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その令嬢は舞い戻る  作者: ミント


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20/43

リリンとリリム

「……リリムの母親か、親族に会ったことがあるというのですか?」


 絞り出したイアンの言葉は現実的だが、本人の希望的観測に過ぎない。音楽家は頭を振り、それを緩やかに否定すると溜め息をつく。


「いや、彼女……リリン様はフネラル公爵家の足元にも及ばない、名もなき子爵家の令嬢に過ぎなかった。しかし、あのぞっとするほどの美しさと深緑色の髪は当時の人々の間でも有名でな……儂の一つ年上の兄が、『大きくなったら僕と結婚してください』と申し込んで我が家でしばらく笑いの種にされたものだ。当のリリン様は『私にはもう旦那様がいるから』とお断りしていたがな……」


 その言葉を聞いて、イアンが訝しげに片眉を上げる




 音楽家がそのリリンという名の女を見たのは、彼が五歳の頃であったという。その時、配偶者と呼べる男性がいたのならリリンはこの老いた音楽家よりもいくらか年上のはずだ。




 自分たちと同い年であるリリムとは、計算が合わない――そう疑うのを感じ取ったのか、音楽家はイアンとエドガーを見据えつつさらに話を続ける。


「当時のリリン様は二十代前半、伯爵家に嫁いで数年ほど経った頃だったという。その伯爵はリリン様より一回りほど年上だったが、彼女の美貌とダンスに惚れ込み熱烈なアプローチをしたのだと……リリン様の方が『伯爵』という立場に目が眩んだとか、夫の方が子爵家への金銭的援助をちらつかせたとか、あれこれ噂された夫婦だった。その中には単なるやっかみも入っていたと思うが……ただリリン様本人は、それなりに幸せだったらしい」


 そこで音楽家が厳しい双眸を和らげ、遠い目をしてみせる。その瞳は何ということもない、ただ自分が若かった頃の思い出話をしているだけの普通の老人の顔だった。在りし日の記憶を辿るその声音は、穏やかで牧歌的にすら感じる。


「リリン様を妻に迎えたその男は、求婚こそ熱心だったが彼女には優しく紳士的に接していたそうだ。その様子は夫婦と言うより、歳の離れた兄妹のようだったと……ただ儂が、正式にその夫婦と交流を始めたのは成長して音楽家としての活動を始めてからのことだった。その時点でリリン様は、伯爵夫人として二人の子どもを儲けていたが……その美しさは依然として変わらず、まるで歳をとっていないかのようだった」




「……つまりリリンとかいう女は、不老不死の怪物だったと?」


 得体の知れない不安に駆られていたイアンが、ようやく口を挟む。呻くようなその声は、音楽家の真意を計りかねているようだった。同じく青ざめ、音楽家の話に耳を傾けているエドガーは音楽家の次の言葉を待っている。


「儂も最初はそう思った。あの驚異的な美貌も、それなら仕方ないと納得さえした。だが……その後、彼女の子どもが成長し夫である伯爵が亡くなるとリリン様は徐々に老いさらばえていった。腰は曲がり、肌には皺ができて、自慢の深緑色の髪も徐々に白髪へと変わっていった……そうやって老いていく彼女を見て、儂は正直『あんなに美しかった女性でも所詮、老いには勝てないのか』とひどくがっかりしたのだ。最期は老衰で亡くなり、儂は妻子を連れて彼女の葬式に参加したがその時はもう何処にでもいる普通の老女の姿となっていた……」




「っだったら、その女とリリム・フネラルと無関係だろう! 他人の空似で、俺達には何の関係もない!」


 音楽家の言葉を、半ば怒鳴りつけるかのような形で遮るエドガー。騎士団に所属する人間とはいえ、本来ならかなり無礼な行為だ。だが音楽家は気を悪くした様子もなく、それどころかエドガーたちと同じように顔を青白くしながら「だが儂は、リリム・フネラルに出会った」と答えた。


