三十三 射撃訓練。扉を開いた戦士の覚醒を祝え。
九月十二日。快晴。午前九時。
シリアルとロングライフ牛乳で軽めの朝食を終えて、俺達は近くの公園で射撃訓練を執り行う事にした。
あえかは元より、俺も未だに一発も撃った事が無いのでこれを機会に兄妹揃って銃に慣れようという趣旨だ。組み立て式の簡易テーブルに空き缶を並べて的にする。
五メートル程離れてあきらさんから銃の取り扱い方法、照準のつけ方を学ぶ。
俺とあえかが手にしているのは近所の警察官から『お借りした』拳銃で、スミス&ウェッソン。通称S&WのM36という銃だ。交番勤務の警察官の一般的な装備品らしい。リボルバー式で装填数は五発。平和な日本の警察官に与えられる銃だ。威力は推して知るべしである。
人間相手であれば体の何処かに命中さえすれば効果がある。しかしゾンビ相手では至近距離から頭部に命中させないと意味が無いらしい。やはり頭が弱点か。
ゾンビを無力化させる事を考えれば、むしろ散弾銃で足を吹き飛ばす方が楽だし確実だ。しかし近所に銃砲店が無いのでどうしようも無い。……場所は判っているから、今度遠征して回収してくるか?
むむむ、要検討だな。ていうか乱悟さん、自衛隊のライフル一丁、霜降り和牛と交換しません?
「ぐ! わ、和牛か! ……確かに魅力的だが、流石に銃火器は許可が降りねぇな」
「はぁ……使えないトカゲね」
「祭ぃ! 聞こえてるぞ!!」
無い物ねだりをしても意味が無いので、俺から試射する。安全装置を解除して撃鉄を起こす。狙いを定めてからゆっくりとトリガーを引く。
パンッ!!
破裂音が辺りに響き、周囲の鳥が一斉に羽ばたいた。マンションの住人には既に通知済みなので問題無い。問題は俺が狙った筈の空き缶が微動だにしていないという点だ。
「初めての実射であのサイズの的に命中させるのは難しいですよ。練習あるのみですから、気を落とさないで下さい」
あきらさんに励まされつつ、あえかと交代する。破裂音と共に、空き缶が吹き飛んだ。
「おー! 一発命中とは、あえかすげーなぁ!」
「いえ、ビギナーズラックでしょう」
あえかがクールに答える。ぐぬぬ。兄として次こそ当てねば!
パンッ!!
外れ。ふ……。俺に射撃の才能は無いようだな。今後の俺は散弾銃で無双する! 明日は銃砲店を襲撃するぞ! お前等準備は良いか!!
「朝春君、落ち着いて下さい。……以前クロスボウで試射した時は問題無かったですよね?」
「照準がずれてるんじゃねぇか? 俺がみてやろうか?」
「田楽寺乱悟。貴方は口出し出来る程銃の扱いに慣れているのか?」
「ったりめぇだろ? 折角自衛隊に世話になってるんだからよぉ! 上位種特権で銃撃ちまくりだぜ! ワハハハハ!」
毎日彼の相手をしなければならない自衛隊の方々に同情する。もしかしたらローテーションで『おでん当番』なる役職が存在するのかも知れない。
乱悟さんが試射する。
「あぁー、照門がズレてるな。これじゃあ何発撃っても当たらねぇよ」
銃の狙いは、先っちょにある突起と撃鉄近くの凹型に依って定める。突起は固定されているが、凹型の部品は調整可能であり、これが正しい位置に無ければ的に当たる道理は無い。
あえかが試射している間に乱悟さんが調整してくれた。あえかは二発目もヒット。妹の銃適正に対抗心を静かに燃やす。めらめら。
調整して貰った銃で撃つ。パン!!
