七十六 移る戦場。支配された敵地を歩け。
「犬飼はピッグカメラに向かったわ! 彼女の目的は恐らく避難者達の洗脳よ!」
犬飼は避難者を洗脳して一気に手駒を増やそうってつもりか?
「あたしに物資の横流しの話を持ち掛けてきたピッグカメラの変な男、そいつと話してからの記憶が無かったんだけど……
今ならハッキリと思い出せるわ。スマホの変な画面を見せられた事も、頭を打ち抜かれた事も!」
「お、お母さん……だよね?」
「ねね……ごめんなさいね。あたしがしっかりしてないから、ねねと朝春ちゃんを巻き込んじゃって……」
「でも! あたし! お母さんは死んじゃったって思ってぇ……!!」
母と娘の感動の再会だろうが、今は時間が無い。
「市役所に向かう! 総員トラックへ……」
皆の視線が集まる。健治さんと祭さんへと。
『市役所までなら水ごと移動出来るわよ。十分も掛からないと思うわ!』
なら問題無し。健治さんはどうよ?
一歩歩く毎にズシン! という効果音を発生させる彼を効率良く運ぶには……
まだ『人化』出来ない彼を運ぶにはトラックが必須だが、面倒なので徒歩で付いてきて貰う事にした。
「朝春ちゃん? 何で市役所に行くの? 犬飼は仲間の居るピッグカメラに向かってるとおばさんは思うんだけどー?」
「ピッグカメラと銅寿司の避難者は全員、市役所に移動したんです」
移動したのは一昨日の午後。丸二日経っているがどれ程の人間が洗脳されてしまったか。
「分かったわ。じゃあ、市役所に急ぎましょうー!」
「お母さん! そっちは逆だから! そっちは茨城だから行っちゃ駄目ー!」
まゆおばさんの方向音痴は筋金入りだったのを忘れていた。
よく今まで生きて来られたな……
乗ってきたマイクロバスにそれぞれ乗車して貰って……俺と桜花とねねはアリス達の騎馬に乗ってるし、このまま移動した方が早いかな?
「まゆおばさん、身体の具合はどうですか?」
「もう大丈夫よ。改めて思うけど、ゾンビ……上位種の身体って凄いわねぇー。何だか若い頃を思い出すわぁ」
問題無し。
「健治さんは『完全変化』を維持したままで付いてきて下さい。多少遅れても良いから……市役所の場所は分かってますよね?」
「問題無い。『完全変化』を維持する理由は?」
時間が無いので手短に説明する。一旦解除すると、再度『完全変化』出来るまでに半日から一日のインターバルが必要だからだ。
これは個人差によると思われるが、一日に何度も『完全変化』出来ない以上、維持した状態でお願いします。
ちなみに『完全変化』を解除した時の疲労は、変化持続時間に比例するらしい。今は緊急事態だから教えないけど。
その辺りの事情を知っている祭さんと桜花には悪いが、何せ相手は『王階級』だ。市役所での第二ラウンドが待っている以上、二人にも『完全変化』を維持して貰う。
「あ……」
準備が整って出発した直後に朝日奈さんの存在を思い出してしまった。
「あきらさん、後で迎えに来るから心配しないでくれ! ……って、伝えておいて」
「ちょ!? 自分が伝えるんですか!? 置き去りにした理由を!?」
隣を走る彼女に、あきらさんにしか頼めない事なんだけど……と、申し訳なさそうに言ったら歓喜の表情で朝日奈さんにスマホでメッセージを送るあきらさん。
歩き……走りスマホは危ないよ!
メッセージを送った瞬間に返ってくる着信に若干怯みながらも事情を説明するあきらさん。
「と、言うわけでしばらくそこで待機していて欲しいんだが」
『そういう理由ならしょうがないな! まぁ、あきらや少年が私を頼ってくれた以上、ここの女性達の身の安全は保証するぞ!』
あきらさん、ちょっと電話代わって。
「蘭堂です。誰でも良いから保護してる女性に替わって下さい」
『ん? ちょっと待っていろ』
『お電話替わりました。あの、保護して貰っている身で大変恐縮なのですが、不安でしょうがないんです! 早く助けに来て下さい!』
「申し訳ありませんが、そこの痴女は天然で不安を煽ってるだけなので気にしないで下さい。
男達の襲撃はありましたか?」
『いえ、今のところはありません』
「相手が一般人ならそこの痴女は問題有りませんから、もうしばらく耐えて下さい。以上です」
返事を聞かずに通話を切った。まだ発狂していないとは、中々の精神力だと感心する。
ねねもあっちで待機してても良かったんじゃないのか?
