三十六 犬と処理。妻の望みは娘と指輪。
九月十二日。晴れ時々曇り。
ゾンビを含めた全員でゾロゾロと階段を降りる。ゾンビ達が敷地外に出る事を希望したので案内をしなければならないのだ。
「ねえ、そいつら自我も意識もあるよね?」
「ん? 無いわよ~?」
「じゃあ外に出たいって主張しているのは何でですか?」
「ん~、主張っていうか……感情?」
「感情というか……本能?」
「本能っていうか……あー……とにかく上位種はゾンビの望みが何となく分かるんだよ! そこに言葉は存在しねえ!」
上手い言葉が思い浮かばなかったようだ。そして彼等もよく分かっていない。
「それじゃあ乱悟さんはゾンビ達を校門の外まで案内してあげて下さい」
「待て待て待て! 上手くいけば上位種に進化するかも知れねぇんだろ? その瞬間に立ち会わなくてどうするよ!」
それもそうか。一階昇降口から奥に向かう。ゾロゾロと。……ゾンビは待たせておいてもよかったと思う。あえかの護衛のあきらさんは不安げだ。
「ゾンビが進化するなんて実に不思議ですね! 人間がゾンビ化するのはウイルスで説明が付くとしても、質量を無視して巨大な獣に変化したり水を空中に浮かべたり……まるでファンタジー世界のようです!」
あきらさんの不安を余所に、あえかのテンションは高い。上位種が側に居ればあえかがゾンビに襲われる事も無いし、随分ゆるいゾンビパンデミックだとしみじみ思う。ゆるゾン?
現場に到着。
「ひぃっ!」
ケルベロスの巨体に桜木さんが悲鳴を上げる。これが普通の反応……だよね?
「そう言えば、桜木さんはお仕事、何をなさっているんですか?」
「し、仕事かい? 飲食チェーンの会社の総務部で……あー、早い話が社内の何でも屋だね。社内イベントの統括や備品管理、忙しい部署へのヘルプに入ったりもするよ」
「つまり雑用よ。ちなみに桜木課長は私の上司だけど、トモ君には関係ないし肩書きなんて今は関係ないから~」
特殊技能は無さそうだ。やはり自衛隊に引き取って貰おう。
「分かりました、ありがとうございます。それじゃあ二人に処理を始めさせて下さい」
祭さんが目配せすると、奥さんと娘さんが処理にかかる。あ、直視しないように注意しないと……
時既に遅し。桜木さんは離れた場所で吐いている。ま、放っておこう。……あえかは普通に見学しているが……成長っぷりが半端ないな。
二人がもりもりと処理していく。ゾンビの胃袋もブラックホールか。
途中から見学に飽きたゾンビを含む各人達は雑談に興じ、座ってくつろいだりと……やっぱりゾンビ達は意識あるだろ!
辺りが段々と薄暗くなっていき、見上げると雲が……いや、暗雲が立ち込めて一気に暗くなった。周囲が確認できる位には明るいものの、先程までの快晴が嘘のようだ。ゲリラ豪雨でも降るのかな? 早く済まして帰らないと……
突如として暗雲の切れ間から一筋の太陽光が差し込める。若葉さんと桜花ちゃんを照らす光がスポットライトのように。
光に照らされ、全てを処理し終えた彼女達に変化は無いように見える。……いや、奥さん、若葉さんの姿が透けているような。足下に至っては完全に透明だ。幽霊、ゴースト……そんな単語が頭に浮かぶ。
そして、こちらに振り返った娘の桜花ちゃんも負けていない。
肌は青白いを通り越して白粉でも塗ったかのように真っ白。瞳は真っ赤……というか不吉な感じに深い紅色で、目の通常白い部分が真っ黒……というか『闇』だ。闇の中に深紅の瞳が浮かんでいるようにも見える。
三つ編みおさげが愛らしい、彼女の頭の上にちょこんと乗っかった金色に輝く、こぶし大の小さな王冠が……さっきまで無かったよね?
あれって祭さんの角と同じく『体の一部』って事!? よく見るとちょっぴり浮いてるんだけど!
