嘔吐するダンス教師
時間になっても現れないリリカを不審に思い、ダンス教師は王城の中を探し歩いた。
素晴らしすぎて教えることがない、というリリカの特徴は「教師」としての自分の立場を揺るがしかねないものだ。だが少なくとも本人は真面目であり、教師という立場から評価するならリリカは非常に優秀で助かる存在である。毎回、授業はきちんと受けるしどんな時でも丁寧な態度を崩さない。リリムに似た姿には恐ろしさを感じるものの、教える立場としては特段困ったところがあるわけではない。今までの授業にも何か問題が起ったこともなく、ダンス教師は密かに「このままカインの関心が離れてしまえば」と祈っていたものだ。
――だから、今回の無断欠席には妙な胸騒ぎを覚えた。
城内の人間に聞いて回るが、耳にしたのはリリカではなく「疲れた様子のカイン様が書庫に入っていく姿を見かけた」という証言だけだった。リリカを王城に引き入れた張本人の登場に、ますます嫌な予感を抱きつつもダンス教師は早足で書庫に向かう。
しかし、その時にはもう手遅れだった。
「うっ……!?」
散乱した書物の中、漂ってくる血の匂いにダンス教師は口元を覆う。ダンス教師の目に飛び込んできたのは、変わり果てたリリカとカインの姿だった。
リリカは頭から血を流しているものの、それ以外に目立った外傷は見当たらない。ただ流れ落ちた血が彼女の深緑色の髪に絡まり、さながらリリムの「朝露に濡れた薔薇」という異名を連想させるような様を作り出している。一方、カインの体にはところどころに小さな穴が空き、そこからどくどくと血が流れ落ちていた。その亡骸は虫か何かに食い荒らされたかのように見えるが、彼の体を食い散らかしたらしい生き物は一匹たりとも見当たらない。ただ書庫にある本が乱雑に、二人の死体にへばりつくように散らかっているだけだ。
あまりの惨状にダンス教師は嘔吐し、その場でへたり込む。凄惨な現場を目にして具合が悪くなっただけではない。それ以上に恐ろしく、不気味なものの存在を己の心で感じ取っていた。
「何なんですか……一体……!」
ダンス教師は全身の震えを押さえながら、そう呻く。
自分の知るリリムは完璧な令嬢で、圧倒的なダンスの才能があったがそれでも「不幸に見舞われた少女」という印象が強かった。彼女の家族に少しでも良心があったなら、せめて婚約者である王太子イアンが彼女を思いやっていれば。そうしていればきっと彼女の人生は変わっただろうと、感じるぐらいには健気で哀れな少女だと思っていた。
だが――それは本当に、公爵令嬢リリム・フネラルの姿を正しく捉えていたと言えるのだろうか?
直接の面識はないが、平民であるリリアもまたリリムのようにダンスが上手で深緑色の髪をしていたらしい。そしてアナベルと共に奇怪な死を遂げ、その一件に疑惑を抱いたカインが何かとリリムやリリアのことを調べだした。そうした矢先に現れたのが、リリカという踊り子である。
それまで「死人が戻ってくることなどあるものか」と油断していたダンス教師の前で、リリカは非の打ち所のないダンスを披露してみせた。ダンス教師が「千年に一度の逸材」と称したはずのリリムと、同じように踊るリリカ。その見た目までもがリリムの生き写しとなったら――もはや自分には想像もできない何かが、そこにいるとしか思えなかった。
ダンス教師は這うように書庫を出て、王城内の人間に助けを求める。それからリリカとカインの遺体を発見した時の様子を話すと、そのままダンス教師を王城勤めを辞する旨を表明した。
以降、ダンス教師は実家に戻って隠居生活を送ることとなった。その後の生涯で踊り子リリカや公爵令嬢リリム・フネラルについて、自分から触れることは一切なかったという。




