日常Ⅰ:Vol4
ギリギリで遅刻から免れ、出社したものの、
竜司は、仕事に、手がつかなかった。
昨晩の、二度に渡る、夢の中での出来事、
サイコパスな聖女との出会い、己の使命、
母親との対峙...
通常、夢を見ても、目が覚めたら、
すぐに忘れて去られていくものだが、
彼は、鮮明に覚えていた。
むしろ、彼の人生史上、トップの衝撃であった。
忘れたくても、忘れられない位に、
竜司の脳に、刻み込まれていたのだ。
「なんだったんだ、アレは...」
しかも、夢から覚めて早々、
とびっきりの美人に話しかけられた。
入社以来、彼は、誰かに話しかけられた事がない。
仕事の要件で、話しかけられる事はあるが、
あくまでもビジネスライクだ。
だから、挨拶されるのは、おろか、
話しかけられるのにも、慣れていない。
くわえて、その相手が、とびっきりの美人だ。
言葉が出てこなかったのは、無理もない。
しかし、彼の頭の中では、いまだに疑問符がつく。
「なぜ、俺に話しかけてきたのか?」
全身汗だく、スーツやネクタイは乱れ、
ボサボサ頭、無精髭を生やしたまま、
ダッシュして、肩をついて息を切らしている、
ほとんど誰とも、親交のない竜司に、
話しかけてくる人間はいないだろう。
むしろ、奇異な目で彼を見て、ヒソヒソと変な噂を立てるだろう。
竜司の孤立が深まる、恐れもある場面だった。
そこに、古田ゆきめが現れ、彼に救いの手を差し伸べた。
いくら、同期のよしみとはいえ、
面識がある程度しかない赤の他人に、
手を貸す事は、あり得るのだろうか?
竜司は、一息ついて、冷静になると、
彼女の行動に、頭をかしげるしかなかった。
竜司を助ける、義理もなければ、理由もないのだ。
「夢じゃ..ないよな?」
まだ、自分は、寝ぼけていて、夢の続きを
見ているのではと、一瞬、疑った。
ーーニギッ。
頬をつねってみたが、感覚は、夢の中にいた時と
変わらないから、わからない。
「竜司ー!」
「...やっぱり現実だ...。」
あまり耳触りがよくない上司の、
自分の名前を呼ぶ声が聞こえた。
竜司は、ここは間違いなく、現実だと、皮肉にも理解した。
疲弊した身体を持ち上げ、上司のいるデスクへ向かった。
だが、彼のいる現実世界で、
変化が起きているのは、確かであった。
それからの1週間、竜司は、夢を見る事がなかった。