同じく振り返った若葉さんの肌も白いが、彼女はまだ『青白い』で済む領域だ。しかし娘の不吉さがえげつない!
雲間から差し込む光は『天使の輪っか』とか『天使の梯子』などと呼ばれ、神々しい雰囲気を感じさせるが……その対象の二人が不吉というか、禍々しい事この上ない。
まるで上位種の誕生を天が祝福しているかのように、俺に向かってゆっくりと歩く桜花ちゃんを『天使の輪っか』が照らし続け、そのやや後方を若葉さんが俺に向かってゆっくりと『浮遊』してくる。
神の奇跡としか思えないこの光景もその対象の不吉さによって、全ては悪魔の悪戯なのではないかと不安にさせる。
俺は感動すべきなのか、恐怖に震えるべきなのか。感情の整理が追いつかない。
「お待ち下さい殿下! 私の話をお聞き下さい!」
祭さんが俺をかばい、『跪いて』説得に入る。
敬語で。
アクアドラゴンより格上かよ! この場の最上位者じゃねえか! 殿下って何ー!!??
周囲のゾンビがいつの間にか整列して跪いている。あきらさんと乱悟さんも俺の左右で同じく跪いている。
しかし、所々肉体が破損したゾンビのその姿はやっぱりホラーだ! ていうかこの空気で突撃出来る祭さんも凄いな。
ポカンと突っ立っているのは俺とあえかと、桜木のおっさんだけだ。
「殿下におかれましてはこの度の覚醒、大変おめでたく……」
「若葉! 桜花! 復活出来たんだな!」
空気が読めないのでは無い……多分。事情を何も理解できていないおっさんが祭さんの言葉をさえぎり歓喜の声と共に、若葉さんと殿下? に走り寄る。……が、案の定、数名のゾンビに取り押さえられて強制的に跪かせられた。
「余の名は桜木桜花。主殿、名を申せ」
祭さんと父親を無視して俺の前にやって来た。近くで見るとホントに怖い。
ゾンビパンデミックだと思っていたらファンタジーだった件について。
急にホラーに突入したと思ったら実は中世ファンタジーでした。遠くに見える日本の建売住宅は幻覚で、実はここ、お城の謁見の間とかじゃないよね!?
俺も跪かなきゃマズいかとも考えたが、アンデッドの王に跪く理由も無いので立ったまま答える。
「俺は蘭堂朝春だ。えーと……殿下?」
「桜花で良い」
「じゃあ桜花さん。まずは桜花さんと若葉さんの契約者を決めなきゃいけないんだけど……」
祝福? の光に照らされて、喋る彼女の口を見た。……見てしまった。ぷるぷるとした可愛らしい唇が開くと、彼女の顔色と同じ純白の歯がキラリと光り、ピンク色のキュートな舌がチラリと覗く。……不吉な闇を背景にして。
もう驚かない。きっと鼻の穴を覗いたらそこも闇なんだ。
そして闇を覗く俺を、闇もまた覗くんだ。覗きあって、やがて目が合い恋に堕ちるんだ。
桜花さんは父親を一瞥すること無く「主殿以外に誰がいる?」と。
「桜花! ここにパパが居るから! 若葉も! また三人で一緒に暮らそう!」
「母上」
若葉さんが桜木……伝一郎さんの元へ、スーっと移動する。進路上のゾンビをすり……抜けてぇっ!? やめろ! これ以上ホラーに寄せるんじゃ無い!
「あなた……昨日ぶりですね」
涼やかな声で若葉さんが声を掛ける。
「若葉! 桜花は何であんな態度なんだ!? まるで別人じゃないか! やはりゾンビの死体なんか食べるから変な病気にでもなってしまったんだな! クソッ! 力尽くでも止めるべきだった!」
「やかましいわっ! ドアホっ!!」
……え?
「元はと言えばアンタがウチらの事見捨てて逃げたんが原因やろっ! 妻と娘見殺しにして逃げる父親が何処におるっ!
男やったら体張って家族助けるんが筋やろがっ! おちょくるのも大概にせぇっ!!」
えーと?
