二十八 美味の食卓。服とスマホを探せ。
九月七日。午前。小雨。
時刻は午前十時。暑苦しさで目覚めた俺の眼に、パジャマ姿で抱きついて寝息を立てるあえかが映る。兄として毅然とした態度で妹を導かねばならない。俺は味噌田楽等と呼ばれたく無いから。
なんで味噌田楽?
深く考えるのを止めて、あえかを優しく起こす。「んー」とか「むー」とか唸って離れない。ちょっと強めに揺する。
「あえか。朝だよ。ていうかもう十時だよ。ほら、起きな?」
「んー。起きません。ぐうぐう」
ぐうぐうときた。
「俺はあえかのくすぐりポイントを熟知しているのだが……。それでも起きないのか?」
「い、今起きました! 兄さん。お早うございます!」
それでも俺にひっついたままだ。俺を抱き枕と思っているのか?
「起きたんならどいてくれ。着替えたい」
「はい。私に構わずどうぞ! 存分に! 兄さんの着替えは私が見守っていますから!」
部屋から放り出した。
身支度を整えリビングに赴くとねねが居た。いや、こいつも既に家族の一員だから居るのは問題無い。問題は。
「朝春ー!!」
と叫びつつ俺に突進してくるコイツだ。
「あ、あたし心配したんだからねっ! 朝春が心配だったけどあたしは寝ちゃって……、でも朝春が帰ってくるのが遅いからよ! 次からはちゃんと早めに帰ってきなさいよね!」
俺に抱きつき、早口でまくし立てる。君はツンデレを目指しているのか? だがお前のソレはツンデレでは無い。デレデレだ。ツンデレっぽい口調を真似ているに過ぎないのだよ。努力は認めるがまだまだだな。フハハ……!
ねねを軽く抱きしめてから引っぺがす。やはり女性は柔らかい。
昼食まで時間があるので、あえかとねねを置き去りにして五○二号室を尋ねる。
ソファーで寝息を立てる祭さん。尻を突き出してうつ伏せで寝てるエリー。ワインの瓶を枕に股をおっ広げてイビキをかいているあきらさん。最後が特に酷い。着衣に乱れは無いが、女性達の飲み会はここまで酷いものなのか? 逡巡しつつも一番酷いあきらさんから起こす。
「ん……。むぅ。……へぁぁ!?」
覚醒してくれたようだ。
「あ、あの。あの、あの!」
「いいから身だしなみを整えて。昼には報告会だから」
あきらさんが洗面所に駆け込む。次はエリーだ。
尻を突き出したまま眠るエリーを見て、再び俺の中の扉が開きかける!
「んぅ、くあぁ……。ふん。ご主人様、お早うございましゅ……」
「お早う、エリー。もう十時だぞ。身支度をしてくれな?」
「ふぁい。ボクは身支度しましゅ」
言って彼女は服を脱ぐ。待て待て待てぇ! エリーちゃん、服はあっちで脱ごうか? 「むー、ボクはシャワーを浴びるのです……」そ、そうか! じゃあ脱衣所に行こうね。
寝ぼけまなこのエリーを脱衣所に放り込んで、残るは祭さんだ。ソファーですやすやと寝息を立てる彼女に近づき、おもむろに鼻を摘まむ。鼻をギュッとね!
「ひゃ、ひゃあ! はにゃを摘ままないれくらしゃい!」
やはり狸寝入りだったか。しわくちゃのスーツでソファーに横たわる彼女は髪もボサボサで。完全無欠の『くたびれたOL』だ。写真に撮ってどこぞのコンクールに出品したいほどのその姿に、彼女がアクアドラゴンだと。誰が信じるだろうか?
「家族に紹介しますので。まずシャワーを浴びてきて下さい」
あきらさんとエリーに補佐を頼んで替えの服をどうするか考える。
マンションに祭さんと同年代の女性が居る事を思い出し、彼女に服を借りようと思い立つ。……どうやって?
新しく仲間になった女性の為に、貴女の服と下着を貸して下さい!