「ちょっと、冗談でもやめてくれる!? あ、いや……朝日奈さんを悪く言うつもりは無いんだけど……」
じゃあどんなつもりだ?
「何でも良いでしょ!? もう!! お母さん! 鉄砲の弾持ってる?」
そんなティッシュある? みたいなノリで聞かないで欲しいんだけど?
「鉄砲の弾は無いけど、剣ならあるわよー?」
言ってその手に出現した両刃の剣。
「そう言えばその剣って何処から出したんですか?」
「何処からって言われても良く分かんないのよねぇー」
上位種の種族固有能力だろう。『無から剣を生み出す』って、物質創造……いやいや、おばさんは『王階級』じゃ無い。
精々、周囲の金属を剣に加工……十分過ぎる程のチートでは?
試しに一振り見せて貰ったが……素人目に見て、良くも悪くも『普通』な感じ。
もちろん刃物なので取り扱い注意なのだが……あきらさんのナイフの方が切れそうだし、頑丈そうだ。
「剣じゃなくて、刀は作れないんですか?」
「試してみたけど駄目だったのよー」
あまりおばさんの格は高くないようだ。『一般階級』かな?
「主殿! 市役所が見えてきたぞ! 作戦はどうするんじゃ!?」
状況が分からないから作戦も何も無い。最優先で犬飼を探す。
入り口付近で中の様子を伺うと……色街……オーガが暴れていた。
あの野郎、馬鹿正直に本名を答えたな。
「健治さんはあそこのオーガを抑えて下さい。『一般階級』の力だけのオーガなんで手加減してあげて下さい。
両手と両足を砕けば十分ですけど復活の恐れがあるんで定期的に下半身を砕く位の勢いで」
「ちょ!? 待ってくれ蘭堂君! それはいくら何でも残酷過ぎやしないか!?」
「あなた! 上位種はその程度の怪我は何でも無いのよ! 朝春ちゃんの指示に従って!」
疑問符を浮かべながらも従う健治さんに、宮湖橋家の夫婦間のヒエラルキーを見た。
色街はどうでも良い。犬飼はどこだ?
色街が暴れている以上、ここに居るのは確定だけど……
「ふふふ。飛んで火に入る夏の虫とは正にお主等の事でござるな」
一昨日会っただけの相手だが、そのござる口調は忘れたくても忘れられない。
「やっぱりお前だったか。まゆおばさんを洗脳したのもお前だったんだろ?」
「まゆとやらは知らんが、そこのババアを洗脳したのは拙者で間違い御座らん」
「誰がババアだって……!!」
「落ち着け、ねね。怒りを横に置いて平常心を保て。怒ったら負けだぞ」
相手を煽る戦法はよく使うからその対処も問題無い。だけど山猫党の一員とは言え、自称柳生十兵衛の相手してるヒマは無いんだけどなぁ。
市役所入り口で立ち塞がる柳生十兵衛(仮称)。畑で暴れる色街を抑える健治さん。
折角の畑が荒らされている……
右手を天に掲げて、柳生(仮)に向けて、その手を降ろす。
直後に降り注ぐ水の槍。
避けきれずに、次々と刺さる水の槍に(仮)は驚愕の表情を浮かべて息絶えた。
「桜花、コイツって上位種?」
『だった……が、正解じゃな……』
何と。だったら『完全変化』させてから仕留めるべきだった。
いや、今は時間に余裕が無いからしょうがない。死体の収納ヨロシク。
どうせ犬飼は大根さんの所だろう。この場のトップを抑えるなり処分するなり、俺ならそうする。
「「旦那!!」」
「蘭堂君!」
小町ちゃんと藤枝さん、ちょっと久しぶりの坂本龍次が息を切らせて近寄ってきた。
「そこで止まれ! 無許可で自分達に近づく者は敵と見なす!」
洗脳されてる可能性があるから仕方無い。
驚きながらも、あきらさんの気迫と彼女が構えたナイフにビビって彼等は立ち止まる。
一般人相手の威嚇には殺気や圧力よりもナイフが有効だと学んだらしい。
……あきらさんだったら日本刀の方が絵になるかも。
今度刀剣販売店を調べてみるか……或いは美術館か?
「偉そうな態度のケモ耳が来たはずです。どこに居るか知りませんか?」
「お、おう! 正にその話をしに来たんだ! ありゃあ、上位種だろ!? 色街が急におかしくなっちまってよ!」
「パニックになりながらも何とか避難が終わった途端に現れたのが蘭堂君達よ! 一体どう言う事なの!?」
「み、み、み……!」
み?
