七十一 或る男の死体。覚醒と対処。
「それじゃあ健治さん、おかわりです。よろしくお願いします」
言うまでも無いが、森平の処理だ。さっきは不発に終わったけど、さすがに『貴族階級』を食べれば上位種に進化するだろう。
「やっぱり……食べなきゃ駄目……なのか?」
「駄目です。敵に『王階級』が居る以上、戦力は多いに超した事はありませんから。ねねの為ですよ?」
「そ、そうか、そうだったな。ねね、お父さん、頑張るからな!」
「ちょっと朝春? あたしをダシにしてお父さんに無理強いするのやめてくれない?」
「ダシも何もその方が受け入れやすいだろうし、何より事実だ。早く祭さん達に合流したいから急いで下さいね?」
言って健治さんを急かす。あきらさんが『一般階級』相手に想定外の苦戦をしている以上、進化の為の『食事』に時間を掛けて貰っては困るからだ。
「桜花、あきらさんの援護を……」
声を掛けた桜花はあきらさんの方を向いたまま固まっていた。
あきらさんは夢ノ島に攻撃を続けているが、その全てを躱されて苛ついているような、焦っているような雰囲気だが……
彼女の周囲に群がる黒光りする小さなナニか。
踏み潰したり、爪で切り裂いても纏わり付いて集中力を削ぎ、視界を遮る。
その数は数百から数千だろうか。
ゴキブリに苦戦するあきらさんが、そこに居た。
「桜花! あきらさんの援護を……」
「無理じゃ! 無理無理無理!! 何じゃあの大量のゴキブリは!!」
アリス達の後ろに隠れて涙目で訴える桜花。気持ちは分かるけど魔法で何とかならないかな?
「そ、そうじゃった! あのようなおぞましい存在、上位種ごと灰も残らんように燃やし尽くしてくれるわ!!」
「ちょっと桜花ちゃん!? あきらさんも一緒に燃えちゃうから駄目よ!」
確かにそれはマズい。夢ノ島はゴキブリの上位種で確定だが、奴自身より眷属のゴキブリの方が遙かに厄介だな。
かつて犬を使役したケルベロスの上位種が居たが、獣人――夢ノ島の場合は蟲人か? ――は同じ種族の生物を使役する事が出来る。
三つ首のケルベロスは勿論現実には存在しないが、犬のカテゴリーだったようだ。
エリーが犬を使役出来ない事を鑑みると、犬と狼は別の種族として線引きされているようだ。
そう言う意味では今まで出会った上位種で、該当するのはウサギの獣人である朝日奈さんだけだが……。
そもそもウサギを使役して何が成せるのかが疑問だ。
あきらさんの能力の『霧化』は無意味。『浄化の青炎』は死体にしか効果が無い。
ゴキブリを無視して夢ノ島に攻撃を仕掛けるものの、恐らく種族特性だろう。素早さに特化した夢ノ島に彼女の攻撃は当たらない。
夢ノ島の攻撃はあきらさんに当たっているようだが、格の差からか彼女にダメージを与えるに至っていないようだ。
互いに決め手を欠いたまま時間だけが過ぎていく。桜花は大量のゴキブリを見て戦意喪失状態。
俺とねねはそもそも戦力外の足手まとい。
そっとアリスを見る。
目が合った彼女はふいっと俺から目を反らした。ゴキブリの群れに特攻する気は無いようだ。やっぱり意識があるよなぁ?
「私が加勢しよう」
健治さんの声で振り返ると、彼の上半身は筋肉で膨れ上がって服の切れ端が少し纏わり付いて。一歩踏み出した足音はドスンと鳴った。
身長も二メートルは超えているだろう。頭の両脇から乳白色の角を生やしたその姿はオーガである色街と似ているようだが……尻尾があるな。
細めで、先端部分は毛が長い。色は黒。牛かな? 牛だな。牛に決まり。
牛の獣人と言えばいわゆる牛頭人。ミノタウロスと呼ばれるモンスターだろう。
「健治さん! 覚醒出来たんですね!」
「ああ。これが覚醒、これが上位種か。身体の奥底から力が漲ってくるかのようだ。
しかしゴキブリ相手には素早さが足りないように感じるな。どう動いたら良いかな?」
見た目通りのパワー系キャラか。一発当てられれば夢ノ島は粉々だろうが、当たらない攻撃に意味なんて無い。
「ちぃ! この期に及んで覚醒か! ノロマな筋肉馬鹿で助かったがさすがにマズいな……やむを得まい!」
夢ノ島が一瞬硬直したかと思うと、その体は一回り縮んで、予想通りの姿。
ゴキブリの蟲人へと『完全変化』を遂げた。
「「「……」」」
彼の姿に思わず沈黙が流れる。
何て言うか、直立する人間サイズのゴキブリ……としか表現のしようが無い。
手足? は一応女性の腕くらいの太さはあるようだが、あれってむしろ弱体化じゃないのか?
興味深そうに父親と夢ノ島の身体を検分するねねを尻目に、頭を切り替えて作戦を考える。
攻撃が当たらないなら自ら当たりに来て貰えば良い。
夢ノ島を誘導して、その先で健治さんの攻撃が当たるように。
「蘭堂君の考えが纏まるまでは、能力の確認がてら好きにさせて貰うぞ」
俺の合図を待たずに健治さんがドスドスと駆けていく。お世辞にも速いとは言い難いが、彼にとってはどの程度の速度なんだろうか?
