愛しの君に指輪を
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三角砂月は棺の小窓から眠るような表情を覗かせている。白百合のような白い肌は、生命が失われたことによってより白みを増している。
砂月の婚約者になるはずだった室井純太が、彼女の遺族らと共にその顔をしげしげと眺める。彼女の無表情と、肌の白さがよりその死を実感させた。
「砂月……」
涙が不意にこみ上げてきた。ようやく実感された彼女の死が、今度は深い悲しみを齎す。
彼は嗚咽を漏らしながら棺桶の蓋に右手を置く。その右手は、少し前まで彼女の左手を握っていたはずだった。
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彼らが初めて出会ったのはおおよそ7年前、大学でのサークルに初めて参加した時である。所属していたのは文芸サークルだ。
文芸サークルはもともと内向的な学生が多く、先輩や同期と話をしても盛り上がりに欠けることが多々あった。純太自身は比較的外交的な性格だったが、好きな小説のジャンルや執筆している小説の方向性などが合わないことが多く、どれだけ会話を重ねても親密な関係地は築きにくかった。
しかし、砂月とは妙にウマが合った。
「三角さん、最近名に読んでるの?」
「そうだね……。金閣寺を最近読み終わったから今度は細雪を読もうかなと思って」
「谷崎潤一郎はまだ読んだことないな。後でいろいろ教えてくれ」
「実際に読んでみればいいじゃん」
「今は無理だよ。虚無への供物をつい最近読み始めたばかりだから……」
「私それ読んだことあるから、ネタバラシしようか?」
「絶対にやめろ?」
「同じ三大奇書なら虚無への供物の他に黒死館殺人事件を読んだよ。あまりに難解でうまく理解できなかったけど」
「じゃあ虚無への供物を読み終わったらそれを読むことにするよ。完全に理解して君に解説してやる」
「ふふっ……いったなぁ。はまり込んで単位落とさないようにねぇ」
「そうだな……本分の工学部から逸脱しないようにするよ」
「同じ理系でも私は化学の方だから、そっちの方ではあまり話が合わないね」
「ていうか理系で文芸部なの俺たちだけだよな」
「ふふ……。理系同士仲良くしようね」
2人の関係はどんどん緊密になっていき、時たま土日に映画や食事を共にするまでになった。そしてついに彼らは友人関係から恋人同士になる。そのきっかけとなったのは、純太が何気なく振った恋愛についての話だ。
「ねぇ、三角ってさぁ、彼氏作んないの?」
「作るって、どこで」
「……そうだな、サークル内は?」
「話が合う人があまりいないからなぁ……」
「……バイト仲間とはか?」
「仕事以外でほとんど話さないよ。私コミュ障だから」
「誰か気になってる人いないの?」
「そうだな……。まぁ、いなくはないかな」
「えっマジで?」
「マジだよ。マジ」
「……誰か教えてくれたりはしないよな」
「ふふっ……」
「ちょっ、何がおかしいんだ……よ……」
純太は僅かに困惑の色を見せた。なぜなら、彼女が蠱惑的な笑みを浮かべ、急に彼の目を凝視し始めたからだ。
「誰だと思う……?」
「……」
「ねぇ……?」
「……」
「……じゃあ、室井君の好きな人……教えて?」
「……」
「教えて」
(これは……まさか……)
「……三角だと言ったら……どうする?」
彼女の目が、一瞬細くなる。
「……私も……室井君が……好きだって……」
「……好きだって?」
「……」
「……」
「……言う」
一瞬の沈黙の後、純太は砂月に、こう告げた。あくまで衝動的な言葉だったが、後悔したことは生涯で一度もない。
「俺は……三角のことが……好きだ」
「私も……室井君のこが……すっ……すっ……」
「すっ……?」
「……好き」
彼女の瞳が閉じられる。それと同時に瞼の裏から涙が流れてくる。
ウェイターが砂月の注文したパフェを持ってきた。
「ストロベリーパフェでございます」
「……ありがとうございます」
砂月は純太に向けた視線をそらさず、パフェを左手で受け取った。その硝子製の容器を握る華奢で白い手に純太は目を向けた。その美しい手が彼の脳裏に焼き付いた。
「……三角」
