次期宰相候補カイン
アナベルとリリアの遺体を見つけたのは、王城に仕える数人の兵士だった。
彼らは二人の異様な死に様を前に、しばらく言葉を失う。互いに殴る蹴るの暴行を続け、その末に死んだとしか思えない腫れあがった亡骸はもはや生前の面影を残していなかった。兵士は混乱しながらも国王にこれを報告し、その情報はすぐに王太子イアンとその側近にも伝えられる。
イアンたちは耳を疑い、その死骸を確認しに行ったが――すぐにそれを後悔するこっとなった。
かつてイアンたちに媚びを売り、色気を振りまいていたアナベルはリリアと共に半分以上ぐちゃぐちゃの肉塊になっていた。身に着けているものから辛うじて二人を判別することができたが、その惨状にイアンは必死に吐き気を抑える。
誘われ、惑わされたとはいえ愛したアナベルを失った。王子の心を惹きつけ、虜にした女性が残酷な形で命を奪われた。しかしその絶望に浸る暇もなく、王城は大混乱に包まれる。
「公爵令嬢を蹴落とし、次期王太子妃に収まっていた女が死んだ」
その事実は、人々の関心を引くのに十分すぎるものだった。
リリム・フネラルの自殺。それを引き起こした平民の少女。一向に進まない王妃教育と、いつまで経っても上達しないアナベルのダンス。そもそもアナベルとリリアが発見されたのも、「アナベルが侍女の一人を平手打ちしている」という報告を聞いた兵士が彼女を止めに入ろうとしたためだった。
平民上がりのくせに、自分と同じような出自の侍女に暴力を振るった。自分の王妃教育が上手くいかないから癇癪を起し、当たり散らした。悪意ある噂、下衆の勘繰り。アナベルの評価が貶められ、「たまたま王城に召し上げられた、平民の少女」リリアの死に同情が集まるのは時間の問題だった。
「っ馬鹿な! こんな理不尽なことが、許されるものか!」
言いながらイアンは執務室の机にバンッ、と拳を叩きつける。
イアンは現在、「アナベルの死による一時的な心身衰弱を治療するため」という名目で王城の一室に軟禁されている。
だがそれはあくまで表向きの理由であり、実際はイアンを快く思っていない者――美しく聡明だった婚約者リリムを死ぬまで追い詰め、代わりに連れてきた女はダンスもまともに踊れない平民という状況に不信感を抱いていた一部の貴族たちからイアンを守るためのものだった。国王はそれを制するため、そして息子イアンのためにできうる限りの配慮を行ったつもりだがイアンの怒りは収まらない。そのまま絶望と苦しみを吐き出し、猛獣のように暴れだす。
「アナベルが、あの愛くるしい天使のような女性がリリムに殺された! それはゆるぎない事実だ! なのに皆それを悲しむどころか、『アナベルが悪い』などと言い出すものまでいる始末! 父上も僕に謹慎を命じるばかりで、リリムについては一切触れようとしない! こんなの間違っている! 絶対に許さないっ……!」
「王子、お気持ちは痛いほどよくわかります。ですが、どうか抑えて……」
怒りに震えるイアンに、ブルネットの髪を持つ細面の美青年がそう声をかけた。
アナベルの死に憤っているのは王太子だけではない。騎士団長の息子とフネラル公爵家令息はイアンと同様、自宅で謹慎を言い渡されている。だが「アナベルの取り巻き」と揶揄される美形集団の中で、ここにいる宰相候補の文官カイン・エイブルだけは王城への出入りを許されていた。
カインは王子を、そして自分自身も落ち着かせるようとゆっくり言葉を紡ぐ。
「今のアナベルに対する不当な悪評は、そのリリアとかいう女がアナベルに無礼な口をきいたということにしましょう。ですが、それだけでは足りない……アナベルを奪われ、このまま黙っているわけにはいきません。まずはフネラル公爵令嬢と、リリアの出自を徹底的に洗いましょう。あの見た目、あの緑色の髪、別人だとは思えない……何があっても正体を突き止め、アナベルを苦しめ傷つけた報いを受けさせてやらなければ」
そう語るカインは、切れ長の目に憎悪の色を滲ませていた。
カインは王立学園きっての秀才であり、その頭脳は幼い頃から積み重ねた勉学の賜物だった。
学業はやるべきことや努力の方向が明確に示されているし、ペーパーテスト等で簡単に結果が出る。だからカインは、人生の目標を勉学に捧げた。そうすれば誰も彼を咎めない、むしろ賞賛してくれる。幅広い知識を持っていれば誰もが尊敬の目を向けたし、将来は安泰だと持て囃された。そんなカインは美しい容姿も相まって女性からの人気も高かったが、彼の心を動かした女は人生でたった二人だけだった。
一人は、リリム・フネラル。カインは初めて彼女を目にした時、「この世にこんな美しい女がいるものか」としばらく言葉を失った。闇夜のように人を吸い寄せ、妖しく誘うような異常な美しさ。その深緑色の髪はどれだけ学びを重ねても正体がわからず、カインはその姿を見ると自分自身の存在が揺らいでしまうような危機感を抱いたものだ。
そしてもう一人は、アナベル。彼女は平民だが、可愛らしく小動物のような愛嬌があった。ただ美しいだけの女なら他にもたくさんいるし、カインに言い寄ってくる者も珍しくない。だがアナベルは見た目だけでなく、男性の心を捉えることに長けていた。子どものような純真さから垣間見える色気。そっと背中を押してくれることもあれば、頼り甘えてくれることもある。そのバランスの絶妙さに、カインは気が付けば夢中になっていた。
アナベルの本命は王太子イアンであり、自分はせいぜい保険でしかない。カインはその事実に薄々勘づいていたものの、心のどこかで「アナベルはきっと自分を好いてくれる」と信じていた。宰相として側にいれば、いつか結ばれる日が来る。公に認められずとも、想いが通じることはある……アナベルによって骨抜きにされたカインは、本気でそう考えていた。今の彼を動かしているのは座学や論理的な思考ではなく、恋に浮かれた男の単純な感情論である。
そんな調子で、彼はリリム・フネラルとリリアの調査を進めていくが――その最中に、巷で活躍する「踊り子のリリカ」の存在を知ることになるのだった。