フネラル公爵夫人
爽やかな潮風が、ルシウスの頬を撫でる。
「亡くなった旧友を偲ぶため」と称して訪れたこの地には、フネラル公爵家所有の別荘があった。元は海草を好んで食べていたというリリムの母親が所有していたものだったが、今は現フネラル公爵夫人――ルシウスの母であり、公爵家の後妻である女が足繁く通うお気に入りの場所となっている。彼女は海の近辺で採れる宝石に目がなく、今日も新しいネックレスを作らせにここへ来ているのだ。
とはいえ、海に近いこの場所をルシウスもまた気に入っていた。死体やそれに纏わる物証の数々を処分するのに、海はちょうどいい。別荘の一角にあるフネラル公爵家の墓に葬られていた、リリムとリリムの母親の亡骸を破壊した時もこの立地が重宝した。全ては波間に消え、もはや塵すら残っていないだろう。
代わりに思い起こされるのは、これから「処理」する予定のリリルのこと……美しいその顔は手元に置いておきたいが、リリムを嫌っていた母に知られれば面倒なことになるだろう。一度、癇癪を起こすと宥めるのが大変だ。何かの発作を起こしたように、叫び怒鳴り散らす母親の姿にはいつも辟易してしまう。
「ルシウス! あぁ、ルシウス! ここにいたのね!」
考えていれば、その母の声が聞こえてきた。煩わしい気持ちを抑えながら、ルシウスが振り向けば現フネラル公爵夫人が満面の笑みで駆け寄ってくる。「どうなさったのですか」と聞いてみれば、彼女はあどけない少女のように捲し立てた。
「見てちょうだい、このネックレス。職人に新しいものを作らせたのよ、『公爵夫人であるこの私にふさわしいものを作りなさい』って。ねぇ、綺麗でしょう? 私に似合っていると思わない?」
「はい。よくお似合いです」
「そうよね、ルシウスならそう言ってくれると信じていたわ。あぁ、ルシウス。私のルシウス、今日はあなたの分の首飾りも作らせたの。私とお揃いのデザインなのよ、今から着けていくのが楽しみだわ」
はしゃぐ母親に対し、ルシウスは冷めた気持ちでいた。いつものことだ、と思いながら表面上は穏やかな笑みで取り繕うルシウス。そんな彼の前で公爵夫人は一人で興奮し、勝手に「早くお父様にも見せてあげないと」と騒ぎ続ける。
「私とルシウスがお揃いのアクセサリーを着けていたらあの方、きっとびっくりしながら喜んでくれるでしょうね。あぁ、でもそれなら家族三人分を作らせておけば良かったかしら。ルシウスもお父様も、素敵な男性だからきっと宝石がよく似合うはずだし……それにしても私はなんて幸せ者なのかしら。真実の愛を貫き、素敵な殿方と結ばれ私は幸せ者だわ。旦那様は私を見初め、愛を貫いてくれた王子様。ルシウスはそんな私と彼の間に生まれた、私の天使よ」
公務のため、ここにいない夫まで引き合いに出しながら幸福を噛み締める公爵夫人。うっとりしたように語る母の姿に、ルシウスは心の中で肩をすくめた。
ルシウスの母親は美しく、年齢を感じさせない若々しさがある。
親子ということもあってその顔立ちはルシウスに似ているが、彼女には色気と生まれ持った力強さと言うべきものがあった。この世の全ては自分のためにあると信じているような、尊大な態度。物事の中心が自分にないと気が済まないような、強迫観念すら感じさせる眼差し……その目がルシウスの、焦げ茶色の瞳を見つめる。それからルシウスの顔を愛おし気に撫で、満足そうに笑った。ルシウスもまた、上機嫌な母に対し貼り付けたような笑みを浮かべる。
――ルシウスの母は息子、公爵家の血を引く優良な美男子を産んだことでリリムの母親に取って代わることができた。
フネラル公爵家ほどではないが名家の生まれであった彼女は、歳の離れた兄たちに溺愛されて育つ。その兄たちが早々に家を継いだためか、自由に生きることを許されたルシウスの母親は次第に他者を篭絡する術へと長けていった。
自分を相手が望むような姿に魅せる、他人の心を掴んで離さない……リリムの父を射止められたのも、そういった「演出」が上手かったからだ。「公爵」という権力者が自身に傾き、正妻であるリリムの母を放り出す様は見ていて実に楽しかった。