……なんて言えたら。そんな台詞を言う度胸があるなら、これまでの人生、ちょっとは変わっていただろう。確か倉庫に下着の類いがあったな。服は……母さんに借りるか……。
あきらさんと共に母さんに事情を説明して服を借りた。母さんのあきらさんに対する信頼が半端ない。
話を聞いていたあえかとねねが早く会わせろと強請るが、放置して五○二号室へと戻る。エリーの時の騒動が思い起こされる。……いや、あの時はケモ耳効果で混乱していただけだ。今回は冷静に対処してくれる筈だ。……そう願いたい。
彼女達は支度中なので、その間に俺達は昼食を食べる。今日はざる蕎麦と冷凍の唐揚げだ。食べながら昨夜の事を軽く説明した。
プランターでの家庭菜園が始まったので、収穫が待ち遠しい。
今回はラディッシュ、ジャガイモ、サニーレタス、カブに挑戦したようだ。
ラディッシュは一ヶ月程。他も年内には収穫出来るらしい。
昼食を終えて三人を連れてきた。
母さんの服はサイズが合ったらしい。ノースリーブのシャツと膝丈の緩やかなスカートを着た彼女からは、先程までのくたびれたOL感が消えている。外見は優しそうなお姉さんだ。
あえかとねねが何やら複雑な表情をしているが、構わず話を続ける。
「アクアドラゴンの田楽寺祭です。昨夜トモ君と契約をしました。皆さん、宜しくお願いします~」
にっこり笑ってお辞儀をする。
母さんだけがテンションが高い。「あらあら、まあまあ」だの「お嫁さん候補が」だの言っているが無視だ。
「妹のあえかです」
「朝春の幼馴染みの宮湖橋ねねよ」
「母の巴です。祭ちゃんって呼んでいいかしら?」
「もちろんですよ。お義母様~」
母さんはお義母様と呼ばれて満更でもない様子でくねくねしている。
だがあえかとねねが黙っていない。いきなりお義母様とは何だ。――自分を差し置いて抜け駆けするな――と。
「あら、私とトモ君は血の契約を交わしたのよ?
私は彼の血で生き、彼は私に守られる。死ぬまでずっと。解除は出来ないから紙切れ一枚で済む婚姻関係よりずっと深い関係なの。
それに血を提供する抗体者の方が立場は上だから私にとっては主人。その伴侶たる私は妻と言っても過言ではないでしょう?
だから主人の母親をお義母様と呼ぶのは自然で当然な事なの。分かった?」
後半の理屈がいささか強引だがそれなりの説得力があるように思える。
あえかとねねは反論出来ないようだ。
「その理屈で言うと自分も巴さんをお義母様と呼ばなくてはいけなくなりますが?」
「別に強制してる訳じゃ無いわ。好きになさい」
「ボ、ボクもお義母さんって呼んでいいの?」
「モチロンよっ! 何なら『ママ』って呼んでくれても良いのよ!?」
「「ママはちょっと……」」
受け入れられないようだ。
「じ、自分はその……。まだ時期尚早と言いますか、……ま、まずは交換日記から始めるのが妥当かと……」
昭和の乙女か!
騒ぎを落ち着かせて今日の予定を考える。急遽追加されたデパ地下探索のお陰で午後の予定は白紙だが、何もしないというのも何だか落ち着かない。引き籠もりのプレッパーらしくないが、最近色々と動いているせいだな。
ちなみに祭さんの変化した姿を見せろという要望は却下した。狭い室内で下半身が瞬時に二メートルも伸びるのは危険だし、いちいち下着が吹き飛ぶのはセクハラ案件だろう。初心なあきらさんは頼りにならないので、祭さん本人に説明してもらった。
スマホが鳴る。メッセージが入ったようだ。見ると大根さんから、『祭がそちらにいると聞いた。会って話がしたい』と。
「沢庵と話す事など何もありません。そのように返信してね。トモ君」
どんだけ兄貴嫌いなんだよ! 沢庵って……、あぁ、大根の漬物だからか。多分派生で『ぬか漬け』とか『刺身のツマ』とか言いそうだ。
一言一句違わずに返信した。すぐに大根さんから電話が掛かってきた!
