日常Ⅴ:Vol5
これまでにない、竜司のカウンターパンチが
ものの見事に、光のメンタルの奥深くに炸裂した。
「...。」
まるで、聞いた事がない異国の外国語で
話しかけられた様に、光は、何が起きたのか、
竜司の発言内容を理解ができなかった。
毒気に当てられ、しばらく、思考が停止した。
これまでの鬱憤を晴らすかの如く、
竜司の心の牢獄に閉じ込められていた
コトバ達が、矢継ぎ早に解き放たれたのだ。
今の彼を止められる人物は、いない。
ーーグッチャグチャに、壊してやる。
闘争心に燃えている竜司は、
光との因縁に、ケジメをつける。
ただ、この一点のみに、照準が絞られている。
怒りを、憤りを、その全てを、ぶつける決意だ。
とうの昔に、家族はバラバラに、崩壊している。
いわば、春田光は、仇をなす元凶だ。
心が沸る様に熱くなっているが、
その一方で、頭はひどく冷静であり、
すでに、敵情を観察している。
「お前...!」
状況を飲み込み、また、侮辱とも取れる
竜司の言葉に、光は、激昂した。
般若の様な形相は、かつて、幼かった
リュウジが見ていたモノ、そのもの。
しかし、
ーー読めてんだよ。
この後、光が、何を言い始めるのか、分かっていた。
「親に向かってその態度は何だ!」
「俺がどれだけ苦労して...!」
「ーー!!」
以下、竜司にとっては、雑音でしかなかったので、
心や脳に入り込ませない様に、シャットダウンした。
この時、5秒にも満たない、
ほんのわずかな時間の中、
竜司の瞳には、ある変化が起きていた。
それは、小さな星々のグラデーションで飾られた
サファイアブルーの美しい瞳へと変えていた。
その眼は、光を捉えている。
が、
それは、全く異なる姿形を映し出していた。
5mを超える身長、全身は黒い毛に覆われ、
赤い目をした、太い牙と鋭い爪を持った獣、
試練の夢で遭遇した、巨大熊であった。
聖女の言葉を借りれば、光は、人間ではない。
相手をプレッシャーやストレスに晒し、
暴力的な支配で虐げる姿が、本性だ。
それは、原始的な動物のそれと、何ら変わりない。
とどのつまり、相手にするだけ、ムダなのだ。
動物的な脳しか働かない、人だった”アイツ”に、
まともな会話は通じないのである。
実際、光は、竜司の辛辣な言葉に、
過剰なまでの反応を見せ、より感情的になり、
今も、罵詈雑言の嵐で、マウントを取ろうとする。
ーーもうメッキは、剥がれてるんだよ。
竜司は、瞳に宿った力を、体で理解した。
そして、同時に、相手の分別、格付けも終えた。
「黙れ。」
圧のある一言が、光の小汚い口を閉じさせる。
夢と同様、この熊は、こちらから攻められると、
あっけない程に、力が弱く、倒れ込む始末だ。
見てくれだけの飾りに過ぎない、
虚勢を張っただけの、金メッキである。
口の巧さや狡賢さだけは一人前で、
それなりの社会的なステータスを
勤め先の企業では、与えられていた。
しかし、光の底が見えている竜司には、
関係のない事柄であり、恐怖もない。
ーーいざとなれば、殴って倒せばいい。
肉体的な力でも、関係は逆転している。
だから、たとえ酷い事を言われても、
もはや、昔の様に、暴力に走る事は
還暦を過ぎた光には、ほぼ不可能だった。
骨折をしているハンデはあれど、
竜司の立場は揺るがないのだ。
うかつに、光が手を出せば、返り討ちに遭い、
後を引く、傷さえ負いかねない。
頼みの綱は、その口先だが、
それも今や、竜司に通用しない。
「俺の知った事か。」
「そもそも、テメェとあのクソ母が
ちゃんと家庭を顧みれば、よかった話だろうが。」
「良い年した大人が、喚いてんじゃねぇよ。」
「ピーチクパーチク、恥ずかしくねぇの?」
竜司の止まらない波状口撃に、なおも、光は、抵抗する。
「だから、お前の為に...」
物理的にも、精神的にも、
竜司に敵わない事を、無意識に理解している
光に残された道は、二つ。
Aルート:真摯に、過去の過ちを認め、
贖罪しながら、これからの余生を過ごす、
Bルート:非を改めず、いつまでも
言い訳を繰り返しながら、惨めに孤独死、
この両者、どちらか一方である。
しかし、Aの選択は、光が、病室に入った
最初に、竜司にかけた話の時点で、潰えていた。
竜司の問い質しにも、向き合わず、
のらりくらりと言い逃れる始末だ。
残念ながら、更生の余地はない。