そんなルシウスの母に、眉をひそめる人間もいたが――そういう時は相手が自分の前から姿を消すまで、徹底的に追い詰めれば良かった。気に入らないところ論い執拗に罵る、攻撃し続けることで相手の心をへし折る。何度も繰り返してきたことだ、その果てに「ルシウスの誕生」と「リリムの母の死」という事実が重なり――ルシウスの母親は名実ともに「フネラル公爵夫人」としての立場を勝ち取ることに成功したのだ。
唯一、目障りだったのはリリムという前妻の忌々しい遺産が存在していたことだ。
王太子イアンの婚約者で、王妃教育もこなす隙のない才女。そのダンスは王城に勤めるダンス教師すら「千年に一度の逸材」と舌を巻くほどであり、常に公爵令嬢として完璧な立ち居振る舞いをしている。同じ女性ですら圧倒されるほどの美貌と、奇妙な深緑色の髪が余計に苛立たせた。他人が気にも留めないような小さなことが、癪に障る。リリムの行動全てが憎たらしく、自分を小馬鹿にしているように見える。愛するルシウスの「義理の姉」であり、自分もまた「公爵家の子ども」として認めなければならない存在。そんなリリムの存在そのものが、フネラル公爵夫人となった彼女にとって不愉快極まりないものだった。
だからリリムが死んだ時は「清々した」と思ったし、自ら命を絶ってくれたことを幸運だとさえ感じた。
それでもなお、その亡骸を残すことすら苛立たしかったので――前フネラル公爵夫人のものと合わせて、遺体を徹底的に破壊しつくしてやったのだ。
もうお前たちに居場所はない。公爵家のものは全て、自分たちのものであると主張するように……そうして全てを共有することになった息子ルシウスは、彼女にとって愛しくて堪らない存在だった。恋人のようにべったりと、息子に纏わりつけばルシウスはそれとなく姿勢を変える。母との距離が空いたところでさりげなく、片手を挙げながら「この別荘にはいつまで滞在しますか?」と尋ねた。
「僕はそろそろ、学園に戻りたいと思うのですが……母上を一人で残しておきたくないので、できれば一緒に出発したいのです。だから、支度を……」
「まぁ、ルシウスったら嬉しいことを言ってくれるじゃない!」
それでこそ私の息子だわ! と浮かれる母だったがルシウスの目は冷めきっていた。別に、母を喜ばせるためにそう言ったわけではない。ただリリルの死体を目にすれば、この母がどれだけ騒ぐかを考えただけなのだが――そうとも知らず、熱っぽい目すらしている母とルシウスは歩く。
「そうね。ルシウスもゆくゆくは次期公爵としてお父様の仕事を手伝うようになるし、港の運営権の一つが隣国所有になったからこれからは隣国と接する機会も増えるはずだわ。そのためにはきちんと学園を卒業しておかないと……あぁ、そうだわ。屋敷に戻る前にこの別荘の庭園でお茶していかない? 前からずっと咲いてたあの赤い薔薇、ようやく全部白い薔薇に植え替えさせたのよ」
薔薇について言及したルシウスの母の顔が一瞬、不快感に歪む。だがそれを振り払うように「おかげで今はとっても綺麗なの」と言い、またルシウスへの情愛が籠った笑みを浮かべた。
――たくさんの赤い薔薇は、リリムの母が存命だった頃からこの別荘に植えられていたものだった。
リリムに「朝露に濡れた薔薇」という異名があったためか、その薔薇はずいぶん大切に育てられていたたようだ。どこに植えられていても目を引く、真っ赤な花びら。どんなドレスよりも華やかで、存在感のある造形。一本一本が、手間をかけられて育ったがゆえの美しさを発揮していた。
だが、ルシウスの母はそれがますます気に食わなかったらしい。だから手間暇かけて白い薔薇を集めさせ、赤い薔薇を一本残らず処分し、ごっそり入れ替えてしまった。それぐらいリリムの母が残した、リリムのような赤い薔薇が気に入らなかったのだ……しかし、そんな事情はルシウスにとってどうでもいいことだった。
「そうですね、ぜひそうしましょう」
どうせリリルの首は、この母親に見つからないよう自分の手元に置きたいと考えている。
そのためには適当に、母の機嫌をとっておかなければならない。リリルの首はあの苛烈な最期を思い起こさせる、大切な記念品だ。薔薇などよりよほど美しく、価値ある『それ』を入れるためなら安いもの……そんなことを考えたルシウスは、心にもない笑みを浮かべるのだった。




