十九 少女の家。男の戦意をこじ開けろ。
八月二十九日。午前。
絵璃鈴ちゃんの着替えと食料を調達しに行く。ねねの強い要望で俺とあきらさん、絵璃鈴ちゃんとねねの四人でねねの家に向かう事にした。車で。
周辺のゾンビはあらかじめあきらさんによって遠ざけられているが不安が果てしない。身を屈めて周囲から見えないように指示しているが、どんな切っ掛けでねねが襲われるかと思うと気が気でない。
やがてねねの家に辿り着くとあきらさんと絵璃鈴ちゃんが周囲の安全確認。絵璃鈴ちゃんを見張りに残して俺とあきらさんでねねの家、宮湖橋家を探索する。
しばらく前からねねは家族と連絡が取れなくなっていたので最悪の場合、田楽寺さんにねねの家族の死体を処理させるか悩んでいたのだが……。家の中は無人だった。多少埃が積もっているが荒らされた形跡も無く、淀んだ空気が漂っているばかりだ。
ねねの家は一軒家の建て売り住宅なのだろう。同じような家が立ち並ぶ中でゾンビよりも人間に注意するように絵璃鈴ちゃんに告げ、宮湖橋家へと改めて侵入する。
「やー、埃がスゴイねー」
と、軽口を叩きながら自室へ辿り着く。さて、荷物を纏めようかー。といった段階でねねが机の上のメモに気付く。
『母さん達は市役所に向かいます。生きて再会できる日を望みます。――愛する娘へ。母より。八月十九日』
日付はちょうど十日前だ。おばさん達が市役所にたどり着けたのかは知る由もないが、その後の連絡が無い今、楽観的な状況では無いはずだ。
「ねね、この後市役所に行ってみるか?」
「いいの?」
「近いうちに行く予定だったんだ。そんなに距離も離れてないし。ま、気にするな」
ねねが俺に縋り付き、声を殺して泣いた。
扱いに困ったが、これって映画でよく見る光景では無いだろうか? それならばと腰と肩に手を回す。
ねねの嗚咽が広がる部屋で、閉じられたカーテンの隙間から陽光が差し込み室内の埃がきらめく。外は静かで、あきらさんは赤面して固まっている。
やがて泣き止んだ彼女は目を赤く腫らしつつ俺の顔を覗く。彼女の部屋で、俺達は抱き合って。彼女の瞳から零れた涙が俺のシャツに吸い込まれた。抱き合う二人。視界の隅のあきらさんがモジモジソワソワ。
俺が目をやるとあきらさんはペコペコと頭を下げて静かに退場しようとする。そうじゃねぇよ。ここでラブコメやってる暇は無いんだって!
ねねの涙を人差し指でそって拭うと、こちらをチラチラと見やっていたあきらさんが挙動不審な様子で、それでいて視線はこちらに釘付けなようだ。なんだか彼女の鼻息が荒いような気が?
ぷるぷると震えながら目を瞑り、唇を突き出してくるねねに頭突きを喰らわす。がつん!
「!!??」
「遊んでるヒマは無いんだ。早く荷物を纏めてくれ」
ねねは涙目で頬を膨らまして抗議しようとしたが、諦めたのか大人しく従ってくれた。あきらさんはソワソワしつつも他の部屋の探索を始めた。
小一時間してねねの着替えやら日用品等の荷物を車に積み込み、周囲のゾンビを遠ざけつつ市役所に向かう。ねねの両親は生きているのだろうか? エンジン音を響かせて車を走らす。
しばらく進むと、道中のファミリーレストラン跡地付近にバリケードが敷かれていた。車が並べられていて、隙間だらけだが迂回せざるを得ない。
あきらさん達にどかして貰うか?
考えていると男達がわらわらと出て来た。手にはバールや金属バット。革ジャンを着ていないのでヒャッハーでは無いようだ。
「車から降りろ! 抵抗しなければ仲間に加えてやる!!」
などとのたまう彼等に、俺のクロスボウの試射は許されるかな?
「クロスボウはもうちょっと後で。……まずは自分が対応します」
車から出てあきらさんが声を張り上げる。
「自分は防衛大学校二学年の三郷あきらだ! 自分達は市役所に向かう道中であり、あなた方に危害を加えるつもりは無い! この道を通るなと言うならば迂回するまでだ!! 自分達は通行を求めるだけであなた方に危害を加えるつもりは一切無い!!」
しばしの静寂。の、後。
「ハッ! 市役所周りはゾンビだらけだぜ! 今更行っても奴らのお仲間になるだけだ!! 悪い事ぁ言わねえよ姉ちゃん。例え拳銃を持ってても数の暴力には抗えねぇ。大人しく降伏しな!」
短髪髭もじゃマッチョが叫ぶ。見た感じ、三十代半ば位か?
「自分達をどう扱うつもりだ!?」
「がはははは! んなもん決まってるだろ! 軽作業と子供達の世話! もちろん料理も作ってもらうぜぇ!!」
え?