『祭はそこにいるんだろう? 代わってもらえないか?』
祭さんは首をふるふると振るう。
『話したくないようです。あの、差し出がましいようですが、祭さんは貴方と乱悟さんの事を拒絶しています。
無理に話をする甲斐は無いと思いますが』
『祭が俺を拒絶だと!? そんな筈があるか! いいから祭に代わりなさい!』
本人から言われないと理解できないのか? 彼が市長代行を担っている事実に若干の不安を覚える。
俺が言おうか? と尋ねると「私が処理します」と言って祭さんがスマホを受け取る。
『お電話代わりました。田楽寺祭です』
『おお! 祭か! 無事だったんだな! お前はこちらに来い。仕事は山のように……』
『私に命令するな。クソ大根。私は力と仲間を手に入れた。もう、お前に従う理由は無い』
『待て! お前は誤解を……』
電話を切った。祭さんは少し息を荒らげてから深呼吸し、いつもの笑顔でスマホを返してくれた。
家庭の事情に踏み込むつもりは無いが、仲間の事情だ。踏み込むべきか否か。高校生には荷が重い。
「トモ君……」
悲しげな顔で、それでも笑顔を浮かべる彼女の口元が。
「あいつ、暗殺しよっか」
その笑顔は悲しげな顔から一変して、輝いていた。兄貴の暗殺って何!? いきなり物騒だよ!?
住人達にメッセージを送る。
『明朝九時から作業開始。駐車場集合。昼食配給。雨天中止。動きやすくて、汚れてもいい格好で』
「トモ君、私もスマホ欲しいなぁ~」
「あ、ボクも欲しい!」
マンションの空き部屋にあるかな? じゃあ、今日はスマホの探索を……!
違う! そうじゃない! 何のために眠いのを我慢してデパ地下に遠征したんだ!
「母さん! 今夜は鰻にしよう!」
解凍時間を考えると、最初にスーパーに行かなければ。あと、祭さんの衣類や日用品もか。スマホは後日になっちゃうかな?
夕食。丼にご飯をよそいタレを掛ける。鰻は贅沢に一人一枚(匹)だ。鰻の上からタレを掛けて完成。お好みで山椒をどうぞ。粉末のお吸い物ときんぴらごぼう(冷凍)と漬物を添える。
あきらさん達も食べたがったので、今日は七人での食事だ。
近くの空き部屋から良さそうなテーブルと椅子を拝借する。リビングに何とか収めて、皆でいただきます。
身がフワッと柔らかい。それでいて適度な弾力を感じる。そして炭焼きの香ばしさがタレの甘じょっぱさと相まって、いくらでも食べられそうだ。
七月下旬に食べた外国産とは全然違う! さすが国産! デパ地下にあったから、同じ国産でもスーパーに置いてある物より高級なはずだ。これは蘭堂家で独占を……。いやいや、まだ大量にあるから住人達のご機嫌取りに使うか?
女性陣も俺と同意見らしく、非常に満足している。専門店で食べた事が無いので比較は出来ないが、焼きたての鰻はもっと美味いんだろうな。
大根さん達はこの鰻が食べられないのかぁ……。ま、早い者勝ちだからしょうが無い。
ちなみに彼等には速攻でバレたようで、夕方に抗議のメールが届いた。
どうせ百人以上の避難民全員に高級食材が行き渡るワケは無し。大量にあった『普通の食材』は譲るので文句を言うな。――といった内容で返信したら、少量で良いのでトレードしないかと。寝言を言うな。
どうやら昨日は事前調査で、今日が本番の予定だったらしい。やはり探索を強行して正解だった。
「明日はフカヒレの姿煮にしようか。それとも……」
女性陣が歓喜に震える。あきらさん達も食べる気満々なようだ。やっぱり食事は大事だねっ。
ちなみに二人のスマホは女性ゾンビさんから頂戴した。ロックが掛かっていないスマホを探すのに難儀した。




