のない事です」
(?!!)
振り向こうとしたが振り向く事はできなかった。
ホテルの清潔な白いシーツが赤く染まると突如現れた黒いワイシャツ姿の男は宝石が詰め込まれたボストンバッグを回収する。
「こちら任務完了。端末を譲渡された中学生の方はどうしますか?」
『彼は次のプレイヤーになってもらうよ。
同期率100%からのプレイ。しかも彼は…うふふ、わくわくするね。
彼があの部屋を使い続けられるように手配しておいてくれ』
「了解」
電話を切るとまた闇夜に紛れてどこかへ消えていったのだった。
初めての執筆です!
毎週水曜日の12時ごろに投稿していく予定です。
感想やアドバイス、誤字脱字報告などなんでもコメントいただけると嬉しいです。