八十八 養鶏場での開戦。原因。
九月二十日。午後五時。曇り。
「お前が山猫党の党首の弟、つまり幹部って事でいいんだな?」
「待って下さい! この幹部、犬飼(弟)とは停戦条約を……条約を?」
「ああ、条約は結んでいないし、そもそも停戦も口約束だからね。如何ともし難いところなんだけど?」
取り敢えず拳銃を引っ込めた自衛隊連中は犬飼信道を信用する事は無かったが、ひとまず銃を下ろす事にしたようだ。
「で、あんたは何でここに居るんだ?」
「なんでと聞かれれば諜報員……簡単に言えばスパイかな? 彼等の情報で、君達が今日、朝日奈養鶏場に集まるという情報を得られたからね。だから僕が赴いたわけだよ」
この状況でクソ犬が俺達に接触して、更にスパイ行為を認めた。その上でクソ犬が赴いてきたのであれば。
奴は敵だ。こちらを舐めている敵に容赦する必要なんて無い。しかしここで戦闘が始まれば養鶏場の皆さんに迷惑が及んでしまう……
焼き鳥を美味そうに食い終えた犬飼信道がニヤニヤしながら周囲をゆっくりとながめる。
あ、これは皆殺しパターンだな。かつて読んだマンガやラノベのパターンと一致する。ってのはこじつけに過ぎないが、ここで先制しないと非常にマズいような気がしてならない。
「あきらさん! アイツは敵です!」
手に持ったつくね串を勢いよく口に頬張って……口の周りをタレまみれにして犬飼信道に突進するあきらさん。
「健治さんとまゆさんは完全変化しないで防御に専念して下さい! それからエリー!」
「はい! ご主人様!」
「遠慮は要らない。全力であの犬をもてなしてやれ!」
ちょっと驚いた表情のエリーはすぐに俺の意図を汲んでくれたようで、すぐさま完全変化に至る準備に入った。時間は午後五時過ぎ。『満月』は明日だが……『ほぼ』全力全開の力を振るえるのではないだろうか。
既にあきらさんが信道と戦闘に突入していて、周囲……ってか、非戦闘員は全員母屋に押し込まれたようだ。小林一佐を筆頭とした自衛隊連中が玄関前で拳銃を構えて殺気立っている。
正直言って王階級には無意味なんだが……彼等の心意気に取り敢えずの敬意を払う。
エリーの完全変化はまだもう少しの時間が掛かる模様。あきらさんが時間を稼いでくれているが、信道はニヤニヤとした笑顔で、あきらさんの攻撃を片手間で捌いているように見える。
「あはは、あきらさんだっけ? それなりに強いと思うけど、僕には敵わないよ? 諦めた方が良いんじゃない?」
「そうか、今の自分では王階級に敵わないか……残念だ」
「それじゃあボクが! お姉様の後を継ぐから! お姉様は人間達を守ってね!」
突如として現れたエリーが先程の台詞と共に信道の顔を殴る。
ちょっとエリーさん!? あんた完全変化の途中じゃないの!?
グシャア……とかグポァ……とか。
あまり心地の良くない音と共に、信道が地に墜ちた。あれ? これってチャンス?
「殺せ! 何が何でも構わない! 全ての責任は俺が負うから! だからコイツを!!」
「コイツをどうするつもりなのかな? 蘭堂朝春君、君の戦術、戦略は大したものだと聞いていたけど……手駒が吸血鬼と狼だけじゃあ、僕を仕留めることは出来ないよ?」
エリーに殴られたはずの信道が綺麗な顔をして語っている。この野郎は格下に殴られても無傷なのか、殴られた跡を隠すのが得意なのか? 恐らく前者だな。さすがは王階級ってところか。
それにしてもエリーの覚醒は完全だったのか? 中途半端な覚醒で犬飼信道に突っかかったんじゃあ……?
「君たちから仕掛けてきたんだから同盟……っていうか停戦の話は無しで良いよね? 取り敢えず君たちには全滅してもらうから」
あきらさんの攻撃を意に介せず、受け流しながら信道がドヤ顔で語る。
「エリー! 完全変化出来たのか!?」
「も、もうちょっと……」
「半端な変化で朝春君に迷惑を掛けるな! 貴様の行動次第で朝春君の生死が決まるんだぞ! もっと気合いを入れろ!」
「ご、ゴメンなさい!」
やっぱり半端な変化で手を出したのか。役に立ちたい気持ちは分からないでも無いが、完全に悪手だった。
吸血鬼たるあきらさんが本領発揮出来るのは夜であり、それまでには一時間半から二時間ほどの時間を要する。
まゆさんは一般階級のデスナイト。ちらりと見て視線が合うと『無理無理! 瞬殺されちゃうから!』的な視線とゼスチャーを送られた。
それじゃあ、まゆさんの夫で王階級の健治さんへと視線を移す。
申し訳なさそうに頭を振られたので戦力としては期待できないようだ。
他の上位種といえば、ヒールスライムの有原次郎とウサギの獣人、朝日奈ひなたの二人。全滅を視野に入れないとヤバいかも?
