リリィとイアン
イアンがルシウスと会い、ペンダントをもらってから数か月が経った。
見舞いに来た友人がくれた、という事情もあってか医師はあっさりペンダントを許可しその後も言及することはなかった。チェーン部分自体は細く、短いことから縊死の危険性がないこともあっただろう。看護士たちも特に何も言わず、結果としてイアンは例のペンダントを肌身離さず着け続けていることになる。
当然、リリィと接する機会もなかったため療養所での生活は穏やかに過ぎていったが――元来、横柄なイアンがそのぬるま湯の中でいつまでも落ち着いていられるはずもなかった。
なぜ高貴な自分がここにいるのか。その疑問と怒りだけが、イアンの頭を占めていった。
王太子として生きることは、皆に愛され親しまれるような存在になるわけではない。力を振るう者である以上、民には恐れられる一面もあるべきだ。責任を負う者である以上、権威や発言力を見せつける機会もあるべきだ。そうでなければ王は軽視され、その地位を脅かされることとなる。だから王は血筋や王冠で自らを正当化し、あえて高圧的に振る舞う必要があるのだ。
イアンはそれに則り、次期国王にふさわしい行いを続けてきた。畏敬の念を抱かせることはあっても、簡単に近寄れるような存在であってはならない。カインやエドガーのように、優秀な人間だけを厳選して周りに集める。アナベルのような魅力的な異性を、傍らに侍らせ連れ歩く。そして――リリムのような美しく完璧な令嬢を、組み敷いて自身の下に傅かせる。いずれもイアンにとっては王太子にふさわしい、当然の行動だと考えていた。
「お前は僕の婚約者である以外、何の価値もない女だ。弁えろ」
「失せろ。お前の緑の髪は汚らわしい、皆『気味が悪い』と嫌がっている」
「僕がアナベルを愛するのはなぜだと思う? お前を嫌うのはなぜだと思う? 何も考えていないお前にはわからないか?」
大勢の前でそう言ってのけ、リリムが言葉を失う様を見ているとイアンは自分の偉大さを再認識できるようで気分が良かった。同じようにリリムを蔑み、何かにつけて非難し苛め抜く仲間たちを見ていれば自分の行動で世界が動いたような達成感すら抱いた。その果てに婚約破棄を突きつけたことも、後悔していない……しかし、その結果が今の自分である。イアンは歯がゆさに拳を握りしめ、壁を殴りつける。寒さを防ぐべく、分厚く作られた壁はそれでもびくともせずイアンの指を痛めつけるだけだった。
こうしている間にも時は巡り、極寒の地であった北の療養所はより一層の寒さを増している。怒りのままに吐き出す息も白くなり、乾燥した肌に冷たさが突き刺さる――考えれば考えるほど、リリムへの憎しみが増した。
「……絶対に許さない」
歯ぎしりするイアンは、自身の首を指でなぞる。そこにはルシウスから渡された、「お守り」のペンダントの感触があった。恐ろしいと感じていたはずのそれが、今は自分に残された唯一の武器であるように感じる。
イアンはリリムに対してこそ冷酷だが、気に入った人間には優しく愛情深い一面もあった。アナベルに恋して、彼女と「身分の差を超え結ばれたい」と願ったこと。カインやエドガーと共に友情を育み、かけがえのない絆を深めていったこと。いずれもイアンにとっては真剣そのものであり、それを理不尽に奪うリリムはどのような事情があれ敵でしかなかった。
憎んだ相手へ、復讐したい。そう考えた時、一番手っ取り早いのは「相手を自分と同じ目に遭わせる」という方法だろう。
実際リリムはアナベルを、カインを、エドガーを奪った。その上で今、北の療養所でリリィを名乗る彼女がいるのはきっとイアンを付け狙っているからに違いない。そうなるとイアンにとって、今は危機であると同時に反撃の機会でもある。
(今の僕は『患者』、それも精神に異常をきたしての『患者』だ……なら、それを逆手に取ってやろうじゃないか)
