日常Ⅴ:Vol7
確かに、竜司は、夢の世界で、
これまでとは異なる道を歩み始め、
精神的な成長を果たしている。
ちょっとやそっとの出来事で、へこたれない、
免疫の様なモノはできつつある。
だが、それはあくまでも、心や感情の話に限られる。
ーーちょっと無理が祟ったかな...。
現実では、肉体という器が存在する。
それを構成する臓器から栄養素、
細胞に至る、物理的な営みによって、
竜司の生命活動は、維持されている。
どれだけの経験を、夢で重ねたとしても、
それが、現実の身体には反映されないのだ。
ーーあぁあ、サイヤ人みたいに、
現実に戻る度、戦闘力が上がればいいのに。
「精神と時の部屋」の様に、
短期間で、竜司の肉体が、飛躍的に
パワーアップするのは、無理がある。
今、竜司に起きている身体の痛み、
それは、心や精神の成長が、現在の体では
カバーできる範囲を超えてしまったのだ。
つまり、キャパオーバーである。
ーーまだ、胃潰瘍にならないだけマシか...。
更に、彼の幼少期から、暴虐で支配してきた
父親と、現在、対峙している場面。
いくら、竜司の精神が、丈夫になったとはいえ、
簡単に、その身に受けたトラウマは、消えない。
竜司も気づいていない間に、晒されていた
プレッシャーで、遂に、身体が悲鳴を上げたのだ。
ーーだけど...。
ゴールまで、残りわずか。
ここで、踏ん張らなければ、
もう二度と、挽回のチャンスはない。
光は、愚かな生物ではあるが、
勝たない勝負をする程、バカではない。
この面会を終えたら、もう竜司と会おうせず、
正面から話しもせず、ひたすら逃げ続けるだろう。
ここで、決着をつけなければ、
家系の因縁に、ケジメをつけられなくなる。
ーー俺は、負けねぇ...!
徐々に強まっていく、胃の痛み、
額からは汗が流れるが、その瞳は
むしろ、輝きを放っている。
竜司が言ってこないスキを突いた形で、
光が、最後の口撃を仕掛けてきた。
「分かった。」
「俺と絶縁したいって事だな。」
「もうお前は、俺の葬式に来なくてもいいし、
結婚式に呼ばなくてもいい。」
「好きにしろ。」
ーーコイツはほんと...。
光の自身の立ち位置を理解していない言葉に、
竜司は、呆れ返っていた。
絶縁するとは一言も言っていないし、
これまでの、光の所業を考慮すれば、
誰も呼ばないのは、明白である。
むしろ、呼んだ方が、一家の面汚しになりかねない。
「まぁ、お前に、彼女なんてできる訳ないか。」
「お前を紹介するのが恥ずかしいわ。」
ーー拗ねたガキかよ。
必死になって、拗ねた態度で、
マウントを取ろうするのは、
同じ血が通った者とは思えない。
「それはどうも。」
竜司は、これ以上付き合わず、仕上げにかかる。
「じゃあ最後。」
「俺に、謝れ。」
謝罪の要求である。
これまでの光の非行を鑑みれば、
「ごめんさない」の一言で済ますのは、
刑が軽過ぎるかもしれない。
だが、竜司は知っている。
大人になるにつれて、自らの非を認める事は
もちろん、謝罪すらできなくなってくる。
特に、光の様な軽薄で、プライドが
高い人物は、それを拒む傾向が強い。
「どうもすみませんでした。」
が、光は、あっさりと謝罪した。
しかし、心はこもっていない。
本当に、心の奥深くから、これまでの
自身が行なってきた、暴力・虐待などの
犯罪行為やモラハラなどのDVを懺悔、
そして、悔い改め、自身を深く反省と
内省を通し、償いながら、余生を過ごす。
その様な、勇敢で、エレガントな働きを、
竜司は、全く、期待していない。
口から出まかせなのは、明白である。
ーーこれでいい。
たとえ、口先であったとしても、
「謝罪をした」と言う事実がある。
すなわち、光は、認めたのだ。
これまでの自分を過ちを、形式的であれ、
受け入れさせる事ができた。
その衝撃は、光の潜在意識を、根幹から揺るがす。
これまでの過去を、否定した事にもなる。
こうなるともう、誤魔化せない。
いくら、現実では、強がり、嘘をついても
潜在意識では、問答無用に、通用しない。
それは、遅効性の毒の様に、効いてくる。
しかも、実の子供に言われたのだ。
光の虚勢的な態度とは裏腹に、
すでに、彼の精神は苛まれている。
これだけでも十分だが、竜司は、ダメ押しする。
「土下座しろ。」
「そんな口だけで、許されるとでも?」
こちらも、はいはいそうですかとばかりに、
あっさりと、正座をして、首を垂らした。
ここまでくると、痛快である。
光的には、うまく、その場を取り繕ったつもりだろう。
だが、竜司の観ている世界は、違う。
ーー後悔を抱えたまま、一人で死ね。
竜司は、呪いとも呼べる言葉を残す。
「これで満足か?」
光が、ぶっきらぼうに、尋ねる。
「もういいよ。」
「じゃあな。」
それだけのやり取りだった。
光は、病室を出た。
もう二度と、会う事もない。
「ハァァァ...!!」
緊張の糸が切れた竜司は、大きく息をしながら、
ベッドへと倒れ込んだ。
まだ、胃の痛みは残っているが、
ピークを超えて、収まりつつある。
ーーやり切った!
両手を天井に向けて上げて握りしめ、
その表情は、とても穏やかであった。
ーーやっと...やっと...。
20年以上、彼を苦しめてきた、
その元凶との決着、そして、負の因縁を
この手で、断ち切ってみせた。
胸にこみ上げてくる充足感や
肩の重荷を降ろせた事による解放感、
竜司は、しばし、この幸せを噛み締めていた。
ーー終わったよ...。
最初で最後の、親子喧嘩。
ハートの強さを持って、乗り切った。
辛く、悲しく、孤独で、寂しかった
これまでの過去が清算、報われた。
竜司の目からは、涙がこぼれ落ちる。
もう、苦しかった事を振り返らなくていい。
竜司を縛ったり、邪魔するモノもいない。
そして、止まっていた時計の歯車が動き出す。
現実の、竜司の物語、その始まりを告げる。