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勤勉なカイン

「……私は医学の道には疎いですが、ダンスについては教師として働いている以上それなりに詳しいつもりです。ダンスはどうしても、手足の長さや体格が関わってくるものなので私も気を付けるようにしていますが……少なくとも私の目には、あのリリカさんという方はリリム様と同じにしか見えません」


 ひとまず踊り子たちを帰らせてから、ダンス教師はカインの強引な決定に不服を申し立てる。だが、「あの女性はリリムと同一人物だと思うか」と尋ねられると途端に戸惑いの色を見せて口ごもった。


 立場を鑑みず、素直な感情を吐露するならダンス教師はリリムに同情的だった。


 複雑な家庭環境に婚約者である王子からの冷遇。王城にいれば嫌でも耳に入ってくるそれは、「不憫だ」という感想を抱かせるぐらいには詳らかだった。だがリリムはどんな時でも泣き言を一切口にせず、ダンスを踊らせれば常に完璧な姿を見せる。王子イアンに口汚く罵られても、家庭内で暴力を振るわれたとしてもリリムは絶対にそれを悟らせない。教師として大勢の教え子を受け持ち、アナベルのように下手な者も最初からそれなりに踊れた者も手掛けてきた彼女がそれでもリリムは別格と感じた。だからダンス教師は、リリムを「千年に一度の逸材」と評したのだ。


「私は自分の人生の中で、後にも先にもリリム様ほど美しく踊れる女性は見たことがありません。そして私が生きている間、リリム様に並ぶ逸材は絶対に出ないだろうとも思っていました。ですが、ですがリリカさんは……」


 どうしても、リリム様と同じに見えて仕方ならないのです。


 ダンス教師の言葉に、カインはそっと背中に冷たい刃物を突き付けられたような感覚に陥った。




 リリカをダンス教師の元に通わせながら、カインは「すらりとしていて綺麗だ」と褒められる細腕で懸命に彼女について調査を進める。


 華奢だ、しなやかで美しいなどと称されるカインだがそう言われる度に彼の胸の中には小さな引っ掻き傷ができていた。

 生まれつき運動が苦手だった彼は、早々に文官の道を目指した。他の令息が嗜む程度でも剣やダンスを身に着ける中、カインはそれを「知識」として学んだだけに終わっている。「本の虫」と揶揄されるほど学びに特化し、今の立場にまで上り詰めたカインを人は「勤勉な努力家」と評価した。


 だが、カインはこれにもまた違和感を抱いている。彼はとにかく勉強一筋の人生を歩んできたが、学業を楽しいと思ったことは一度もない。新しい知識を得てもそれをどう使うか考えて胸を躍らせることはなかったし、無意味だと感じた知識はすぐ頭の隅にやってしまった。結果的に、彼は物事を考える力のないただ頭脳ばかりが先行しているだけの人間になっている。


 応用力に欠ける部分は、幅広い知識と執拗な学びでカバーする。そうしたカインの生き方は、彼の心の奥底で劣等感と自尊心を同時に成長させていった。


 それでもカインは、執着にも近い感情でリリカ・リリア・リリムの三人を調べ続ける。その範囲はリリムに関わったことのある王城内の人間や学園在籍時の同級生・教師、リリアを雇っていた店のオーナーや住んでいた家の管理人、そしてリリカを雇っていた踊り子たちの雇い主にも話を聞いた。だがいくら調べても、返ってくるのは


「色々と噂もあったし婚約破棄を言い渡された時は『アナベルを虐めていたのでは』と疑いをかけられることもあったが、普段は完璧な公爵令嬢だった」


「いきなり雇ってくれ、住まわせてくれなどと言ってくるものだから最初は不審に思ったがその働きぶりは見事で客や近所に住む人間にも評価されていた」


「踊り子としてデビューしたのは本当につい最近で、それまではどこにいたのか実はよく知らない」


 といった具合のものばかりだった。




 どれだけ努力しても、どれだけ調べつくしても、わかることは何もない。その苛立ちはカインの心を蝕んでいき、さすがのカインも精神的疲労が溜まってきた。


 このままでは埒が明かない、少し頭を冷やさなければ。そう判断したカインは珍しく文字から目を離すと、王城内にある庭園へと向かう。王城の庭師によって常に美しく景観を保たれているその場所は、王城で働く者たちの憩いの場だった。




 だがそこでカインは、今まさに彼を悩ませているリリカの姿を見つけてしまう。




「あら、あなたは先日の……その節はどうも。おかげでお世話になっています」


「……こんなところで何をなさっているのですか」


 悠然とベンチに腰かけているリリカへ、カインはあからさまに不愉快な表情をした。授業はどうした、ダンス教師は自分の職務を放棄しているのか。そんなカインの疑問に答えるかのごとく、リリカは自分の手元に目を落とす。


「次の授業が始まるまでの間、ちょっと休憩に……先生から本を貸していただけたので、読んでみているところなのです。なんでも、この国のダンスの歴史について書かれた本で、非常に興味深いものなのだそうですよ……」


 実際、彼女の手には決して安くはない装飾の施された本が広げられている。しかしそれが上下逆さまだと気づくとカインはより一層、不快感で顔を顰めた。


「それで、読んでみていかがですか? 何か勉強になるところは?」


「いいえ、私は文字が読めませんので中身はさっぱり……利口で賢い方々にはきっと為になる本なのでしょうが、私には少々難しすぎましたわね」


 カインが精一杯口にした嫌味は、とぼけた返答でさらりと受け流される。それにムッとしたカインは腹立たしい気持ちのまま、リリカの前に立ち塞がるがリリカは飄々とした態度のまま全く動揺を見せなかった。


「そろそろ授業が始まる時間なので、私はこれで……勤勉で頭のいい文官さんには、これで失礼いたします。……また私の踊りを見に来てください」


 カインを嘲笑うように、意味ありげな笑顔を浮かべたリリアは立ち上がりその場を去ろうとする。カインはその背中に腕を延ばし、リリカを止めようとするが彼女は宙を舞う花びらのようにそれを躱した。その拍子に、リリカの持っていた本がバサリと地面に落ちる。


 カインは舌打ちすると、リリカが落としていった本を手に取る。この本は例によって座学だけでダンスを身に着けるため、カインも目を通したことがあるものだ。何やら世界中の全てから馬鹿にされているようで、カインはその本を閉じようとするが――そのページの隙間から何か、小さいものが這い出てくる。


「うぎゃっ!?」


 カインのほっそりした指に、纏わりついてきたのは大量の毛虫だった。


 モゾモゾと蠢くその感触に驚愕し、思わず本を落としたカインだが次の瞬間にはもう虫など一匹もいなくなっていた。そこには何の変哲もない本が落ちているだけで、茫然とするカインを静寂だけが包んでいる。


 ……あのリリカという女は、やはり普通の人間ではない。早急に、何か手を打たねば。


 カインはまた、得体の知れない何かに出くわす恐怖に襲われたが強引にそれを振り払った。

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