パカンッ! と軽い音を立てて空き缶が吹っ飛んだ。ふ。俺の銃適正も満更でも無いようだな。
「あら。調整した途端に当てるなんてトモ君やるじゃない~」
「兄妹揃って射撃が得意とは幸先が良いですね!」
「俺の調整が良かったからに決まってるだろ?」
「「それは無い」」
「お前の言い分が正しければ射撃訓練は無意味な時間になるな」
「そうよ。ちょっと銃に慣れてるからって、ドヤ顔するのやめて貰える? あ、あえかちゃんの照準もちゃんと調整しておきなさいよ」
妹の兄に対する言葉が辛辣過ぎる。
「そうそう。私もちょっとした小技が出来るようになったのよ。見て貰えるかしら~?」
辛辣な妹が言う。兄はブツブツと文句を言いながら、あえかの銃を調整中だ。
言って彼女は500mlのペットボトルを取り出す。
「中身はただの水道水よ~」
祭さんがキャップを開けると、小指の先程の大きさの水球が浮かんできた。
「左端の空き缶を撃つから、ちゃんと見ててね?」
彼女が指先を空き缶へ向ける。水球がかき消えてスコンッ……と、軽い音がした。
「ちょっと早過ぎたかしら?」
全く揺れずに穴を開けられた空き缶を見て彼女は言った。
「生物相手ではむしろ威力不足だと思われます。貫通も悪くありませんが、弾を大きくして骨を砕くのも有効かも知れませんね。しかし、威力の調整は経験を積むしか無いのでやむを得ないかと」
祭さんとあきらさんが物騒な会話をしている。……それよりも! 水球を弾丸に見立てて飛ばすとは! ペットボトル二、三本持って行けば武器要らずじゃね?
「剣みたいに使う事も出来るのよ~。……お兄様、ちょっと手合わせお願いできるかしら?」
「冗談じゃねぇよっ!? 妹に切り刻まれるなんてご免だからなっ!!」
祭さんがネットで調べたところ、高圧水流は切断という点でも優秀なようで。水辺で彼女に敵う存在は少ないだろう。しかも使う水に研磨剤を混ぜれば、その水刃はダイヤモンドをも切断するとかしないとか。
彼女の新たな能力が判明したと喜ぶべきか、水が無ければ格闘戦しか出来ないポンコツだと悲しむべきか。判断に苦しむ。
試射を終えて車に乗り込む。今回はトラックとワゴン車だ。物資に期待は出来ないが、抗体者を回収する上あえかが同行するのだ。信頼出来るか分からない抗体者には回収した物資と共にトラックの荷台に乗って貰う。
中学校の場所を知っている俺がワゴン車を運転。乱悟さんがトラック担当だ。女性陣は全員ワゴンに乗る。
今日のあえかはジーンズに薄手のシャツという……、動きやすいのだろうが防御面を考えると不安でしか無い。以前俺がコンビニに赴いた時のように、首元にバスタオルを巻いたらどうだと提案したが笑顔で却下された。
ベルトに装着されたホルスターには拳銃が収められているが、気休めにしかならない。
「トモ君、学校までどれ位かかるの~?」
「徒歩だと二十分位ですね。車で行くのは初めてなんでよく分かんないけど、そんなに掛からないと思いますよ」
住宅街をゆっくり走り、途中の放置車両はあきらさんと乱悟さんにどかして貰う。祭さんが乱悟さんとの作業を嫌がったからだ。
相変わらずの拒絶っぷりだが、大根さんと比べると、――ほんの少しだが――会話をしている分、まだマシな気がする。
パンデミック発生から四十日。終末思想を持ったプレッパーでも無い限り、この辺りの住人は食料が尽きて餓死しているはず。漂うかすかな死臭に、それなりに慣れた俺は大丈夫だがあえかは辛そうだ。
「あえか、大丈夫か? 一度吐くと楽になるぞ?」
彼女は少し迷って、道端の排水溝で朝食を戻す。俺はあえかの背中をさすりティッシュで口元を拭って、ペットボトルの水で口をゆすがせてから中身を飲ませる。
