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その令嬢は舞い戻る  作者: ミント


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リリィのダンス

 その場にいる全員が薄氷を履まされているような、危機的状況。その異様さにようやく看護士たちが気づき、同時に慌て始める。




 疲れからつい居眠りをしてしまい、慌てて目を覚ました時のようだ。


 そもそも、なぜ看護助手で女性のリリィに「雪かき」という重労働を手伝わせているのか。なぜ、休憩している最中にシャベルを放り出してリリィのダンスに見惚れてしまっていたのか。そもそもリリィが急に踊り出した理由も、何だったか思い出せない。リリィが「私はダンスが趣味なんです」と口にして自分から踊りだしたのか、それを聞いた誰かが「なら、踊ってみせてくれ」と言ったのだったか……全てが吹雪の中、霞む視界の中で白んで見えなくなってしまったようだった。




 それでも医師から「イアンはリリィと顔を合わせないようにしなければならない」と指示されていたことを思い出し、看護士たちは慌てて立ち上がろうとする。だが――先ほどまでリリィのダンスに心を奪われていた彼らは、誰一人としてその場から動くことができなかった。リリィのダンスに見惚れている間、体が凍えて手足に力が入らなくなってしまったのか。それともリリィのダンスに心を奪われたことで、思考力が異常なまでに低下されているのか。戸惑い、慌てながらそれでも成り行きを見守るしかない看護士たちの前でリリィがイアンに語り掛ける。


「……どうなさったのですか? 患者の外出には先生の許可と、看護士の付き添いが必要なはずですが……」


 言いながらリリィがちらりと、男性看護士の一人に目を向ける。彼は「イアンの監視役」としてイアンに同行しておきながら、リリィのダンスと歌声によってまるで誘き出されるようにイアンをここまで連れてきてしまった張本人だ。その致命的な過ちを自覚しているのか、リリィに申し訳なさそうな顔を向けてはいるが――彼もまた他の看護士たちと同じ様に、全身を氷漬けにされたかの如く動けずにいた。そんな看護士たちを振り切り、イアンが青い目を吊り上げながらリリィに低い声を投げかける。


「悪魔の娘め……よくも僕の愛する女性を痛めつけ、大切な友人の名誉を傷つけたな」

「何のことでしょう? 私はこの北の療養所で働く、ただの助手です。看護士ですらない、つまらない女ですよ……」


「っそうやって、言い逃れして……! 僕はお前の正体を、知っているんだぞ!」


 言いながらイアンは自分の首元に手をやり、ペンダント――ルシウスから受け取った、リリムの母親のものであったというペンダントを自らの首からもぎ取る。その勢いのまま、地面に投げ捨てるとリリィの顔色が明らかに変わった。それを確認したイアンはさらに、声を張り上げる。


「わかっている! お前の母親は悪魔、その母親から生まれたお前も悪魔なんだろう!」


 その言葉と共にイアンはペンダントを踏みつけ、看護士が手にしていたシャベルの一つを拾い上げる。


 看護士たちは息を飲みながら、どうにか立ち上がろうとするがリリィはそれを制するようにイアンの方へ近寄っていった。その表情にはもはや怒りの色はなく、むしろ駄々をこねる子どもを宥める時のような穏やかな笑みさえ浮かべている。


「悪魔だなんて、そんな非現実的なものが存在するわけないでしょう……あなたが考えているそれは、全て『病気』から来る症状によるものなんです。いつまでもそんなことを口にしていたら、あなたの家族が悲しみます。この療養所であなたが暮らせているのは、あなたの家族がそうしてくれたおかげなのですよ。だからそんな危ないものは置いて、先生に相談する時間を……」


 優しく、諭すような声音であるが完全にイアンを「頭のおかしい患者」として扱っているものだ。その言い草に、より苛立ちを募らせたイアンは――シャベルを振り上げ、リリィに向かって叩きつけた。


 肉がひしゃげ、鎖骨が折れる鈍い音が響く。王侯貴族として剣術の教育は受けてきたが、北の療養所での生活が続いたせいか体力が落ちていたようだ。重いシャベルはリリムの肩あたりに当たり、その痛みにリリィががくんと膝をつく。看護士たちは動けないまま、短い悲鳴を上げた。シャベルを振り上げ、さらに攻撃を加えようとするイアンにリリィはか細い声で呟く。


