イアンとルシウス
北の療養所での生活によって、傲慢だったイアンはどんどん弱っていった。
日照時間は少なく、外出はおろか室外に出ることすら制限される。金属製の食器を徹底的に避けた食事は驚くほど味気なく、ただ植物のように他人の手で生かされているだけの状況はイアンの自尊心を削るには十分だった。
その最中にもたらされた、見舞客との面会……イアンにとっては、願ってもないことだった。
だが、その相手――リリムの義弟にと顔を合わせるには、一抹の不安もあった。
――ルシウス・フネラルは学園にいる間、イアンたちの後輩として一学年下のクラスに在籍していた。
公爵家の後妻の子ども、リリムとは一歳と違わず生まれが数か月ほど違うだけ。その立場は危うく、学園にいる貴族たちの好奇の的であったはずが彼は立ち回りが上手かった。身目麗しく成績優秀、品行方正。どんな相手にも礼儀正しく、謙虚ながら王太子であるイアンにも臆することなく堂々と接する。最初は「あのリリムの義弟」ということで苦々しく思っていたイアンだったが、その温和な性格を評価し最終的に「学年を超えた友人」と捉えるぐらいには彼の人となりを評価していた。
それは婚約者であるリリムを断罪し、それ相応の罰を与えるとしてもルシウスに罪はないと考えるほどで……リリムの自殺により、一時的にフネラル公爵家領へ戻った彼にもリリアやリリカといったリリムそっくりの令嬢たちの存在は伝えていた。その騒動を経て、イアンが王太子ではなくなったことも既に知っているだろう。それでも、会いに来てくれるというのならば――今のイアンにとってそれは、一縷の望みになりうるものだった。
「お久しぶりです、イアン様……」
そう声をかけ、頭を下げるルシウスの姿に誰もが感嘆の息をつく。
灰黒色の髪は日に当たれば艶が出るようで、焦げ茶色の瞳に見つめられれば誰もが胸を高鳴らせる。そんな美しい容貌の持ち主であるルシウスは、身分性別を問わず目にした者全てを虜にした。どこか浮世離れした、高潔さすら感じさせる彼の姿にイアンはほっと胸をなでおろす。
「ルシウス、君は変わってないな……今日はよく、ここまで来てくれた」
「えぇ、カイン様からお話は聞いていたので私もずっと気になっていて……ここでの暮らしに、不便はありませんか?」
ルシウスの問いかけに、イアンは「不満だらけだ」と答えたいのをぐっと堪える。
見舞いという形であっても、イアンには看護士――という名目の監視――がつけられている。
いずれもルシウスの美しさと「フネラル公爵家令息」という立場に圧倒されているが、イアンが何か行動を起こそうものなら彼らはきっとすぐそれを止めに入るだろう。そうなれば「治療」と称して、ますます何をされるかわからなくなる。医師が遠ざけているとはいえ、ここには医療助手のリリィがいるのだ。為す術もなく、無残な死を遂げたアナベル、カイン、エドガーたちのことを考えれば……イアンは震える体を、必死に抑えつける。
曖昧な言葉を返すイアンに対し、しばらく口数の少なかったルシウスだが――ふと後ろを振り返ると、公爵家から連れてきたらしい従者の男に何か耳打ちする。
途端にその男は高圧的な態度でイアンを監視する男たちに詰め寄り、強引にイアンとルシウスから距離を取らせる。
「ルシウス様はこれより、イアン元王太子殿下とフネラル公爵家の重要機密について話し合われる。私も、あなた方も、決して聞いてはならない。耳を塞ぎ、絶対にルシウス様の話を聞こうとするな。……それが、あなた方のためにもなる」
自らも耳を塞ぎつつ、凄むその男の姿は異様だった。血走った目で、何か恐ろしいものに取り憑かれているかのようなその形相に看護士たちも思わず後ずさる。その間に、ルシウスがそっとイアンに顔を寄せた。
「イアン様。カイン様が姉上や姉上の産みの親について調査していたのはご存知ですよね?」
「あ、あぁ……だがカインは、何もわからなかったと……」
「――リリム・フネラルは間違いなく死んでいます。それは我が公爵家が確認した、紛れもない事実です。ですが……その『証拠』は今までずっと隠してきました」
何を言われたかわからずイアンは一度、思考を止めた。状況がわからず、ぽかんとしているイアンに向かってルシウスは囁く。
「私の母、現フネラル公爵夫人は姉上を産んだ女を忌み嫌い彼女に関わる情報を可能な限り消していきました。そして、死んだ姉上も同じように……フネラル公爵家代々の墓にはリリム・フネラルとその母の遺体が埋葬されていましたが、私の母はそれすら許さず掘り返して灰になるまで燃やし尽くしました」
「……どうして、そんなことを……」