「今だって桜花が頑張って雰囲気作っとるのが見えへんのか!? 父親やったら空気読んで黙っとき!
この唐変木のヘタレの裏切りモンがぁっ!!」
若葉さん、激おこである。ついでに怒鳴って結婚指輪を投げつけた。あー。
ていうか若葉さん、関西の方なんですね。……そして桜花さんはまっ赤な顔してぷるぷると震えている。ちょっと涙目だ。
若葉さん、もう、ぐだぐだだよ……。
「で、殿下! 是非俺と契約して下さい!」
無理矢理軌道修正を試みる。後々自衛隊が文句を言ってくるのが目に見えているが、雰囲気の痛々しさに負けた。
十歳の少女がぶっつけ本番で黒歴史を演じる中、両親に――主に母親だが――台無しにされたのだ。心中察して余りある。
俺に出来るのはこれ以上彼女の心が傷つかない内に、早期に解散へと導く事だけだ。
ふと、後方を見る。さすがのあえかも空気を読んで跪き、頭を垂れている。
……肩が小刻みに震えているあたり、笑いを堪えるので精一杯なのだろう。あえかはそんな女だ。さすが俺の妹だと感心せざるを得ない。
何とか気を取り直した殿下が俺に近づく。
「ふ、ふんっ! 主殿の首筋は左右共に先約で埋まっているようじゃな!」
? ……首筋? ……あきらさんはいつも右の首筋から。祭さんは左。エリーは右腕からしか血を吸わない。
つまり既に吸われた場所では新規登録が出来ないって事か? えーと。どうしよう? 左腕……は納得しないよね?
「殿下! 左胸にお願いします!」
あえかが激しく震える。しかし彼女は鋼の自制心で無言を貫く。少女を思いやるあえかの心意気を、兄として誇りに思う。
最早茶番でしかないが、一応アンデッド達にしてみれば重要な儀式っぽいからな。
「桜花! やめろ! そんな男の血を吸ったら病気になるぞ!」
「だあっとれや! このクサレ○○○○がぁっ!!」
若葉さん、もうやめて……
涙目の桜花さんが俺の左胸に噛み付く。せめて心臓に近い場所をと思って提案したのだが、服の上からとは言え、絵面的には完全アウト。
お巡りさん! コイツです! の、完全無欠の事案対象だ。忘れがちだが、ゾンビパンデミックのこの世の中で衆人環視の中――ゾンビ含む――ここまで犯罪的な絵面はそうあるまい!
あえかは地面に突っ伏して痙攣している。兄の雄姿を見逃すとは情け無い。
覚醒済みの上位種と契約したのは初めて……じゃないな。あきらさんの時は彼女が加減を間違えて、おかしな夢を見させられたが今回は問題無く終了した。
桜花さんに変化は無く、彼女の顔には一仕事やり終えた感の満足げな表情が伺える。
「これで余と主殿は伴侶となった。余は主殿を守り、主殿は余を支える。互いに励むとしようぞ!」
『主殿』が『主殿』に変わった。契約したからかな? そして伴侶ってなんだ。
「はっ! つきましては御母堂の契約に関して、殿下のお考えを承りたく存じます!」
桜花さんの方が偉そうだし、不吉度が上なので若葉さんは格下とみた。下手に妃殿下呼びして地雷踏んだら恥ずかしいので御母堂にしておく。
そもそも、祭さんが殿下って言ってたから女王様じゃないよね? トップだったら敬称が『陛下』だし。
……そうすると伝一郎のおっさんが王様になっちゃうのか? いや、さっき若葉さんに三行半突き付けられたから問題無かろう。どうせ茶番だし気にせずGOGO!
「うむ。母上は……」
「桜花ぁー! なんで……」
「だあっとれって言っとるやろ! このヘタレ○○○○野郎がぁっ!