「……おやめください……こんなことをすれば、あなたの家族が辛い思いをすることになるでしょう……」


 イアンはそんなリリィの言葉を無視して、思い切りシャベルを振り下ろす。重く、冷たい刃先が頭を直撃しリリィや雪の上へ倒れこんだ。だがイアンはそれでも止まらない。腕に、背中にとイアンは執拗にリリィの体へシャベルを叩きつける。骨が折れ、鮮血がほとばしり、それでも抵抗しようとするリリィをイアンはひたすらに嬲り続けた。




 ――アナベルは何度も蹴りつけられた末に、無残な姿になって殺された。


 真相を追っていたカインは暴行犯の濡れ衣を着せられ、エドガーは騎士としての誇りを踏みにじられた上に殺された。愛する女性と大切な友人、イアンはその三人を屈辱的な方法によって奪われたのだ。


 自分はリリムを――何度殺しても必ず、舞い戻ってくるこの女を少しでも苦しめ確実に殺さなければいけない。今の自分なら「患者だから」という理由で刑も軽くなるだろう。それにイアンは「元」とはえい王太子の座についていた人間であり、今も王子という身分そのものは失っていないのだ……高貴な血の持ち主である自分は、何をしても許される。王家という絶対的権力者の血を引く自分が、不当な裁きを受けることはない。だから、イアンはここで何としてでもアナベルとカイン、エドガーの仇を取るべきなのだ。誰もが認める、唯一かつ絶対的な血統。その一員を担うイアンは、自分たちに害をなした悪魔を成敗しなければならない。そう思い込んだイアンはリリィの返り血を浴びながら、何度も何度もシャベルを振るい続ける。




 そのうち、体力が尽きたのかイアンがシャベルを取り落とすと――そこでようやく、固まっていた看護士たちが動き出す。


「おま、お前、なんてことを……!」


「っうるさい! これは正しい『鉄槌』だ! 僕は由緒正しい、この国の王の血を引く者だ! だから僕は何も間違ってない! 僕は誰にも、裁かれないんだ!」


 そう叫ぶイアンは目を血走らせ、荒い息を吐いている。錯乱し、何をするかわからない様子のイアンに看護士たちはそれでも近づこうとした。だがイアンはそれを振り切り、そのまま走り出す。


「捕まえろ!」


 追いかける看護士たちの声を背に、イアンが足を止めることはない。おぞましい行いをした後ながら、今のイアンは達成感でいっぱいだった。




 自分は成し遂げた。ついに、悪魔を退治した。その事実がイアンの気分を高揚させ、全身の血が沸き立つような感覚にすら陥る。


 やはり自分は「王太子」という地位にふさわしい存在だった。王家の血を引き継ぐ、高貴で完璧な人間だった。その事実に狂喜し、走るイアンだったが――雪で足を滑らせ、そのまま派手に転倒する。




 悪態をつき、立ち上がろうとするイアンは自身の異常に気がついた。先ほど殺めた、リリィの体から返ってきた鮮血。まだ赤く、生温ささえ残っているようなそれがイアンの体の上でどんどん広がっていく。同時に感じたのは、沁みこんでいくような痛みだった。小さな毒針を何本も、次から次に刺されていくようなヒリヒリとした感触。それを振り払うと、イアンは乱暴に腕や足を振り回す。


「う、あぁっ! やめろ! やめろ!」


 その叫びも空しく、リリィの血と痛みはどんどんイアンの体を侵していく。半狂乱になりながら、イアンは再び走り出した。


 前も見ず、半狂乱で駆けるイアンは木にぶつかり雪で足を滑らす。それでもリリィの血から逃げるように、走り続けるイアンの視界が急に開けた。




 ばきんっ、と空気全体を震わすような音が響く。




 自分が凍った湖の上にいる、とわかった瞬間にイアンの足元が割れた。小さな亀裂から始まったひびは、あっという間に広がりイアンの体を暗い水中へと引き込んでいく。


「ひっ……!? やっ……あっ……!」


 全身が急激に冷やされ、イアンの体は硬直する。なんとか水面へ這い上がろうとするイアンだが、リリィの血で染まった四肢はイアンの思うように動かなかった。それどころか冷え切った空気と、氷の破片でイアンの体に大小問わず数々の切り傷が増えていく。赤く染まる冷水の中で、イアンが藻掻けば藻掻くほどその体は水中へと絡めとられていった。やがて血と氷水が入り混じった赤黒い液体の中、イアンは苦悶の表情を浮かべながら湖の底へと沈んでいく。




「高貴な血に溺れろ」


 イアンが意識を手放すその瞬間、リリィのそんな声が響いたような気がした。

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― 新着の感想 ―
殺したら殺される。 なら殺さなければ殺されない? とは思わないんだろう。 目の前のほんの一点しか見えてないし。
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