七十二 或る男の死体。覚醒とウサギ。
祭さん達と合流する前に、大事な儀式が一つ、残っている。
夢ノ島の死体の処分だ。
『完全変化』状態で死んだ彼は人間大のゴキブリの姿のままで、俺達の前に横たわっている。
放置して忘れた頃に復活とかは勘弁願いたいので、確実に処理しないといけないのだが……。
振り返ると全員が顔を背ける。ねねまでも。
「健治さん……」
「私は無事覚醒出来たから! これ以上は必要無いと思うぞ!」
それもそうか。じゃあアリス……
アリスは無表情だが、何故か必死な様子でイリスとウリスを俺の前に押し出してきた。
――私は既にグーラーですので、覚醒の栄誉は二人に譲ります!
――ちょっ! アリスちゃんそれは無いでしょ!? いくら何でもゴキブリは無いって!!
――そうですよ~! ここはアリスちゃんがリーダーらしく上位種に覚醒って流れでしょ~!!
――私に出世欲は無い! 二人の内どちらかが上位種になったのなら、私はその指揮下に入る!
――単にゴキブリ食べたくないだけでしょうが! うちだって嫌なんだから、ウリスよろしく!
――あたしだって冗談じゃ無いんですけど~!? やっぱりねねちゃんのパパに食べて貰って更なる進化を期待するのが良いんじゃないの~?
そんな感じの流れだったんだろう。三人が健治さんの方を凝視するが、彼は我関せずと、明後日の方を見つめている。
「しょうがない。夢ノ島の死体は桜花に収納して貰って……」
「却下じゃ」
「いや、桜花さん?」
「却下じゃ! 余の『亜空間収納』に死体を入れるのは良い。じゃが、ゴキブリだけは断固として受け入れ拒否じゃ! 絶対に拒否じゃからな! たとえ主殿の命令でもじゃ!」
桜花のゴキブリ嫌いは根が深そうだ。
『一般階級』とは言え上位種の『完全変化』状態の死体は非常に貴重だと思う。
ケルベロスをゾンビ二人で分け合って二人とも上位種に覚醒した事を思うと尚更だ。
ゴキブリを食べたくないという気持ちは勿論理解できるが、これを食べれば誰かが上位種に……という気持ちも……
「健治さん、本当に辞退するんですね? テロリスト達の言葉が本当なら、更なる進化の可能性がありますけど。本当に良いんですね?」
さらなる進化に俺もちょっと興味があるので健治さんを煽ってみる。
意外な事に、俺の言葉で若干迷いが生まれた彼は「ちょっと考えさせてくれないか」と。
あとはどのように背中を押すかだな。
正直に言えば、あきらさんの『浄化の青炎』で処分して、早く祭さんと合流するのが正解なんだけど。
自らの頬を叩いて気合いを入れた健治さんが夢ノ島の死体を貪り始めた。
覚悟を決めたようだが、涙目で……むしろ泣きながら死体を貪る彼を、ねね以外の女性陣が――勿論俺も――尊敬と畏怖の念を持って見守る。
ねねは目を反らしちゃいけない立場なんじゃないのか?
処理が終わって……夢ノ島を食らい尽くした健治さんは涙を流したままその場で跪いた。
彼の勇気に拍手を送ろうと構えたその瞬間。周囲の照明が全て消えて辺りは暗闇に。
そして健治さんの身体が発光して、彼の頭上の人工物の全てが吹き飛んだ。
暗闇の中で健治さんに降り注ぐ、スポットライトのような太陽光。
俺、これ知ってる……。
彼は祝福された光りの中で立ち上がり、涙と共に頭上――空――を見上げた。
もちろん感動や感謝とかの涙では無いのだが。
それでも、空を見上げる彼の姿は神話やおとぎ話に出てくる英雄のような雰囲気だ。
不覚にも格好いいと思ってしまった。
そして彼の身体が変異し始める。
二メートル程だった身体が膨れ上がって三メートル程に。角はより太く強靱に。
既にボロボロだったシャツは完全に破れて、ボディビルダー……いや、それ以上の筋肉の鎧に覆われた上半身が露わになった。
ズボンは辛うじて原形を留めている。
頭から背骨に沿って、たてがみのように生える青黒い毛並み。
筋骨隆々とした巨大な姿と、黒く凶悪な角。
太くなった尻尾の先端部分にはトゲトゲが追加され、ラスボスみたいな何かが俺達の前に現れた。
そして頭頂部には金色に輝くこぶし大の王冠。
ミノタウロスがゴキブリ喰ったら『王階級』になった件。
笑えねぇ。よりにもよって『王階級』かよ。やっぱり更なる進化ってのは嘘じゃ無かったみたいだ。
ミノタウロス……じゃないよね?
