平民のアナベル
アナベルは貧しい生まれだったが、決して不幸ではなかった。
両親の顔を知らず孤児院で育った彼女は、ある商家の養子となる。養父母はアナベルの境遇に同情したわけでもなく、純粋な貧民救済の意思からアナベルを引き取ったのでもない。財力の誇示と社会的地位のアピール、加えてアナベルが美少女であったことから「もし貴族に目をかけてもらえれば自分たちの将来は安泰」という下心によるところが大きかった。だが一緒に過ごすうちに情が湧いたのか、アナベルは何不自由ない環境ですくすくと育ち王立学園入学時には並みの貴族令嬢に見劣りしないほどの女性となっていた。
だが当のアナベルは――それでも「まだ足りない」と考えていた。
自分は美しく異性を魅了する力がある。人の目を惹き、その心を掌握するオーラがある。アナベルは幼いながらその事実を理解していた。生まれ持った美貌と、ほんの少しの演技力があれば事を自らの思い通りに動かすことができる。アナベルはそれを自らの武器とし、より煌びやかで華やかな暮らしをしたいと願うようになった。
学園に入り、同じ年頃の男女と接するようになるとよりその願望はさらに顕著となる。地味でつまらない、自分よりはるかに器量の劣る女たちが「貴族」という立場を持っているだけで高い地位と生活水準を得ることができる。アナベルはその現実が我慢ならず、不満を燻ぶらせていった。
自分にふさわしいのは平民の、質素で慎ましやかな暮らしではない。貴族令嬢たちが当たり前のように享受している、贅沢で派手な世界のはずだ。自分はその舞台に上がるだけの才覚や美貌がある。そう確信したアナベルは学園の男たちに甘え、良いように操り、狙い通り自身の地位を盤石なものへと固めていった。
女子生徒には「誰これ構わず色目を使う、下品な女」と眉を顰められたがアナベルは気にならなかった。同性の嫉妬など痛くも痒くもない、それどころか「辛く当たられても健気に振る舞うヒロイン」を演じればますます男たちの寵愛を得ることができる。味を占めたアナベルはさらに自らの虜となる男性を増やし、ついには王太子の心まで奪ってみせた。
だが、そこで目障りとなったのは王子の婚約者であり、公爵令嬢であるリリム・フネラルだった。
貴族の中でも最高位の権力、次期王太子妃としての立場、そして美人を自負するアナベルすらも見惚れるほどの美しさ。この女には何をしても敵わない、アナベルは瞬時にそう悟った。今まで多くの男性たちを侍らしてきた彼女にとって、それは生まれて初めてと言っていいほどの「敗北」だった。
何をしてもいい、このリリム・フネラルという女を蹴落としたい。美しい彼女に勝つことで、自らの女としての価値を証明したい。その感情を「嫉妬」の一言で片づけるには、アナベルのプライドが許さなかった。そうしてアナベルはリリムが自分を害していると吹聴し、いつものようにか弱く庇護欲をそそる少女を演じ――ついに、リリムを自殺へと追いやってしまった。
あの奇怪な、人間離れした美しさを持つ女に勝った。王太子イアンとその側近である素晴らしい男性たちを手にし、この国で一番の令嬢となっても良いほどの立場にまで上り詰めた。その時の彼女はこの世の女王になったかのような。全能感に酔いしれていた。
しかし――それは平民のリリアが登場したことで呆気なく打ち砕かれた。