医師とルシウス
「イアン様がお亡くなりになったと聞いて、信じられない気持ちで来てみたら……その話、本当なのです?」
そう尋ねるのは眉目秀麗、誰もが息を飲むほどの美青年。フネラル公爵家令息・ルシウスは医師たちに疑わし気な目を向けている。彼を出迎えた数人の看護士は、見る者を圧倒するその佇まいに早くも焦りを見せていた。だが医師は至って冷静で、まだ若い彼に臆することもなく言い返してみせる。
「職務の一端として患者を労わっていることを、自分への好意と解釈してしまう患者は少なくない。ましてイアン元王子は極限状態にあり、思い込みの激しい所もあった。共に死んだ彼女と、どのようなやり取りがあったかもわからないが……状況的に二人が私たちの目を盗んで外へと抜け出し、その最中に揃って死亡したとしか考えられないだろう」
医師が回答――療養所内の人間が尋問される前に、予め想定し示し合わせておいた内容をさも「仕方がなかった」と言いたげな口調で話して見せる。だがルシウスはそんな医師に厳しい目を向け、疑わし気に腕組みをしてみせた。
「イアン様は平民の娘と恋に落ち、学園の卒業パーティーで私の姉上に婚約破棄まで突きつけました。そのイアン様が、たかだか療養所で見かけただけの女に執着すると? 言い寄られた助手の女の方も、それを受け入れたとおっしゃるのですか?」
「……イアン元王子はそれなりの美形だったし、助手の方も言い寄られて悪い気はしなかったのかもしれない。いくら私が医師で、彼女を助手として雇っていたとしても私生活や個人の感情まで掌握することは不可能だ。もちろん、私に監督不行届なところがあったことは否定しないが……イアン元王子の学友である君には、本当に申し訳ないことをした」
そこまで言うと、医師は深々と頭を下げる。居合わせた男性看護士たちに動揺が走るが、ルシウスは至って冷静だった。
「大切な人間を続けて失い、心が弱り切ったところに縋りつく相手を見つけてのめり込んでしまったと……ありえない話ではないですね。そうして結ばれた二人が療養所を抜け出した末に、湖へ転落死したというのも……考えられなくはない『悲劇』です」
ずいぶんと「不幸な」話だと思いますけどね
言葉の一つ一つを強調し、含みのある言い方をするルシウス。医師もまた、頭を下げたままその言葉に反論しようとはしない。
二人とも、わかっているのだ。医師は「イアン・ロードとリリィは二人で密会している最中に事故で亡くなった」という筋書きを通す必要がある、そのための工作活動だって徹底的に行っている。ならば後はさりげなく、しかし頑なに「勝手な行動をした患者と助手が悪い」という方向に話を持っていくことしかできないのだ。そのためなら頭ぐらい下げるだろう、とルシウスは踏んでいる。実際、医師もそのつもりでこの場に立っているのだ。
互いに、相手の目論見を見透かしてはいるがそれでもあえて茶番を演じている――そんな状況に飽きたのか、ルシウスは頭を下げたままの医師を鼻で笑い「顔を上げてください」と不自然なほど落ち着いた口調で言い渡す。
「お医者様のお話は、よくわかりました。ですが……できれば他の方の話も聞きたいところですね。特に看護士の方々、あなた方だってその助手の女と接する機会も多かったでしょう? その助手の女はどんな女でしたか? 本当にイアン様と親しかったのか、詳しくお聞きしてよろしいですか?」
その言葉と共にルシウスのぞっとするほど美しく、冷たい目が看護士たちの方へ移る。その途端、医師の後方で控えていた看護士たちは一斉に目を泳がせた。だがルシウスはそのうちの一人につかつかと歩み寄ってくると、そっと彼の耳元へ近づき囁くように尋ねる。
「どうなんですか? その、イアン様の心を奪ったという女は一体どんな女だったのです? イアン様とは親しい様子があったのですか? どんなに小さなことでも良いですから、何か知りませんか?」