獣人系だろうけど『王階級』に相応しい種族ってなんだろう?
「蘭堂君、お仲間がピンチなんだろう? 今の私なら覚醒直後とは言え役に立てる筈だ。早く向かうべきだろう」
頭上から健治さんの言葉が降ってきた。彼の言葉に異論は無いが、圧が半端無いな。
『通常状態』の筈なのに、まるで『完全変化』状態だ。彼が『完全変化』したらどれ程凶悪な見た目になるのか興味が尽きない。
「殿下。この度は覚醒おめでとうございます。早速で恐縮なのですが……」
「待て、あきら。祭のところに敵上位種の増援が来たようじゃ。早く合流するぞ!」
休憩がてら健治さんの能力確認したかったんだけど……のんびりしてる場合じゃ無いか。
「あきらさんと健治さんは直接祭さんの援護に。俺と桜花とねねはアリス達に乗って朝日奈さんと合流。
どうせあの人、避難してた女性達の護衛で戦ってないんでしょ?」
「うむ、さすが主殿。ウサギの性質を良く理解しておるようじゃな」
「上位種はともかくゾンビに襲われる可能性がある。悪いけどねねは彼女達と一緒に居てくれ。
あ、それと拳銃頂戴」
残弾が無くなった拳銃をねねと交換した。とは言えこちらも残り二発。
使う機会はもう無いと思うが、ちょっと不安だな。予備の弾を持ってくれば良かった……。
祭さんは屋外駐車場で戦っているらしく、あきらさんと健治さんは窓へと走る。二階から直接飛び降りるようだが……健治さんの走る速度がちょっと速くなったような?
「俺達はエスカレーターから降りるぞ!」
騎馬状態のアリス達に無理矢理三人乗って、それでも変わらない速度でエスカレーターの手すりを足場にして、アリス達は器用に走る。
一階フロアに着地したアリス達は駆け足程度の速度で目的地へと向かい、女子トイレの前で止まった。
「あの、桜花?」
「朝日奈! おるのは分かっておるぞ! こちらは片付いたから扉を開けよ!」
トイレの引き戸がほんのちょっぴり開いて、隙間から朝日奈さんがこちらを伺っている。
「て、敵は居ないんだろうな!?」
「残りの上位種達とは駐車場で戦闘中じゃ。さっさと開けんか」
ここなら入り口も狭いし女性達を守りやすい……と思う。急に催しても安心だしね!
「ねねはここで待機じゃ」
大人しく桜花に従うねねだったが、その表情は少し複雑だ。やはりトイレに立て籠もるのは抵抗があるらしい。
「朝日奈さん、何か問題は?」
「特に無いぞ! むしろ誰も襲って来なかったから退屈だったな! ははは!」
――ついさっきまでガタガタ震えてたクセに……
――「あきらぁ! 助けてぇ!」って五分置きくらいに叫んでたわよね……
――守って貰ってる? 立場で言いたく無いんだけど、逆に不安でしょうがなかったわ……
――うろつくのは百歩譲ってヨシとしても、ハイヒールのコツコツした足音がマジでウザかった……
「……ねね、外は上位種達の戦場だ。危ないからここで待機しててくれ!」
「いやぁぁ!! あたしは絶対降りないわよ! 桜花ちゃんとアリスさん達に守って貰うんだから!!」
ねねは朝日奈さんの護衛が気に入らないようだ。俺だってここで待機してたら発狂する自信がある。
「そう言えば朝日奈さん。生存者グループの男達、あと四人残ってる筈なんですけど、ここに来ましたか?」
「いや? ここに避難してからは誰も来なかったぞ? まぁ、来たとしても私の敵では無いがな! ははははは!」
一般人相手には強気なんだよなぁ……。
男達の誰かが実は上位種って可能性が……いや、今は言うまい。
「桜花、敵の『王階級』の種族は分かる?」
「いや、犬飼紅葉と言ったか。『完全変化』はしておらんようでな。
精々耳の形から犬か猫か……と言った程度じゃな」
名字に従えば犬だけど……三角形に尖った耳と『犬飼』の名字を嫌った事からネコ科の獣人と推測する。
幸いホームセンターにペット用品が揃ってるから、効きそうなアレを回収。
犬や猫ならタマネギやニンニクで中毒症状を起こし、最悪死に至るが……狼のエリーが問題無く食事をしているから効果は薄いだろう。
て言うか大量のタマネギやニンニクを食べさせるのは不可能だ。
アリス達の騎馬に俺、桜花、ねねの順で乗って屋外駐車場へ移動。窮屈この上ない。
駐車場は水浸しで車の残骸が周囲に散らばっていた。
しかし、まず目を引いたのはおびただしい数の骸骨。骨を棍棒代わりにあきらさんを集団で襲っているが……単なる足止めにしかなっていない。
彼女が腕を振る度に脆く砕け散る彼等は、生前カルシウムが足りていなかったのでは?