「リリム・フネラル公爵令嬢の噂は聞いていた。深緑色の髪、女神も見惚れるほどのダンス、悪魔もひれ伏すような美しさ……儂だって最初は、珍しいとはいえたまたま死んだリリン様に似てしまっただけだと思っていた。だがイアン王子との婚約パーティーで彼女を見た時――儂のその考えは吹き飛んだ。いわゆる『生まれ変わり』というものか、死んだリリン様が生き返って新たな人生を始めたのかはわからない、だが、間違いない。彼女は『リリム・フネラル』という新たな生を得て、我々の前に舞い戻ってきたのだ……」


 そこで音楽家が深く息を吐き、地に目を伏せる。王族相手にも怯まない、高名な音楽家が何やら緊張感を抱いているようだ。突如として張り詰めた空気の中で、イアンとエドガーも口を閉ざす。その静寂の隙間で、音楽家が重たい唇を開いた。


「……これは、リリン様がご存命だった時の話だが……ある若い男が、食べ物を喉に詰まらせて亡くなった。その男はもともと食の細い男だったが、急に食事をやめられなくなり最後はネズミの死骸にまでかぶりついてそのまま窒息死してしまったという……その男の話題が出た時、儂は聞いてしまったのだ。リリン様が、『うるさい口でも、ものを食べてる間は静かでしょう』と呟いたのを……死んだ男は貴族相手に詐欺取引を行っていて、リリン様のいる伯爵家にも莫大な損害を与えようとしていたという。きっと彼は、リリン様を怒らせたのだ。そしてそれが、彼に異常な死をもたらしたのだ……」


 緊迫感の漂う部屋の中で、イアンとエドガーは息を飲む。




 何の根拠もない話だ、ただの妄想だ。そうやって音楽家の話を否定することは簡単なことだろう。だがリリム・フネラルという公爵令嬢と、音楽家の話すリリンという女の姿を思い浮かべればそう言い切ることができない。次々に現れるリリムそっくりの少女、アナベルとカインの死、そして隣国から来訪したリリエ――決定的ではないが、奇妙な事実がじわじわとこちらに迫ってきている。それを裏付けるように、音楽家は続けた。


「リリン様とリリム・フネラル公爵令嬢が、本当に同じ人間なのかはわからない。そもそも彼女が我々と同じ『人間』と言えるものなのか、疑わしいことだが……もしそうだとすれば、彼女は人を超えた『何か』だ。その怒りを買えば何が起こるかわからない。きっと予想以上の、恐ろしい『何か』が起こる」


 そこで音楽家が、ちらりと自分の指に目を向ける。数多もの音色を操るその手を見ながら、音楽家は言った。




「若き王子、それから若き騎士よ。どんな名曲も、どんな駄作も必ずその調べを奏でる者が存在する。リリン様とリリム・フネラル公爵令嬢もそうだ。彼女たちが怒り、何か奇妙なことを引き起こすとすればその原因となる誰かがいるはずだ。だから……自身の行動には気をつけるといい。他人を傷つけ、恨まれ、憎まれるようなことがあってはならない。そうでないと――」




 どんな音を奏でることになるか、わからない。




 音楽家が言い終えるのと同時に、イアンたちのいる部屋の扉が力強くノックされる。思わず震え上がったイアンに代わり、立ち上がってドアを開いたのはエドガーだった。


「いきなり何だ! 今、俺たちは音楽家と話をして――」


「大変です! 音楽家殿! 隣国王女の帰国予定日が急遽、早まったそうで……! 国王陛下が歓待のスケジュールを変更し、『演奏会を今晩開いてほしい』とおっしゃっています!」


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― 新着の感想 ―
喋りすぎでヒドイ目に合いそうな音楽家さんと、すでに手遅れなふたり。
[良い点] 音楽家も…怒らせちゃってない? 大丈夫? 怖いよー(;_;)
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