突然現れたミノタウロスに驚いたあきらさんだったが、多分テレパシーだろう。状況を理解して健治さんに指示を出し始めた。
アンデッド同士のテレパシーってホント便利そうだな。敵に聞こえないように会話出来るみたいだし、地味にチートじゃないか?
『完全変化』効果か、先程よりも統率の取れた群れ……と言うか塊で襲い掛かってくるゴキブリに応戦する彼の拳から、はじけるゴキブリの体液。
一匹の量は大したことは無いが量が量なだけに、濡れる彼の拳に女性陣はドン引きなご様子。ばっちいな……。
潰しても潰しても沸いて出てくるゴキブリに――こんなにゴキブリが居る商業施設ってヤバくない? ――業を煮やしたのか、健治さんがゴキブリに向かって雄叫びをあげた。
「ブモォォォォ!!!」
雄叫びの振動で周囲がビリビリと震える。近くの雑貨屋の店先に飾ってあったグラスや皿は軒並み砕け散り、健治さんの正面のゴキブリの群れは……弾け飛んだ。
グロい! さっきから我慢してたけどもう限界だ! なんでゾンビ世界でゴキブリの群れと戦わなきゃいけないんだよ!?
「桜花……やっぱ無理?」
「無理! ゴキブリは嫌なの! 絶対駄目ぇ!!」
ついに中二病言葉が剥がれ落ちた。そこまで嫌ならしょうがない。俺の指示の中継は出来る?
「うん……それぐらいなら出来るぅ……」
アリスに抱き締められて頭を撫でられて。桜花は涙目で答えた。
俺が口頭で作戦を伝えたら夢ノ島にバレてしまうから、どうしても桜花に中継して貰わないと罠が成立しない。
作戦自体は単純で。誰かが攻撃して夢ノ島が回避した先で、待ち構えていた別の誰かが一撃を加える。ただそれだけだ。
攻撃の起点を健治さんに任せてあきらさんに位置取りを任せる。
気が付かれないように、徐々に移動しつつ、あきらさんと健治さんの中間地点に夢ノ島を挟み込んだ位置で、健治さんが夢ノ島に向かって再び雄叫びをあげた。
彼の雄叫びはいわゆる指向性の音波攻撃のようなものらしく、少なくとも陶器の食器程度なら粉々に砕く威力が有るようだが……上位種相手にどこまで有効かはちょっと疑問だ。
警戒した夢ノ島はサイドステップでそれを躱すが、待ち構えるのはあきらさんの爪。彼にとっては一撃必殺の爪を躱して――多分予想の範囲内だったんだろう――一旦安全地帯へと避難する。
夢ノ島――上位種――にとって抗体者の俺は厄介な司令塔だが、その本質は一般人と変わりない。
『安全地帯』の俺の目の前に今まさに着地しようとする、『完全変化』した夢ノ島は正に巨大なゴキブリだが、人サイズのゴキブリだと逆にモンスター感が勝って怖くないな。
「朝春!!」
ゴキブリとは言え上位種。俺に出来る事は何も無い。夢ノ島が右腕? を俺に向けてくる。
ちゃんと俺の方に向かって来てくれて良かった。
殺すつもりか人質か知らないが、この状況を打開するには俺に手を出すしか無いだろうからな。
油断しまくりで真っ正面から突っ込んでくる夢ノ島の頭を良く狙って、最後の弾丸を発射した。
パンッ!!
……と。実際にはドラマや映画のように派手な射撃音ではないが、夢ノ島の頭に命中した弾丸は貫通こそしなかったが多少のダメージを与えて、一秒程の時間を生み出す事に成功したようだ。
「グフフ……、拳銃なんかでは俺を殺せないぞ。抗体者よ、貴様の死体は……」
パン! パン! パン!
側面から夢ノ島の頭部へ、再度発砲音が響き渡る。
「キモいのよ! 朝春から離れなさいよー!!」
攻撃手段を持たない、足手まとい以外の何者でも無かった筈のねねからの、至近距離から頭部への発砲。
三発連続で被弾した夢ノ島はややよろけて、その隙に近づいてきたあきらさんが夢ノ島の頭を砕いた。
あきらさんの反対を押し切って強行した作戦は夢ノ島を俺の目の前に誘導する事。
どうせ効きはしないだろうが、拳銃の最後の弾を使って俺に注意を引きつけて、あきらさんなり、健治さんなりが止めをさす。
そういう流れで、ちゃんと成功した。
ねねの発砲は予定外だったが、あれが無かったら失敗していた可能性が微レ存だったかも。
あきらさんが止めを刺した際に、夢ノ島の体液が俺に掛かったが、それについて文句は言わない。
ゴキブリ連中も蜘蛛の子を散らすように方々に散っていった。
全てが片づいたらこの建物は完全焼却した方が良いんじゃないかと、ちょっと悩む。
ともかく。こちらの敵は全て処分できた。健治さんも覚醒出来たし、残るは犬飼紅葉だったか。
『王階級』相手に無事で済むだろうか……