イアンの前に姿を現さないとはいえ、リリィはこの北の療養所で働く人間の一人だ。国の極地にあり、訪れる人間も限られているこの場所で彼女もまた移動できる場所に限りがある。リリィとイアン、共に行動範囲を制限されているのは変わらないのだ。
なら、リリィと接する機会を得るために自分は何をすべきか――考えたイアンは、問診に来た医師へ「リリムとその母親は悪魔だ!」と声を張り上げた。
「リリアも、リリカも、リリエも、リリィも、みんな悪魔だ! だからあの女を産んだ母親も、悪魔に決まっている! アイツには悪魔の血が流れているんだ!」
「落ち着きたまえ……急にどうした? 君の後輩は見舞いにだって来てくれたじゃないか。今、身に着けているペンダントだって彼が……」
「っそのルシウスが言っていたんだ! 母娘揃って徹底的に死骸を踏みにじったのに、リリムは何度も蘇ってくる! あの女もその母親も化け物だったんだと僕に言ったんだ! あの深緑色の髪は悪魔の印、リリムを産んだ母親は悪魔と関係を持ってリリムを孕んだに違いない! 汚れた女、人間に仇をなす娼婦! その娘のリリムには、呪われた血が流れているんだ!」
医師は急に様子の変わったイアンを宥めるが、イアンはそれでも止まらない。男性看護士に抑えつけられながら、それでも猿轡を嚙ませるまで大声で叫び続ける。
「リリムの母親は売女だ」
「母親が悪魔だから、娘も悪魔になった」
「あの深緑色の髪は、母親が魂を売った証なんだ」
声が枯れるまで叫んだイアンは、半ば無理やり部屋へと戻らされたが――それでもイアンは何度もリリムと、その母親に対する罵詈雑言を吐き続けた。
「一体全体どうしたんだ……」
医師が頭を抱えながら、深い溜め息をつくとそれは白い霧へと変わる。
冬が来ると、この療養所の寒さは想像を絶するものとなる。雪は溶けることもままならず、降り積もっては巨大な塊へと変化していく。やっとできた水滴も氷柱になり、療養所の職員たちはその処理に苦労しているようだ。冷たい空気は体の感覚を奪い、指先から徐々に生命の力を吸い取っていくようだ。そのためか、大概の患者は大人しくなるものなのだが……いきなり凶暴化し、それでもルシウスのペンダントだけは着け続けているイアンの歪さに医師は身震いする。
死んだはずの元婚約者・リリムが何度も舞い戻ってきて自分の周りにいる人間を殺している。イアンのその妄想は、取るに足らないもののはずだ。だがフネラル公爵家令息による訪問と、リリィのフネラル公爵家を非難するような言葉の後にその「妄想」が悪化し攻撃的な一面を見せるようになれば……イアンの身に何があったのか? と考えてしまう。
(見舞いに来た後輩を慕い、贈られたペンダントを大切にする。リリム・フネラルを恨んでいるが、その家族とは良好な関係を築いている。いずれも矛盾は生じない、ありえなくはない話だろう。だが、なぜ急に彼女の母親を貶し始めたのか……あれから顔を合わせていないリリィにリリムを重ね、この療養所で働いている彼女にそれを聞かせているつもりなのか?)
自身の考えに固執し、他者へ攻撃的な行動を取るようになる患者は珍しくもない。イアンもそのうちの一人だ、不憫だがリリィに「気にするな」と言えばそれで終わるだろう。
この療養所に送られた時点で、あの元・王太子に求められているのは「王家に関わらないこと」。死の間際までリリムを憎んでいようが、逆に心の底から反省し悔い改めようが医師にも王家にも関係ない。
しかし、それでもリリム・フネラルに向けられた深い恨み――その矛先がいきなり、彼女の母親にまで向いたのは医師にとっても予想外のことだった。
一人の患者に肩入れするのは良くない、所詮は「患者」の戯言だ。そう納得したいが、医師はどこか踏み切れないでいる。
――イアンについて思い悩み、考えあぐねている医師は知らなかった。
人目を忍び、昼でも薄暗い冬の療養所に潜む影。
リリィはこの北の療養所より冷たく、鋭く恐ろしい表情でイアンの「診断書」を睨みつけていた。




