フネラル公爵
フネラル公爵家の本邸は、異様な空気に包まれていた。
生活物資は馬車で公爵家の門の前まで運ばれ、警護の人間が中身を徹底的に確認してから邸宅内に運ばれる。ルシウスとフネラル公爵が屋外に姿を見せることはなく、代わりに使用人たちが緊張した面持ちで外を見回ることが多くなった。屋敷の窓のカーテンは全て閉め切られていて、公爵家の人間が何をしているかは外から窺うことすらできない……さながら籠城戦のような状況を、フネラル公爵領に住む人々は遠巻きに見つめていた。
自害した公爵令嬢。姿を消した公爵夫人、もといルシウスの母親。そういえば、前の公爵夫人も若くして亡くなった……「やはりフネラル公爵家には悪魔が住んでいるのだ」という噂が広がる中、数週間が過ぎた。
――その日も日用品を積んだ馬車が門の前までやってきて、門番が中身を確認しようかとしている時だった。
馬車の中から現れた人間を見て、警護の人間たちは腰を抜かす。しかし「彼女」はそれを気にも留めず、「通してくださらない?」と語りかけた。あくまで上品に、しかし一切の反論を許さないその口調に全員が息を飲む。なんとか、その場から走り出すことのできた使用人は慌ててルシウスとフネラル公爵の元に向かい……呂律の回らない舌を、無理やり動かした。
「大変です! お、お……お嬢様が!」
名前を出されずとも、誰のことを言っているのかすぐにわかった。公爵とルシウスは一度顔を合わせると、頷き合う。
「その女を敷地内に入れたら、門をしっかりと閉めろ。私が相手をするからルシウスは、屋敷内の人間に手配をしておけ」
それだけ言うと公爵とルシウスは素早く、執務室を出た。
フネラル公爵とルシウスたちが指示を出している間にも、彼女――リリスは大きな銛のようなものを持って、悠然と佇んでいる。その先端に突き刺された「それ」を見て、居合わせた使用人は悲鳴を堪えるのが精一杯だった。やがて警備の人間によって、リリスの背後で門が閉められると屋敷の扉がゆっくりと開く。
「ごきげんよう、フネラル公爵……」
おどけたように挨拶するリリスと、銛の先端に刺さったものを見てフネラル公爵は目を見開く。
銛の先端に突き刺さっていたのは、ルシウスの母――公爵夫人の首だった。
恐ろしさに目を見開いたまま、固まったその表情に生前の面影はない。土気色になった肌と髪には、乾いた血がへばりついている。その、首が刺さった銛を持つリリスはどこか楽しそうな表情すらしていた。フネラル公爵の眉が吊り上がり、憤怒で顔は赤く染まる。それでも公爵は静かに扉を閉めると、壁に背中をぴったり貼り付けるように立った。
「……お前がやったのか」
「私と、私の母がされたことをお返ししただけですわ。公爵様がお望みでしたら、首から下もお持ちしますが……」
言いながらリリスは、魔法の杖でも振るかのように軽く銛を動かす。だが夫人の首が落ちることはなかった、よほど深々と突き刺されているのだろう……ぐっと拳を握りしめる公爵は、屋敷に近づこうとするリリスを鋭く制する。そのまま、全ての感情を押し殺すように息を吸うと――公爵の目がすっと冷めたものに変わった。
「それ以上、我がフネラル公爵家の敷地内に足を踏み入れるな」
「あら、かつての娘にずいぶん冷たいことをおっしゃるのね。それとも、フネラル公爵は我が子の顔を忘れてしまったのかしら……」
「私の子はルシウス・フネラルただ一人だけだ。お前のように邪悪な娘など、私の子ではない」
「あなたが父親らしいことを、なさったことがあるとは思えませんけど……元フネラル公爵家令嬢が、こうして帰ってきたことは事実。少しは歓迎してくれたって良いのではなくて?」
くすくすと笑うリリスを、忌々し気に見つめる公爵。だがリリスが屋敷に歩み寄ろうとすると、「止まれ」と声を荒げ扉を強く叩いた。後ろ手で、しかし屋敷全体を振るわせるのではないかというほど強いその衝撃にリリスは立ち止まる。
「そんなに歓迎されたいのなら、歓迎してやる」
フネラル公爵がそう告げた瞬間――閉じられていた屋敷の窓が、一斉に開け放たれる。
窓の向こうには、リリスを狙って矢を番える使用人たちの姿が見えた。革手袋をはめ、弓を引き絞った彼らはルシウスの合図で一斉に矢を放つ。降り注ぐ矢の雨に、リリスは逃げる間もなく――何本もの矢が、リリスのその体に突き刺さった。
「化け物め。こちらが何の用意もしていないと思っていたか」
膝をつき、倒れ伏すリリスをフネラル公爵はせせら笑う。
「自分で『死』を選んだくせに、さっさと死なないからそうなるのだ。鬱陶しい、全てはお前が悪いのだろう」
おかげでこちらは迷惑している、と言い捨てた公爵はリリムによく似たその顔からすっと感情を消した。
「私はルシウスと、新しい妻の三人で穏やかに暮らしていくつもりだった。だからお前に『王太子の婚約者』という適当な場所を与えてやったのだ。なのに、お前は……せっかく美しく生まれたのだから、王太子やその側近を篭絡しておくなり平民の女を金で懐柔しておくなりしておけば良かったのだ」
無能な娘が、と吐き捨てる公爵の前でリリスは這いつくばることしかできない。せめて突き刺さった矢を抜こうとしたが、射抜かれた右腕では力が入らないのかただリリスの血を撒き散らすばかりだった。その様をじっと見つめながら、フネラル公爵は「なぜだ?」と不思議そうに尋ねる。
「なぜ、お前は母親と同じようにできなかった? お前の母親は私に何をされようと、じっと黙って耐えていた。私にどれだけ犯されようと、涙を流しながら一切抵抗はしなかった。お前も母親と同じようにしていれば良かったのだ。どうして、母親と同じようにせず自害するという愚かな道を選んだ?」
リリスは、それに答えることなく激痛に耐えながら懸命に立ち上がろうとする。だが公爵は「無駄だ」と笑い、一度しゃがむとリリスの目を見て語り掛ける。
「その矢には、お前の母に盛った毒を数倍濃縮したものが塗ってある。どの道お前はもうすぐ死ぬだろう」
リリスの黒曜石のような瞳に、動揺の色が浮かぶ。
言葉の意味を理解するのに、少なからず時間がかかったようだ。思わず手を止めたリリスは、フネラル公爵の瞳を真っすぐに見据える。自身とよく似た、その目はどこまでも冷ややかで――二人で視線をぶつけたまま、公爵は静かに述べた。
「お前も、お前の母も愚かな女だ。あの女は『跡取りになるルシウスが生まれたから』と離縁を言い渡した私を拒絶した。だから、毎日少しずつ毒を盛って死に向かうようにしたのだ。それでもお前が、物心つくまではなかなか死ななかった……」
だからルシウスは、私の子であるにも関わらずお前の「義弟」という形を取らざるを得なかったんだ。
フネラル公爵は忌々し気に、そう言い切った。