「……砂月って……呼んで」
「……砂月」
「……」
「……」
「……純太」
彼は無意識に彼女の左手に右手を重ねていた。
その日から彼らは交際を始め、約6年後の去年、同棲するまでになった。その日から2人は結婚を本気で考えるようになった。
ある日、彼女とともに料理をすることになった。食事面は砂月に任せきりだったので、たまには自分で料理を作りたいので作りやすい品を教えてほしいと純太自身が願い出たのだ。
「何を作る?」
「目玉焼きにしようかな。料理慣れしてなくても簡単だと思うから」
「オーケー。それじゃあ早速つくろう」
「その前に手を洗ってきて」
「わかってる」
2人は洗面所に行き、手を洗った。砂月の矮小で白い手は、水を受けるとより白さを増す。彼にとってはその様が嫋やかに映る。
「なぁ……」
「なぁに?」
「お前……本当に手、きれいだよな……」
彼女はただいたずらに笑うだけだった。
そんな彼らのささやかな倖せは運命によって突如、終わりを告げる。その事実を純太に突きつけたのは、一本の電話だった。
彼はその時、仕事終わりで家路についたばかりだった。そこで突然、電話が鳴動した。
発信者は、砂月の弟、森悟だ。
「あぁ、森悟くん。どうした?」
「……」
「ん……どうした……?」
「姉さんが……」
「砂月が……どうかしたのか?」
「事故に……」
「……えっ?」
バタッ……。
彼は思わずビジネスバッグを地面に落とした。
「事故現場はっ!」
「姉の職場近くの交差点です。今は翔誠大学附属病院に搬送している途中です。なので、病院に向かってください」
彼は交通機関を利用して病院に駆け付けた。しかし、医師から受けたのは非情な宣告だった。
「誠に残念ですが……。ご臨終です」
「……」
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砂月が死んでから初めての出勤は、今まで味わったことのない倦怠感を感じるものだった。
仕事が終わってコンビニに飯を買いにいく。砂月から料理をいくつか教えてもらっているが、彼女を喪った状態では、料理をする楽しみも感じない。
ふと弁当コーナーの中に、ベーコンエッグ弁当があるのを見つけた。
(そういえば、はじめて教えてくれた料理が、目玉焼きだったっけ……)
結局何も買わず、コンビニから抜け出した。
帰宅後は何も口にせず、風呂に入った後、ベッドですぐに眠った。
そこで、奇妙な夢を見た。
「純太……」
何もない、ただ闇が広大無辺に広がる世界。そこに淡く輝く砂月が立っている。
「砂月っ!」
「……純太」
「戻って……きてくれよ」
「……戻る?」
砂月は微笑しながら純太の左手を両手で包んだ。
「初めから……ここにいるじゃない」
彼女にそう言われた後、目が覚めた。
「はっ……!?」
彼は咄嗟に、握られた左手を眺めた。
それは、彼の左手ではなかった。より白く、華奢で小さな手。それは間違いなく、砂月のものだった。
「砂月……」
すると、左手が勝手に動き出した。それは彼の右の頬に向かって伸びていき、そっと肌に触れる。
「砂月……なのか?」
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左手が変化してからも、生活にこれといった変化はなく、周囲からも意外と指摘されることもなかった。唯一変わったことと言えば、左手のみブラインドタッチができるようになったことだけだ。彼女がブラインドタッチのスキルがあったためだろう。
仕事終わり、彼はデパートの中にある店舗で結婚指輪を買った。もうすぐ入籍しようと考えていたのでコツコツと購入費を貯めていたのだ。
帰宅後、彼は左手の薬指に指輪をはめた。
折れそうなほど細い指に、付け根まで指輪を通す。彼女の微笑む顔が彼の脳裏に浮かんだ。
指輪をはめた後、手を引いた。
その直後、左手が動き出した。その掌はそっと右手を覆う。その白い肌からは想像できないような熱を、温もりを感じる。
「砂月……」
純太は右手を回転させ、掌と掌を重ね合わせる。そして、その左手を右手でしっかりと握りしめた。
不意に涙が流れた。左手の甲に落ちた雫は、部屋の照明と、光を反射する白い肌の上で煌いていた。