「宮湖橋まゆ!! アタシが殺したハズっス! さてはゾンビになって復讐に来たっスか!! あれはやむを得ない処置だったっス! だから成仏するっスよ!!」
あぁ……藤枝さんから見たらそういう風に見えるな。確かに。
今は誤解を解く時間が惜しい。
「藤枝さん、落ち着いて下さい。それで、ケモ耳は何処に……」
ぴんぽんぱんぽ~ん
『あー、テステス。本日は晴天なり。
こほんっ。蘭堂朝春!! 市役所はあたしの勢力下に入った! コイツらは全員人質だ!
この意味が分かったらお前一人で市長室まで来な。十分以内だ。一分過ぎる毎に人質が一人、あたしの腹の中に消えていくからそう思え! 以上!』
「じゃあ、行ってきます」
「ちょっと! ノータイムで行こうとするんじゃないわよ!」
「朝春君! テロリストの要求に従う理由は有りません! こちらから強襲しましょう!」
『そうじゃ……人質と主殿……どちらが大事か……考えるまでも無い……』
満場一致で反対された。気持ちは分かるけど市長室まで急いでも三分。あと六分以内に逆転出来る作戦が思い付く筈も無し。
「旦那、犬飼様は優しいお方だから悪いようにはしねぇって。悩む理由なんかねぇよ!」
坂本のおっさんには後で痛い目を見てもらおう。猶予時間、あと五分。
今から連絡してもエリーと若葉さんは間に合わな……エリーだったら間に合うかも。
いや、そうじゃないな。市長室を水没させて窒息死……上位種は呼吸の必要が無いんだっけ。あと四分。
桜花に市長室を爆破してもらう……大根さんは確実に死ぬだろうけど、犠牲者は少なそうだ。……洗脳された避難者達が爆破後にどんな行動を起こすか分からない。あと三分。
避難者全滅覚悟で、全員で突撃……後味悪いし、自衛隊に敵認定されそうだな。あと二分。
騎馬から降りる。
「朝春君!!」
「やっぱり俺が行くしかないよ。他人が殆どだけど、大根さんや坂本のおっさん、小町ちゃんに藤枝さん……見捨てたら今夜のラーメンマズくなっちゃうしな。
最悪、洗脳されても皆と一緒にテロリストになるだけだから。まぁ、そういう生き方もこの際有りで良いんじゃないか?」
あと一分。
「朝春君……自分はその言葉にだけは従えません。
自分はあの日、マンションの駐車場で君を見付けたあの日に、自分と生涯を共にする運命の相手だと知ったんです!
君が洗脳されてテロリストになるくらいなら……いっその事、人質を無視して……」
「あきらさん、それは駄目だ。それに俺はまだ諦めて無いんだけど? て言うか運命の相手って……?」
時間切れ。
「そ、それはその! 何と言うか! あの……」
「あきらさん、せめて市長室前までは一緒に行こうか。桜花、この場の指揮を任せるよ」
『主殿……ま、任されたぞ……報酬は今夜のチャーシュー……倍増じゃ! いいな! ……』
俺のチャーシューが無くなるから却下だ。
本格的に時間が迫ってきたのであきらさんにおんぶさせて貰って急いで向かう。
令和三年。九月十九日。晴れ。
十二時五十九分。
千葉県柏市。柏市役所市長室前。
さすがに緊張してきた。果たして、自分に出来るだろうか? 意外と何とかなりそうな気がするが、『アレ』はドラマや漫画等での演出だと俺は知っている。
「朝春君……不安でしたら自分が代行しますが……?」
それは格好悪いにも程がある……が。失敗した時の事を考えるとそれも有りなのでは? ……と、市長室の扉を前にして考えが巡る。
『アレ』とは。
人生に於いて一度やってみたかった、ドアを蹴破っての入室だ。
「そろそろ時間です」
俺の脚力は一般人並……やや、下回るかな?
やむを得まい。あきらさん、お願い!
「了解です。ちょっと離れていて下さい」
一歩下がって狙いを定め、あきらさんが市長室の扉に蹴りを入れた。
派手な音を立てて吹き飛ぶ扉は幸いにも誰も傷付ける事無く、部屋の中央辺りへ蹴り飛ばされて沈黙。
「招待に応じて来てやったぞ? お茶くらいは出してくれるよなぁ、おばさん?」
イマイチ格好が付かなかったようだ。




