リリルとルシウス
リリルが目を覚ますと、暗い天井が見えた。
咄嗟に起き上がろうとしたが、体が動かない。どうやら首と腰元、肘と膝をそれぞれ太いベルトで固定されているようだ。さらに両方の手首と足首もそれぞれ、ベッドの脚らしき場所に括り付けられていて……全く身動きができず、ギシギシとベッドを揺らすことしかできないリリル。その視界に、美しい青年が入り込んでくる。
「お久しぶりです、姉上……」
至って冷静に、淡々とした口調で語り掛けるルシウス。リリルは「どなたかしら?」と首を傾げようとするが、そこで自分の長髪がベッドの上に広げられていることに気がついた。怪訝な顔をするリリルの眼前に、ルシウスはズタズタに切り裂いた帽子を突きつける。
「こんなもので髪を隠すなんて卑怯ですよ。おかげで僕がどんなに、苦労したことか……ですが黒い髪の一部が深緑色に染まっている、この世で一番の美女はあなただけでした。本当に、姉上は何をしていてもお綺麗ですね」
それだけ言うとルシウスは帽子から手を離し、床に落ちたそれを足で踏みつける。歯の浮くような世辞とは裏腹に、その行いは乱暴で確かな悪意を感じさせた。
そんなルシウスにリリルは眉を顰め、「一体何のことでしょう」と尋ねてみせる。
「私、あなたのような弟を持った覚えなどございませんが……何か、勘違いをなさっていませんか? 私は女道化師として各地を転々としていますし、この緑の髪は別の街でショーをしている最中に失敗してこうなってしまっただけです。そもそも髪の一部を別の色になっている人間など、大して珍しくもありませんし私は何も……」
そう話すリリルの喉元を、ルシウスが乱暴に掴む。
片腕だが、ベッドへ抑えつけるように行われたそれはリリルの呼吸を塞ぐのに十分だった。息ができず、悶え苦しむリリルの姿をルシウスはじっくりと目で味わう。そこからぱっと手を離し、一時的にリリルを解放するとルシウスは嗤いながら話し始める。
「この期に及んで、つまらない冗談はやめてください。僕は『死んだ筈のリリム・フネラルが何度も舞い戻ってくる』という話を聞いて、ずっと姉上を探し続けていたんです。その最中に親しい先輩方は亡くなった、その裏にはいつもリリム・フネラルそっくりの謎の美少女がいた……僕がこの状況に、どんなに心を砕いたかわかりますか? 悲しくて胸が張り裂けそうな中、それでも僕はあなたに会いたかった。だからこうして、今あなたと一緒に会話できるのが嬉しくて仕方ないのです」
抑揚のある話し方と、仰々しい表現の数々。しかしそれを聞いているリリルは荒い息を整えようとするばかりで、ルシウスの話に耳を傾けている様子は微塵もなかった。それどころかその黒曜石のような瞳は冷めきっており、呼吸が落ち着いた頃には「それこそ冗談でしょう」と吐き捨てる。
「あなた……噂ではフネラル公爵家領に籠ってばかりで、王子やそのお友達の方々が不幸に見舞われた時もほとんど顔を出さなかったそうではないですか。北の療養所には行ったらしい、と街の人々は噂していましたがそれも数回きりだったと……結局、その『親しい先輩方』はあなたにとってその程度。あなたは他人を操って、自分の思い通りにすることでしか満足感を得られないのでしょう? 愛されるのは自分が相手を利用するためで、自分から他人を愛することなんて決してない。自分の利益になる人間にしか興味がない、他者を操り自分の周りを都合のいい駒に仕立て上げることしか考えていない」
そういう、空っぽな人間だから今ここにいる私が「死んだ姉に違いない」なんて馬鹿げた妄想に取り憑かれるのでしょう。
淡々と、突き放すように告げるリリル。その口調はルシウスの感情を込めた話し方とは真逆のものだった。
だが、リリルのその言葉が仄暗い部屋の中で妙にはっきりと響くと――ルシウスがふっと真顔に戻る。
「やっぱり、姉上は姉上じゃないですか。その姿も、声も、何もかもを見通しているかのような口ぶりも。そうして、あなたは復讐してきたんでしょう。自分を苦しめた人間たちが許せなくて、何回も舞い戻っては周囲を攪乱して、その果てに今度は僕に会いに来てくれた。……僕は、それに応えるつもりでここに姉上を呼んだのです」
そこで、ルシウスが口角を非対称に上げてみせる。その笑みは心底、愉快であることが伝わってくる明るくも禍々しいものだった。
ルシウスが「来い」と命じると、いつもルシウスに付き従っている二人の従者が部屋へと入ってくる。室内の空気を窺いながら、緊張気味に入ってくる彼らは一人の少女の手を引いていた。
少女はルシウスやリリルに比べて、ずいぶんと幼いように見えた。
必要以上に委縮し、不安げに周囲を見回すその姿からはより一層「小柄」という印象を受ける。栄養失調のためか肌は乾燥し、全体的に薄汚れた髪は乱暴に肩の辺りで切り揃えられていた。
これから何が起こるのか、何が行われるのか。それはルシウスの従者たちも知らないのだろう。緊張した面持ちで、縛られたリリルを見つめる彼らをよそにルシウスは含み笑いをしながら告げる。
「姉上は復讐のために、僕から大切な先輩を奪いました。だから、その罰を受けてもらわなければなりません。アナベル、カイン、エドガー、イアン……奪われた命は四人です。……ちょうど、両手両足を合わせれば足りますね」
言いながら、ルシウスが部屋の壁に手をつく。視界が悪いせいかわかりづらかったが、そこには隠し扉があったようだ。
開いた扉からルシウスが取り出したのは――錆びついた斧だった。
「お前が切り落とせ」
ルシウスの鋭い言葉が、小さな少女へと突き刺さる。
おぞましい物体の登場に、顔を引きつらせていた彼女は言葉を口にすることができず唇を震わせた。従者たちも目を見開き、少女の手を握ったまま動けなくなる。だがルシウスは従者たちから少女の手を引き剥がし、その手に無理やり斧を持たせた。
「っあ……あっ……」
斧を手にした少女は、真っ青になりながらその場でよろめく。だがルシウスは微笑みを崩すことなく、リリルの方へと向き直った。
「両手両足を失って、それでも姉上が生きていたなら償いは終わったとして許して差し上げましょう。その時は僕が自分の部屋で、姉上を大事に大事に『飼って』あげます。だから姉上、頑張ってくださいね」
美しい顔に邪悪で、嗜虐的な笑みを浮かべるルシウス。そんなルシウスにリリルは落ち着き払って「そう簡単にはいきませんわ」と呟いてみせる。
「人間には骨もあれば、筋もある。それを一撃で、確実に切り落とすには腕のいい処刑人がきちんと手入れした道具を使わなければなりません。そうでなければ罪人はなかなか死ぬことができず、地獄のような苦しみを味わいながら処刑をやり直すことになるのだとか……だから、私の手足を切り落とすことなんてできないでしょう」
そんな小さな女の子に、錆びついた斧を持たせたところで時間ばかりかかるだけです。
リリルのその言葉を聞き終えたルシウスは、すっと無表情になる。
そのまま、縛り付けたリリルの方へ近づくと深緑色の髪を静かに掬い上げた。それからリリルの耳へそっと唇を近づけ、吐息を吹きかけるように告げる。
「そんなことはよくわかっていますよ、姉上。だからわざわざ救貧院で、一番痩せてて力の弱そうなこいつを選んできたんです」