……こほんっ! ……あたしは蘭堂さんと契約します」
「わ、若葉! 何を言っているんだ! 僕たちは夫婦だろう!? この厳しい世界で……」
「黙れボケカスがぁ! ……こほん。黙っていて下さい。『元』旦那様」
いや、全く以てフォロー出来てねえから! 若葉さんは清楚系巨乳美女を装った関西弁のヤンキーオバサンです! もう騙されないぞ!
伝一郎さんがゾンビ達に取り押さえられるなか、若葉さんが俺と契約を交わす。場所は無難に左腕。
あえかは復活したようだ。震えも収まったようで何より。……彼女の背中をさすって介抱しているおばちゃんゾンビに若干の違和感を感じるが、今更な話なので気にしない事にした。
「んー! んー!!」
ゾンビ達に羽交い締めにされて、口を塞がれた伝一郎さんがうるさい。
「これで契約完了ですね。朝春さん。あたしの事は愛人程度に思って下さいね?」
「んー!!」
うるさい。
母さんより二歳下の若葉さん……清楚な感じでスタイルも良く巨乳……ヨシ、問題無し! 全然イケる! ……さすがに十歳の桜花さんは守備範囲外だが。
茶番の終わりと共に暗雲も消え去り、周囲が通常運転に戻った。後は物資を回収して帰るだけだ。
「乱悟さんはこの後どうします?」
「ん? あ~……仕方が無かったとは言え、また朝春に上位種取られちまったし、せめて抗体者だけはこっちにくれねえか?」
はい。喜んで。
「僕は反対だ! 若葉と桜花の側にいるぞ! 二人をクソガキから取り戻すんだ!」
「往生際の悪いことを言わないで下さるかしら? 他人のおじさん? 朝春さんに迷惑を掛けるなら処分するわよ?」
この人ならやりかねないな。
乱悟さんは伝一郎さんと共に、その辺の車を拝借して習志野に帰るようだ。騒ぐおっさんを引きずる彼を見送った。
「あ、改めまして宜しくお願いします。桜木桜花、十歳。小学四年生です」
普通の口調に戻った。不吉さは相変わらずだが。
「ああ、こちらこそ宜しく。桜花さん」
「あ、呼び捨てで良いよ。それでね……あの、お兄ちゃんって呼んでも良い?」
「もちろんだよ。桜花」
あえかの視線が痛い。帰ったらまた裁判かな……
あえかの紹介をする。「お姉ちゃんって呼んでも良い?」の言葉に撃沈。第三回裁判開廷は無さそうだ。
残りの二人も紹介。特にあきらさんが緊張していたが、プライベートでは気を遣わなくて良いとのお言葉。
公の場ではまた『余』『殿下』になるんだろうか? 祭さん、なんで殿下?
「よく分からないんだけど、そう呼ばなきゃいけない気がして~……」
「それはあたしが王階級だからだよ」
「まだその設定続いてんの?」
「せ、設定じゃ無いもん! あたしは『死者の王』リッチーなんだから!
死者の王って言うのは王様ってわけじゃ無くて、……役職みたいなのなんだって」
「なんだって。……って、誰がそんな事を?」
「わかんない。頭の中で知らない声が聞こえて、なんか色々喋ってた」
「そ、そう。若葉さんも?」
「いえ。あたしは何も……」
可愛らしく首をかしげるが、背景が透けているので不吉さが勝る。
「ママとお姉ちゃん二人は貴族階級なんだよ」
桜花も俺を情報過多にする気だな。
話は後で落ち着いてからにしよう。まずは物資の回収が先だ。
ゾンビを敷地外に出してトラックとワゴンを体育館入り口まで移動させる。残りの食料と物資の回収だ。
大した量は無かったが手分けして運ぶ。霊体らしき若葉さんはやはり物に触る事が出来ないようなので見学。俺の血は吸えたのに。謎仕様だ。
ていうか伝一郎さんに指輪投げつけてたよね? ……納得がいかない。
若葉さんが何かを思いついたらしく、段ボールをじっと見つめると……浮かんだ。
「キャー! 浮いた! 浮いたで! 朝春さん見とる!? ウチ凄くない!? 超能力者やん! テレビ出れるで!」
彼女は感情が昂ぶると関西弁になるようです。




