三十二 賑やかな食卓。戦士の目覚めに祝福を。
九月十一日。午後五時。
「うめぇっ!!」
「おいしー!!」
ゲスト二人の喝采から始まった蘭堂家の本日の晩餐は宣言通りのイクラ丼だ。解凍したサーモンの刺身が添えてあるので、正確にはサーモン・イクラ丼。又は海鮮親子丼だが。
根菜の味噌汁と漬物。今日はゲストが居るからか、あえかとねねをサポートにして天ぷらまで作ったようだ。水で戻した干し椎茸にタケノコの水煮と海老。
サクサクとした食感が美味い。
「天ぷらなんて事件以来食ってねぇよ! 蘭堂さん料理上手いなぁ!」
「ホントホント! 卵ってまだ残ってるんですか?」
一瞬、乱悟さんが『卵』に反応したが、祭さん達はスルーした。食事中にからかうのを遠慮したのだろう。
「卵の代わりにマヨネーズを使ってるのよ」
「へー。それでこんなにサクサクになるんですねー」
母さんがネットで偶然見付けたらしいレシピだ。干し椎茸の天ぷらも通常の椎茸とは違ってやたらと美味い。
「イクラ丼もうめぇなぁ! こんなうめぇイクラは初めてだ!」
「やっぱりデパ地下産はモノが違うねー」
まったくの同意見だが、デパ地下産とは独特な表現だな。
「自衛隊のメシも美味いが蘭堂さんには敵わねぇな! お前等このご時世で毎日こんな美味いメシ食ってるなんてズルいぞ!」
「そうだそうだー。ズルいぞー」
「花小金井さんには昨日鰻をあげたでしょう……」
「何っ!? 鰻まであんのかよ! 土産に寄越せ!」
「帰りにスーパーの冷凍倉庫漁ればいいんじゃないですか?」
「それもそうか! ハハハ!」
「ちなみに。うちの近くのスーパーに手を出したら敵認定しますから」
笑顔で告げる。
「お、おう。分かった」
俺の本気を汲み取ってくれたようで何よりだ。
「ていうか習志野だと……船橋のデパートが近いですよ。そこを漁ってみれば良いんじゃないですか?」
「そうなのか? 事件前は都内に住んでたからよぉ! 千葉はイマイチよく分かんねぇんだよな! ま、この前みたく生存者がいるかも知れねぇし、近いうちに行ってみるか!」
今更だがこの人も坂本のおっさん並に賑やかだ。祭さんは兄を無視して静かに食事を楽しんでいるが、他の女性陣も美味なる食事と会話を楽しんでいる。彼の発言が特別目立っているだけだ。
やがて一人だけが賑やかな食事が終わり、乱悟さんの土産のケーキが振る舞われる。箱を開けると青紫色のホールケーキがお目見えした。ニヤニヤとする乱悟さんに祭さんが殺気を飛ばし、あきらさんとエリーが慌てて宥めるなか、母さんがケーキにナイフを入れる。
数ミリの青紫の層の下に、ほんの僅かに黄色がかった本体が見える。底と側面をパイ生地で覆い、上面をブルーベリーのソースで薄くコーティングしたレアチーズケーキが、彼の土産の正体だった。
女性陣からは「おおお!!」と、驚きと感心が混ざったような声が上がった。
ちょっと!? そんな歓声、初めて聞いたけど!? 女性陣に対するケーキはここまでの攻撃力を有しているのか!?
乱悟さんはケーキを辞退して、八等分にされたケーキと九人分のコーヒーがそれぞれに行き渡る。小さなフォークでケーキを掬って口に運ぶと、ほのかな酸味と甘みが広がった。
滑らかな食感のチーズケーキに対して、ソースの所々に残ったブルーベリーの粒が弾力のある食感を演出する。だがしかし、このケーキの本領はパイ生地と共に食べてこそだ。
つぶつぶ、サクサク。
器にしか過ぎないと思われたパイ生地のサクサクとした食感が心地よいアクセントを生み出す。
それらをチーズケーキの滑らかさが優しく調和させ、異なる食感だけでは無くブルーベリーのやや強い酸味をも、その柔らかな酸味が包み込む。
チーズケーキは単体で完成されたスイーツだ。しかし、ブルーベリーとパイ生地が加わる事でより完成された、酸味と食感を兼ね備えた新たな境地へと辿り着いたのだ。
これが冷凍されていたというのか? いや、冷凍されていたにも関わらず、ここまでの味だと言うのか!?
女性陣は恍惚とした表情で久方ぶりのケーキを堪能している。
俺はケーキで、たった一つのケーキで。女性陣の心を乱悟さんに持って行かれたのか!?