「ゆっくり飲めよ」
半分ほど飲んで、涙目のあえかが言った。
「兄さんも最初は辛かったんですか?」
「そりゃあな。俺も経験豊富ってわけじゃ無いけど、まぁ、すぐ慣れるよ」
慣れたくなかったし、慣れて欲しくもなかった。
こんな匂い、知りたくなかったし、知られたくなかった。
本当は今すぐ引き返してあえかをマンションに戻すべきなのだろうが、それでは彼女の覚悟を踏みにじる事になる。俺が一人でコンビニに向かったあの雨の夜の、あの時の覚悟と同等では無いかも知れない。
だけど同質の覚悟を俺が踏みにじる事だけは出来ない。それは自分で自分の覚悟を踏みにじる事と同じだからだ。
放置車両をどかし終え、中学校へ向かう。後部座席では嗚咽するあえかを抱いて祭さんが優しく頭を撫でている。
中学校正門前で車を停めて、あえかの様子を伺う。場合によっては祭さんかあきらさんのどちらかと一緒にこの場に待機して貰う事になるが……。
あえかはぐしぐしと目元をこすり、無言で車から降りるとあきらさんに問うた。
「大声出して、いいですか?」
あきらさんは乱悟と目を合わせ、「良いですよ」と微笑む。
あえかは大きく二度、深呼吸をして。
「臭いんだよっ! バカヤロー!! でもおっぱいサイコー!!」
あえかは戦士として覚醒したようだ。……新たな性癖の扉を開いて。
「ちょっ、ちょっとあえかさん!?」
あきらさんはオロオロと慌て、田楽寺兄妹はゲラゲラ笑っている。……あんたら兄妹、結構似てるよね?
「私もおっぱい育てて兄さんを振り向かせるぞー!! おー!!」
やめて! ブラコンを宣伝しないで! お兄ちゃん、恥ずかしくてご近所さんに顔向け出来ないよ……。
「わはははは!! 覚悟決まったみてぇだな! あえか! 吹っ切れる切っ掛けがおっぱいとは、お前最高だな!!」
「乱悟さん! 今日の私は無敵ですよ! 次はゾンビですか? 死体ですか? さっさと慣れて荷物運びくらい出来るようになりますから!」
「ちょっと待って、あえかちゃん! いきなりあれもこれも詰め込むのは駄目よ。気分がハイになってるのは分かるけど、あなたの命に関わる事だから。落ち着いて慎重にね?」
覚醒の切っ掛けとなったおっぱいの持ち主には逆らえないようで。ひとまずあえかは落ち着いた。
……ん? そう言えば俺もマンションで最初の死体に遭遇した時にあきらさんのおっぱいに救われたな……。兄妹揃っておっぱいに救われるとは。やはり母性を象徴する豊かな胸は偉大だ。
あきらさんにやや及ばないながらも、立派な存在感を誇る祭さんだ。俺の次なる覚醒は彼女にお願いしたいものだ。
あきらさんは先程からしゃがんで両手で顔を隠し、耳を真っ赤にしてぷるぷる震えている。トイレ?
「違いますっ! さっきから何なんですか! もうっ! あえかさんは真面目……ですけどブラコンだし、……セクハラ……はしないけどエッチな台詞も平気で言うし……うぅ。蘭堂家でマトモなのは巴さんだけですか?」
「いやー、母さんもあの性格だし。油断できないと思うけど?」
「あきらが堅すぎるだけなのよ。もうちょっと気楽に考えなさい」
「うぅ。祭さん……」
「うむ。三郷あきら。確かに蘭堂家は特殊な人間が多いが、世間一般では『ちょっと変わってる』レベルだ。あからさまに拒絶するお前の方がおかしいぞ?」
ひとまず自分を棚上げしよう。あえかは『ちょっと』レベルかなぁ? 疑問が果てしないがあきらさんの説得に協力してくれているので黙って様子を……そういえば!
「俺達抗体者を保護しに来たんだよな? ここで遊んでる時間あんの?」
「「「「そうだった!」」」」
軌道修正が出来たようで何よりだ。