あきらさんが爪を振るって砕きつつ『浄化の青炎』で灰に変えているが、数が多すぎる。百体以上いるんじゃないか?
「まゆ! 俺だ! 健治だ! 正気を取り戻してくれ!!」
まゆおばさん!?
「お母さん!?」
「森平に続いて宮湖橋まゆまでもが復活とはな。洗脳されている可能性が高いぞ!」
健治さんは祭さんの盾となりつつまゆおばさんに正気に戻るよう訴えかけ、祭さんは彼の陰から犬飼紅葉に『水球弾』や『水刃』を放っている。
が、犬飼は祭さんの攻撃を余裕で躱して健治さんに攻撃を……全く効いてないみたいだな。
桜花を見ていて何となく思ったことだが、『王階級』は絶対的な強者では無い。
『一般階級』のエリーが『貴族階級』の森平を格闘で追い詰めた事を考えても、格の差より能力の相性が重要なんじゃないだろうか。
祭さんが『王階級』の犬飼相手に今まで無事だったのも相性の問題が……犬飼が『完全変化』してないから様子見だった可能性もあるのか。
「主殿! 作戦はまとまったか!? 今回は余も活躍させるんじゃぞ!」
今、分析中なんだってば。
周囲は水浸しだから雷は使用禁止。
炎で一掃……味方に被害が及ぶ。
骸骨の召喚主と思われるまゆおばさんを直接攻撃……はマズいよね。
「桜花、魔法でどれ位の水が出せる?」
「さて? やった事は無いから何とも言えんが、余力を考慮すればドーム一杯分くらいはイケるハズじゃ!」
マジで? それじゃあ後は祭さん次第か。
「確認出来たぞ! 祭はイケるそうじゃ!」
ヨシ! さすが祭さん! 後の事は全く考えていないけど、フワッとした方向性だけは何となくあるから作戦開始!
……と言っても、さすがに大量の水を生み出す魔法は集中に時間が掛かるようで、安全を考えて健治さんの背後に移動して貰った。
「まずは祭に水の補充じゃ」
桜花が指をぱちんと弾くと、祭さんの上空に水球が出現して、膨らんでいく。
直径十……十五メートルくらいか? 膨張が収まったと思ったら今度は急速に縮んで祭さんの手元で浮遊する、サッカーボール大の水球。
「殿下、助かったわ~」
直後に水球から撃ち出される何発もの『水球弾』。
「ちっ! 今までよりも速度上がったね! ま、あたしにはかすりもしないけどね!」
桜花の圧縮水球弾も中々の威力だったが、水の扱いに関しては祭さんの方が上のようだ。
着弾した弾はアスファルトを大きく削る程の威力だが、しかし犬飼の言う通り当たらなければ意味が無い。
「あれで良い。時間が稼げれば問題無い」
言いながら桜花が俺の背中をよじ登る。ちょっと桜花?
結果、桜花を肩車する形になり、ねねの目の前には桜花の尻。
「ちょっと桜花ちゃん?」
「ねねよ、余が落ちないように背中を支えているんじゃぞ。それと主殿、アリス達の指揮権を臨時で与える。
言葉で命令出来るが、余の集中が途切れる故、緊急時以外は動かぬように」
はいはい。
「……」
頭上の桜花から禍々しい圧がじわりと広がる。悪意が無いので特に影響は――少なくとも俺には――無いが、ねねは大丈夫か?
「だ、大丈夫……だけど……桜花ちゃん……まさか……」
『カハハ……余の『完全変化』。見せてやれぬのは残念じゃが……後でゆっくり楽しむが良い……』
このタイミングで『完全変化』か!
ていうか人の頭上で変化しないで欲しいんだけど……?