ああ、神よ。イージーモードだと油断した俺に、強力なライバルを送りつけてくれたな。近所の業務用の店の、安い冷凍ケーキでは到底太刀打ちできまい。
「いえ、ケーキと鰻だったら流石に鰻が上ですよ?」
絶望する俺にあきらさんの言葉が優しく染みる。
「そうよ。そこの……コホン。兄貴が持ってきたケーキは確かに美味しかったけど、人はケーキのみに生きるにあらずよ」
ケーキじゃない。パンだ。
よく分からない励ましをしつつも件のケーキ屋の場所を女性陣が尋ねる。習志野駐屯地から少し離れた場所の店……という事で諦めてくれたようだが、高級食材とのトレードでどうかと交渉し始めたねねの頭をチョップして今日の食事会を終えた。
祭さんに花小金井さんを送って貰い、乱悟さんはようやく本来の目的が果たせると、ビールをあおる。酒目的だったの?
彼は母さんの料理がいかに美味かったかを熱弁して、母さんがその言葉に照れる。普段の食事を褒めたりしないからなぁ……
やがて彼の言葉が自衛隊への愚痴に変わった頃に祭さんが帰ってきた。
「アンタはトモ君に話があるんでしょ? さっさと話して即座に帰りなさい」
「確かに話はあるけどさぁ! 今日はマジで帰らねぇからな!?」
「ウザい……」
祭さんの呟きに乱悟さんがひるんだ。俺もあえかに「ウザい……」とか言われたらへこむ。超ヘコむ。
「私が兄さんにそんな暴言吐くなんて有り得ません! むしろ相互理解の為にこれから二人でベッドに赴きましょう!! にぃさぁーーん!!」
叫ぶあえかをねねとエリーが引きずっていった。
「と、とにかくだ! 今日ここに来る前に近くの学校でゾンビ達が暴れていた。ありゃあ、避難所にゾンビが入ってきて混乱してたみてぇだな」
つまり、乱悟さんはその騒ぎを確認しながら放置したと?
「当たり前だろ? 助けるメリットがどこにある?」
全然無いな。美少女がいなければ。
「朝春君。その件で報告があるんだが……その……」
あきらさんが乱悟さんをチラチラと見て言葉に詰まる。聞かれても問題無いよ。貴女の言葉を俺に聞かせて下さい。
「昼過ぎに、田楽寺乱悟の言った学校らしき場所で抗体者が居ると、ゾンビから情報が入りました。そこのトカゲがやって来たので報告が遅れてしまい、申し訳有りませんでした……」
そして彼女は深々と頭を下げる。
「やっぱそうだろ? 俺もちょっと様子を見てたんだけどよ。なんかおっさんが一人でチョロチョロしてっからさ、あれは抗体者に違い無いだろ? なぁ!?」
知らねえよ。そしてトカゲ呼ばわりはスルーか。
しかし新たな抗体者か。ていうかデパ地下の件も含めて、実は抗体者ってそれほどレアじゃ無いのか?
「いや、お前を含めてこの地域で四人目だ。こんなに抗体者が見付かった地域は聞かねぇな」
そうなのか。まぁ、抗体者がいても上位種が居なければあまり意味は無いか?
「んな事はねぇぜ? 抗体者のサンプルが増えればよりスペックの高い人造抗体者が出来るかも知れねぇ。それにゾンビ化しないワクチンも研究してるみたいだしな。サンプルは多いに越した事はねぇんだよ。だから今度、お前の血液も寄越せ」
祭さんから殺気が溢れる。
「け、献血程度の量だよっ! な? エロい看護師のねえちゃん連れて来るから良いだろ?」
女性陣からの殺気が高まる。下手に賛成したら俺もとばっちりを食らいそうだからやめてくれ。
「あー、いや。ここまで来るのは女性に負担があるだろうし、出来ればベテランの男性が良いんだけど?」
「そ、そうか? とにかく同意で良いんだな? 日程とかはまた今度連絡するからな!」
殺気にビビリながら男二人で話を進める。献血程度の量なら反対する理由は無い。
「でだ。さっきの抗体者の件だけどよ。明日保護しにいかねぇか?」
あえて一晩放置するあたり、乱悟さんも中々の性格だ。
「いや、抗体者と言っても普通の人間だからよ。ちょっと絶望してタフになって貰わねえとこっちも困るわけよ。
さっき話したガキなんかはデパ地下でただ守られるだけだったみたいでよ。とんでもねぇ甘ったれなんだよ。抗体者じゃ無ければ一発ぶん殴ってやったんだがな!