淡々と語るルシウスを前に、イアンの全身から血の気が引いていく。
死者への冒涜、ありふれた感情から生まれるおぞましい行為。その話の内容だけでも、目を背けたくなるような出来事だ。
だが、ルシウスはなぜこんな話をイアンにしたのか。一体ルシウスは、何を考えているのか――意図がわからず、乾いた唇を空回りさせるイアン。ルシウスはその疑問に応えるように、落ち着き払って話を続ける。
「王都にいらっしゃるカイン様に、我が公爵家の家庭事情を詳らかにするわけにはいきませんので……両親もリリムやその母親を忌避し、話題に上ることすら許さなかったので私も今まで黙っていることしかできませんでした。ですが……私は確かに姉上と、姉上の母親の死骸を確認しました。母親の方はほぼ白骨化していましたが姉上の死体は、あの美貌と緑色の髪は間違いなく姉上のものです。そして、私たちはその死体を跡形もなく処分した……ですからアナベルを殺したという平民のリリアも、カイン様の前に現れた踊り子のリリカも姉上とは別人なのです」
ですから――リリム・フネラルが生き返って何度もイアン様たちの前に姿を現すことなど、絶対にありえません。
そう断言するルシウスは、イアンの目を真っすぐに見据える。
ルシウスの眼は曇りなく、同性であっても見惚れてしまうものだった。だが今のイアンにはその美しさすら、恐ろしく不気味なものに思える。腹違いではあるが、この男もまたリリム・フネラルの近親者で間違いないのだ。その事実を否応にも突きつけられるイアンへ、ルシウスは何かを差し出す。
「もう一度申し上げますが、リリム・フネラルは確かに亡くなりました。ですからリリアも、リリカも、リリエも、みんなリリムとは別人のはずです。ですが……もし不安があったならこのペンダントを着けていてください。これは中に香り玉の入ったペンダントですが……これはリリムの母親が持っていたものです」
手渡されたペンダントを、イアンは小さな悲鳴を上げて取り落とす。ルシウスは冷静にそれを拾い上げると、諭すようにイアンへ再びそれを差し出す。
「ご安心ください、イアン様。……別に死体から剥ぎ取ったわけではありません、よく似た偽物のペンダントです。ですが、もしイアン様の前にまたリリムそっくりの令嬢が現れたなら……このペンダントを見せてみてください。もしその女がリリムの関係者であるなら、何か反応を示すかもしれない……」
震えるイアンの手を取ると、ルシウスはそのペンダントを優しく手に握らせる。その掌で優しくイアンの指を包むと、ルシウスはそっと耳打ちした。
「少なくとも私は、姉であるリリムが生き返りアナベルたちを殺したとは思っていません。ですが一連の死が全て偶然で片づけられないのも事実……ですからこれは、『お守り』です。親愛なる先輩に何か危機が迫った時、そしてそれにリリムが関わっているかもしれないと感じたら……このペンダントで確かめてみてください」
それだけ言うとルシウスはすぐイアンから距離を取り、遠ざけていた従者を呼び寄せる。そしてイアンの監視役である看護士に穏やかな笑みを向けると、改めてイアンに言い直す。
「このペンダントは私から王子への『差し入れ』です。魔除けの紋様が施された、香り玉入りのペンダントなので……療養所の生活は何かと不安でしょうから、ぜひ身に着けていてください」
言い含めるようなその言葉は、おそらくペンダントを贈るための「表向き」の理由なのだろう。若干、気圧されつつも頷く看護士たちに感謝の言葉を述べるとルシウスはイアンに頭を下げる。
「またお見舞いにお伺いさせていただきます。我が公爵家には私に逆らえない忠実な下僕が何人もいますので、何かあったらぜひ……」
一礼するルシウスは従者を引き連れ、イアンの前から立ち去る。それを見送ると看護士たちは我に返り、イアンを部屋に戻るよう促したがペンダントを没収はしなかった。ルシウスの言うところの「差し入れ」として許可される範疇だと判断されたらしい。イアンはまだ青ざめながらも、ルシウスから受け取ったペンダントを――リリムの母親のペンダントだというそれを、しっかりと握りしめる。
『もしイアン様の前にまたリリムそっくりの令嬢が現れたならこのペンダントを見せてみてください』
『親愛なる先輩に何か危機が迫った時、そしてそれにリリムが関わっているかもしれないと感じたらこのペンダントで確かめてみてください』
そのルシウスの言葉と共に頭をよぎるのは、まさしくリリムそっくりの容姿を持ったリリィという女だった。
――もしあの女がリリムと何か関係があるのなら。
そう考えたイアンは、薄気味悪いと思いつつもルシウスからもらったペンダントを急いで身に着けていた。