「っえっと……すいません……」
「『すいません』なんて、言わなくていいですよ。ただ、『わからない』なら『わからない』と答えてくれればいいんです……さぁ、どうなんですか?」
ルシウスの尋問に、看護士は咄嗟に医師の方へ目を向ける。その救いを求める視線に反応したのか、今度は医師がルシウスの方に近づき「それなら私が答える」と宣言した。
「その助手……名前は『リリィ』と言った。容姿は本当に美しかった、この療養所での働きも本当に献身的だし患者が恋心を抱いてしまうのも無理はなかっただろう」
「……それだけですか? 他に何か変わったところ……例えば髪とか、何か特徴はなかったのですか?」
「……普段は診療中に邪魔にならないよう、編み込みをしていたから特に気にしたことはなかったな……」
いきなり「髪」という限定的な質問をされた医師は、ほんの少し戸惑ったものの素直にそう答える。
リリィの奇妙な緑色の髪が、全く気にならなかったと言えば嘘になる。
それはここで働く看護士たちも同じだろう、だがこの北の療養所という閉鎖的な場所でわざわざそれを言及することもなかった。編み込みによって髪の色がわかりづらかったことは事実であるし、医師はイアンの恋人や友人――アナベル、カイン、エドガーの死に際にリリムにそっくりな女性が関わっていたことを知らないのだ。だから医師は、そう言い切ったが……ルシウスはその姿をしばらく、無感情な目で見据えた後にその言葉が嘘ではないと悟ったのか、医師から目線を外し再び看護士の方に目を向ける。
「ところで……私がイアン様に贈ったペンダントはどうしました? イアン様にはなるべく、肌身離さず着けるようにお願いしていたのですが……看護士の皆様。あなた方は一番患者の近くにいたでしょう? 見たことがありませんか?」
「……と、その、わかりません」
「わからないんですか? 看護士なら毎日、患者の様子を見るでしょう。私がイアン様に面会した時も同席した看護士がいるはずです。本当に見覚えがないんですか? 香り玉の入ったペンダントですよ、本当に全く覚えてないんですか? 誰も気づいてなかったんですか?」
「あ、アクセサリーや、装飾品までは……」
「この北の療養所にいる皆様が、一人もわからないんですか?」
静かながら耳の奥まで響き渡るようなルシウスの声は、淡々と聞く者の精神を押し潰していく。威圧され、徐々に声が小さくなっていく看護士たちの前へ立ち塞がるように医師が割って入った。睨みつけるルシウスに対し、医師も負けないようにと言い返す。
「親しい先輩を失くし、途方に暮れるのはわかる。だが、そんなに言うのなら私がこの療養所の中を案内してやろう。イアン元王子が助手の女と共に命を落とした湖も教えてやる、だから好きなだけ調べてくればいい。ただし……外を調査するなら気をつけることだ。この療養所で治せるのは凍傷ぐらいで、凍死や溺死までは治せないぞ」
医師は肝が冷えるのを感じながら、それでも精一杯に断言する。
医師も看護士も、ペンダントの存在には気づいていた。当然だ、あの日イアンはどういうわけか激高し、リリィの前でそのペンダントを踏みつけてから彼女に襲い掛かった。リリィやイアンの血痕を処理しながら、医師や看護師は無下にされたペンダントも必死に探した。だが、どうしても見つからず……そのうち、冷え込んでいく空気と降りかかってくる雪で作業を断念したのだ。
もし何か遺留品が残っていても、「それはリリィが勝手に持ち出した」と言えばいい。何より、この療養所での暮らしに慣れている人間さえ身体的な負担の大きい寒さと何度も降り積もる雪が物証を揉み消してくれる……そんな淡い期待だけに縋った、賭けのような言葉だがそれでも医師はあえて堂々とそう言い切った。
その言葉を聞いたルシウスは――「では、湖だけ少し見せてもらいましょう」と恐ろしく冷たい声音で言ってみせたのだった。