ま、契約と定期的な吸血さえ受け入れてくれれば、引き籠もってくれてる方が逆にありがたいがな。
……つーかお前は元々タフだったのか? 上位種に守られてるってのはあるだろうけど、夜のデパ地下にゾンビと一緒に突入する人間はちょっと居ねぇぞ?」
「ふふふ。もちろん朝春君は最初からタフだった訳では無かったのです。勇気と使命感で彼は成長してきたんですよ」
あきらさんに褒められた。確かに最初のコンビニ探索では色々と恥を晒したからなぁ……
「ふーん……よし! それじゃあ明日の件はOKだな? 朝春!!」
あきらさんの言葉が彼の琴線に触れたのか、彼の中での俺の株が上がったようだ。
「もちろんOKで……」
「トモ君を呼び捨てにしないで貰いたいんだけど? ク・ソ・兄・貴?」
祭さんが兄に喧嘩を売る。まぁまぁ。
「祭さんの兄貴って事は俺にとっても兄貴みたいなもんですから。呼び捨てくらい良いじゃないですか」
「そ、それって……! も、もう! お姉さんをからかっちゃ駄目よ~!」
実にチョロいアクアドラゴンだ。
……チョロゴン? なんちゃって。
「じゃあ明日は俺と乱悟さんと……」
「おう! 兄貴って呼んでも良いんだぜ?」
「じゃあ明日は俺と乱悟さんと祭さんの三人で行きましょうか」
おや? さっきの話は? といった顔で固まる乱悟さんを無視して話を進める。明日は肥料を撒いて畝を作って。余剰人員でバリケードの作成と……
「兄さん! 私も同行します! 私の中学校です! 案内できます!」
いつの間にか復帰したあえかが名乗り出る。
「案内は助かるけど、危険よ? あえかちゃん……」
「わ、私は! 私は守られるだけの女じゃありません! 確かに今は無力ですけど、安全が確保されている今! 危機的状況に少しでも慣れておきたいんです!
いざという時にちゃんと判断して動けるように。……私は兄さんの足を引っ張りたく無いんです! だからお願いします! 私を連れて行って下さい!」
「んーー!! よし! 気に入った! あえかだったな!? さすが朝春の妹だ! お前は俺が守ってやるから覚悟しとけよっ!! ははは!!」
当たり前のように、乱悟さんは祭さんに張り倒される。
前回ねねを同行させた時のように、ゾンビを遠ざければ危険は少ないだろうと思っていたのだが。
「それがですね……」
あきらさんによると、生存者は抗体者を除いて全滅したと思われるが、ゾンビが学校敷地内から出られないらしい。
バリケードが邪魔しているのか定かでは無いが、彼等にバリケードをどかしたり、ちょっとよじ登って……といった器用なマネは出来ない。ゾンビがその身体能力を発揮するのは生きた人間に襲いかかる時だけなのだ。
それを聞いた女性陣は断固反対の構えだ。特に母さんが酷い。
「あえかっ! 遊びに行くのとは訳が違うのよっ! ゾンビになったらどうするのっ!!」
「祭さんと乱悟さんが守ってくれるって言ってるから問題無いでしょ! いきなり戦おうとかじゃなくてちょっとずつ慣れていく為の第一歩なんだから!
あたしはお兄ちゃんに守られるだけじゃ無くて、お兄ちゃんの横に並んで立ちたいのっ!!」
あえかは感情が昂ぶるとあたし。お兄ちゃん。と、幼い頃の言葉遣いに戻るようで。つまり普段の口調は素では無いのかな? ちなみに俺はあきらさん達に守られるだけの弱っちい存在だぞ。
「あえか。あなたはトモと違ってゾンビに襲われるのよ? 万が一、祭ちゃんと乱悟さんの隙を突かれて襲われたらどうするの?」
怒鳴るばかりでは埒があかないと思ったのだろう、母さんが冷静な口調で諭す作戦に切り替えたようだ。
「兄さん、拳銃を」
……はい?
「私の護身用に、拳銃を下さい。持っているのは知っていますよ」
待て待て待て! 君のお兄さんもまだ一発も撃って無いんだよ!?
「そうなんですか? 兄さんの事だから効果的な射殺方法を練習していると思ったのですが」
これは俺が全面的に悪い。あきらさん達の命令でゾンビと行動を共にして、俺は彼らに少なからず仲間意識を覚えてしまっているのだ。
彼等との仲が良好な以上、拳銃は専ら敵対する生存者に対する武器だと言う認識でいたのだが……
あえかにとっては違ったようだ。
「巴さん、ならば自分があえかちゃんの専属護衛として同行します。初対面のトカ……見知らぬ男性では不安でしょうが、自分なら如何でしょうか?」
「……そうねぇ。あきらちゃんが一緒だったら大丈夫ね。……ヨシ! あえか! 皆の邪魔するんじゃ無いわよ!?」
母さんのあきらさんへの信頼が半端ない。あっさりOKが出てしまった。
あきらさんの一言で収まってしまった場に、何とも言えない空気が広がる。
「ま、まぁ。ともかく! 明日は四人で行くという事で! エリーは全体の指揮を宜しくな!」
降って湧いた責任有る立場にエリーが驚愕の表情で固まる。
「……ふぇ? ボ、ボクが!?」
「作業内容は伝えてあるから。バリケード組に注意して、あとは昼飯の作業指示か。そう難しい事は無いから。あ、母さんもエリーの補助お願いね」
「ええ。こっちは任せておいて」
「うえぇぇ!?」
明日はあえかが通っていた中学校へと赴く。マンションの作業責任者をエリーに任せて。抗体者の無事を祈って眠りにつく。
今日はぐっすり、寝られますように。