先程からあきらさんの攻撃をかわし、受け流して対処している犬飼信道だが、よく見ると彼はあきらさんの攻撃をいなすだけで反撃はしていない。
王階級にして犬の獣人なんだから貴族階級の吸血鬼如き、簡単に制圧出来るように思うが……?
ウオォォォォン!!
エリーの変化がようやく済んだか。銀色の毛並みに闘気をバチバチと纏わせて、どこの戦闘民族だよ! って、ツッコミ待ちなのか!?
「ああ、さすがにそのランクの獣人には敵わないね」
犬飼信道の言葉が終わらないうちに、『そのランクの』エリーが奴の首を刈るべく跳躍したが……
何の手応えも無く着地した彼女は即座に俺に向かってその爪を振るい……
俺の背後に立った犬飼信道を仕留め……られなかった。
どうやらこの男、短距離なら瞬間的に移動できるようだ。以前の市役所から姉の紅葉と一緒に消えたのも短距離の移動を繰り返したのか?
犬飼信道を仕留め損なってバランスを崩したエリーを抱きかかえて、思考を深める。……深めたいんだけど、エリーの身体っていうか、抱き心地が柔らかいな。
今、俺に必要なのは戦力とか知略じゃなくて、癒やしなんじゃなかろうか!?
『あの、ご主人様……?』
両手で抱き締めると柔らかく、心地良い弾力を感じる。匂いも心地良く……
左頬を殴られた。ちょー痛い。
「正気に戻りましたか? 朝春君が正気を失っていたようなので強硬手段に走ってしまいましたが、正気を取り戻してくれたようで何よりです」
いや、俺が正気だってのはあきらさんは分かっていたはず。つまり、遊んでないで真面目にやれ……って事かい。
「君たちと遊ぶのも楽しいけど、そろそろ僕も帰らないといけない時間なんだよ。うちは門限が厳しくてね。ゆっくり遊んでる時間も無いんだよ。
後の相手は彼等に任せるから、次に会った時には是非とも感想を聞かせて欲しいね」
そう言って犬飼信道は姿を消した。彼等ってなんだ?
小林一等陸佐と最上・十島三等陸尉が中心となって事態の収拾に努めているが、別段大規模な戦闘があったわけでは無い。この場の安全が確認できればそれで問題は無いんだ……
「ゾンビが! ゾンビが向かって来ています!」
「あきらさん!」
自衛隊員の報告に反応してあきらさんに指示を送ってしまったが……良かったのかな? 良かったとする。このタイミングでゾンビが俺達を襲ってくるってのは、つまりこの一帯のゾンビの支配権が敵に移ったって事で。
支配権を取り戻せないなら、この辺りの安全は確保出来ない。上位種がいても。
「総員、構え! 狙うはゾンビの頭だ!」
「この場で一番位が高いのは健治さんですよね。ゾンビ達の支配権を取り戻して下さい!」
「いや、朝春君……私はそのような経験が無いからどうして良いか分からないんだ」
確かに。王階級とは言え経験ゼロの健治さんに求めるべきではなかったか。
じゃあ、経験豊富なあきらさん! お願いします!
「申し訳ありません、犬飼信道の命令が優先されているようで。自分がこの一帯のゾンビ達に命令する事は出来ません」
「つまり、私達は全てのゾンビをぶっ殺せば良いんですね?」
「千鶴、蘭堂様の御前だ。言葉を慎め。……しかし、私が全てのゾンビを葬れば……蘭堂様は……あぁ! 言葉にしてはいけないと、そんな空気を感じました!」
「二人とも、茶番は結構です。やる気があるなら即座に行動に移して下さい」
おぉ、さすがあきらさん。人心掌握もお手の物か。
犬飼信道が姿を消して、『後の相手は彼等に任せる』と言った。それがゾンビと断定は出来ないが……今夜、俺達は眠れるのだろうか?




