フネラル公爵家令息
ルシウスとその従者に挟まれ、医師は冷たい大地を踏みしめる。その様はさながら処刑場へ連行される罪人のようだった。それでも看護士の同行を拒否し「自分一人で案内する」と申し出た医師にルシウスは氷柱よりも冷たい視線を向ける。
「先生はずいぶんと療養所の人間を大事になさっていようですね。イアン様と一緒に死んだという、リリィとかいう女にも目をかけていたのではないですか?」
「……それの何かおかしい? 私の下で働く以上、彼らの身柄も私に責任がある。ましてこの療養所のように、辺鄙で自然環境の厳しい場所では他者との関りが必要不可欠となるからな……」
言いながら医師は、苦々しい顔で唇を噛み締める。
患者だけではない、共に働く看護士のことも医師である自分に責任がある。
それは嘘偽りのない医師の本心だった。だが今の自分はリリィに全ての罪を擦り付け、事を収めようとしている。他の看護士のため、療養所の存続のため、と言い訳を並べることはできるが責任から逃げ出したことに変わりはないのだ……それでも最後に、リリィの声で「許しましょう」と聞こえた気がするのは都合のいい幻聴だろうか。そんな葛藤を抱える医師に、ルシウスは言葉を投げかけてくる。
「それはまた、ご立派な信念をお持ちですね……なら、イアン様はどうでしたか? 元婚約者、私の姉だった女に対して何か言ってませんでしたか?」
妙に乾いた声音のそれに、医師は何かが引っかかった。だが複雑な胸中を取り繕うためか、特に抵抗もなく医師は淡々と答える。
「『症状』がひどい時は精神的に不安定になり、何か言うこともあったが……いずれも妄想から来る、出鱈目なことばかりだった。無意識に婚約破棄への負い目を感じていたのかもしれないが、大概は幻覚や幻聴を拗らせたものばかりで……」
「――本当にそれだけですか?」
ルシウスの鋭い一言が、医師の言葉を遮る。
はっとしてルシウスの顔を見つめなおせば、驚くほど冷ややかな目がそこにあった。宙を飛ぶ羽虫を追いかけるような、無関心だが徹底的にこちらを見下しているような目。ルシウスの尋常ではないほどの美しさが、その威圧感をより一層際立たせる。思わず息を飲む医師に対し、ルシウスは続けた。
「死んだリリムのこと、イアン様の恋人や友人の死にリリムそっくりの女が関わっていたこと、我がフネラル公爵家のこと。そういう話を、したことはなかったんですか? お医者様なら『患者』の話はよく聞いていたでしょう。それを全て、ただの『病気』だとしか思わなかったんですか?」
息つく暇もなく、すらすらと語り掛けてくるルシウス。そこにはイアンの死を嘆く様子も、無力な医師を糾弾する怒りも見られない。ただ全てを詳らかにするため、目の前の事象を淡々と処理している……何かおかしい。咄嗟にそう感じた医師だったが、それでも黙ることはしなかった。
「イアン・ロードはあくまでこの北の療養所の『患者』であり、酷い幻覚や幻聴が続いていた。その言葉を全て信じ、肯定するとかえって症状が悪化してしまうこともある……だから、そのリリムとかいう少女についてのこともなるべく聞き流すようにしていた」
「そうは言っても、診療録とか経過観察とか何かしら記録は残っているでしょう。その辺りも、全く記憶にないとおっしゃるんですか?」
「……部外者に患者の情報を提供することは、禁じられている」
医師はそれだけ、なんとか振り絞るように答える。医療に携わる者が守るべき、最低限の常識。誰が相手であっても、口にすることのできる模範解答。だがそれを耳にしたルシウスは、そっと医師の方へと歩み寄ってくる。
困惑しつつ、後ずさる医師だが背後にはルシウスの従者がいた。逃げ場がない、と悟ったその矢先に――ルシウスがいきなり医師の腹を、思い切り殴りつける。
「っぅぐっ!?」と叫び、痛みによろめいた瞬間に従者たちが医師の両腕をがっしり掴んだ。一瞬で身動きを封じられてしまった医師に、ルシウスは改めて問いかける。
「……これは、聞いた話なのですが人間は小指を失っただけで握力が半減してしまうそうなんです。先生のようなお医者様はよくご存知かもしれませんが、にわかには信じられないもので……それで、イアン様はリリムについて何を言っていたんですか? 詳しく、教えていただくことはできませんか?」
腹部に残る鈍い痛みと、従者たちによる容赦ない拘束。その最中で降りかかってくるルシウスの言葉は、この北の療養所の寒さより酷く冷たいもののように聞こえた。突然の暴力に混乱しながら、医師は考えを巡らせる。
ルシウスとイアンはお互いに、「親しい学友」という認識を持っていたはずだ。
そうでなければこの辺境の地まで見舞いに来ることはないだろう、だが思い返してみればイアンの妄想が激化したのはそのルシウスと会った後だった。そう気がついた瞬間、医師はイアンの言っていたことを思い出す。
『ルシウスが言っていた』
『リリムは何度も蘇ってくる』
(まさか、イアン・ロードを凶行に走らせたきっかけはこの男にあるのか……?)
医師の背中を、冷や汗が流れる。まさか、そんなはずない。ありえない。そう言いたいが、言い切れない状況が現実に存在している。自死したというリリム・フネラル。その後、立て続けに起こったイアンとその周辺にいる人間の不審死。そして、それを探りに来たフネラル公爵家令息・ルシウスという男。何もかもが医師の想像を超えていて、医師は漠然とした謎を抱えることしかできない。
「黙っていたらわかりませんよ、先生……さぁ、どうなんです?」
ルシウスが美しい顔を医師に近づけると、従者たちの腕に力が入る。ただそれだけのことだが、医師は明確な恐怖を感じた。
イアンが北の療養所に来る前、何が起こったかは大まかに聞かされている。
公爵令嬢であったリリム・フネラルの自殺、その後に起こった不可解な死。イアンの静養の理由が「その末に精神を病んだから」ということにされているのも、ルシウスは知っているだろう。
にも関わらず、なぜルシウスはリリムのことを聞きだそうとするのか。そこまでリリムに執着する理由は何なのか――その続きを考える前に、医師は答える。
「っ……あの王子は元婚約者、君の姉については前から色々と言っていたが……どれも非現実的で、馬鹿げた話ばかりだった……悪魔の娘だとか、母親も悪魔だったとか……どれも罵倒交じりで、まともに記録には残していない……」
本当のことだ、と苦し紛れに言い終えた医師をルシウスがまじまじと見つめる。
イアンの言葉がどれも現実味のない内容ばかりであったこと、そのほとんどがフネラル公爵家令嬢と元公爵夫人を貶すものであったこと。それゆえ書面に残しづらかったことは事実だ、加えてリリィに全ての責任を押し付けたこともあってイアンの診療記録は必要最低限のものしか残していない。
だから医師は、言い切った。例えルシウスが何をしようとも、証拠となるものは残っていない。看護士たちを尋問したところで、保身のために自ら口を噤むだろう。何より医師はリリムや彼女によく似た令嬢たちのことを知らない、リリィの奇妙な死についても未だ全容を掴めないでいる――それを感じ取ったのか、ルシウスはつまらなそうに鼻を鳴らした。
「わかりました。イアン様が残したものがあるなら、私宛に送ってください」
それだけ言ってルシウスが目を逸らすと、従者たちがぱっと医師から手を離す。解放された医師は途端に荒い息を吐き、その場でよろめくがルシウスはそれに目もくれない。
「ありがとうございました。失礼します」
事務的にそう言って、踵を返すルシウスは一見すると礼儀正しい美青年に見える。何も知らなければ誰もが、その計算されつくした所作と異次元にいるかのような美しさに魅了されるだろう。
だが医師は――その裏にある異常性を見せつけられた。
友人であるイアンの死を不審がる様子もなく、姉だったらしい女の方が気になる。その真相を探るためならきっと、彼は何でもする。身目麗しいフネラル公爵家令息、だがその裏にはきっと――常軌を逸した何かがあるのだろう。
その後ろ姿を見送りながら、医師はしばらく立ち尽くすことしかできなかった。