「貴様達は女性を虐げないと言うのか!?」
「当たり前だろ!? 貴重な労働力を性処理なんかに使わねぇよ!! つうかそういうのは好き合った男女が……ごにょごにょ……」
随分初心なヒャッハーもいたもんだ。
「そ、そうか。そちらは何人いるんだ?」
「オレ達は全部で二十人だ! だがお年寄りと児童が半数以上だ! 人手が足りねぇ! 武器もバールやバット位しかねぇ! だからお前ら! 降伏して仲間になれ!!」
この状況で自分たちの戦力を明かすか?
相手の性格が良すぎて軽く目眩がしてきた。あきらさんも戸惑っている。ねねは『そういう罠かも!?』と疑って、絵璃鈴ちゃんは「助けてあげましょう!」と息巻いている。あきらさんが俺を伺う。
目配せして車から降りた。一応、万一に備えて絵璃鈴ちゃんも待機させる。
「俺はリーダーの『アサ』だ! そちらのリーダーと話がしたい!」
先程から大声をあげていてる男に怒鳴る。一応警戒して偽名を名乗る。
どうせ奴がリーダーなのだろうが。ていうかあきらさんが遠ざけているとは言え、それを知らない彼が大声を上げているのは防衛上如何なものだろうか?
予想通り先程から大声を上げている男が返答する。
「オレがリーダーの坂本龍次だ! お前も本名を名乗れ!」
「お前が信頼できる男なら名を名乗ろう! 食料は足りているのか!?」
「うるせえ! オレ達がそろそろヤバいなんて、貴様に教えてやる義理は無い!」
どんだけ正直者なんだ、あのおっさんは。
「今は食料を積んでいないので援助は出来ないが二十名分の食料! 必ず届けると約束しよう!!」
女性陣が感心仕切った瞳で俺を見つめる。……君達周囲の警戒怠らないでよね?
「申し出は嬉しいがお前等が戻ってくる保証が無い! 今すぐ俺達の仲間になって調達を手伝え!」
まー、そうなるわな。
迂回してもいいのだが、こちらの意見を押し付けた上で彼等を救おう。善意の押し付けだ!
「そろそろゾンビが群がってくるハズだぜー! オレがさっきから何の考えも無く怒鳴っていたと思うか!? 奴らの餌食になりたく無けりゃ、大人しく仲間に加わりな!」
なるほど。そういう思惑があったのか。――だったらエンジン音を響かせてやって来た俺達になんの疑問も抱かなかったのか?
絵璃鈴ちゃん。絶対に傷付けずに、武器だけを壊してね?
彼女が頷き、その体がブレたかと思うと相手方のリーダーの目の前に出現した。あまりの出来事に彼が固まっていると、絵璃鈴ちゃんが無造作に腕を振るう。一拍おいて彼が手に持つバールが細かく切断されてガチャガチャと音をたててアスファルトに落ちた……
正しく一瞬の内の出来事であった。
狼の獣人はここまで素早く動けるのだと、改めて感心する。
いつの間にか隣に立っている絵璃鈴ちゃんに問う。どうやって切断したの? 爪ですか。凄いですね。
「な、な、な……!」
連中がワナワナと震えている。
俺の隣に立つ絵璃鈴ちゃんが顔色を伺いながら言う。
「ご主人様、ボク、自分の名前があまり好きじゃ無くて……だから今後はエリーって呼び捨てにしてくれたら嬉しいの……」
「ふ……!」
絵璃鈴ちゃんが上目遣いでもじもじとお願いしてきた。破壊力高ぇな!
「分かった。エリー」
「ふざ……!」
エリーがパッと笑顔になる。ついでに尻尾もブンブン揺れる。
「ふざけるなーっ!!」
マッチョの坂本が吠えた!
「一体何なんだ! なんでゾンビが来ない! そこのケモ耳はなんだ! 何でお前らは車で移動出来る!? 敵ならきちんとトドメを刺せよ!?」
相当混乱しているようだ。可愛そうに。俺が彼の立場だったらあの様に怒鳴り散らせていただろうか?
難しいかな?
「えーと、坂本さん。落ち着いて下さい。ゾンビは来ませんから」
「これが落ち着いていられるかぁっ!! さてはお前ら、異世界転生してきた勇者でチート持ちだな! ステータスカンストなんだろ!? スキルは何だぁっ!!」
坂本さんは最近流行のラノベをご愛読のようだ。俺と趣味が合いそうで何より。
「俺達は敵ではありません。だから落ち着いて話をしましょう?」
ハー! ハー! と荒い息づかいで興奮する坂本さんを何とか宥め、彼が此方に来てくれた事で話し合いの場がようやく成立した。
「……取り乱して済まねぇ。オレは坂本龍次、三十四歳。独身だ」
既婚の有無は必要ないんだけど……
「俺は蘭堂朝春、十七歳。独身だ」
マネしてみた。
「その年で既婚だったら怖ぇよ……」
ウケなかった。
「俺達があんた達より強いのは分かってもらえたと思う。仲間に加わるのは出来ないがこれから市役所に行くつもりだ。そこで物資を分けてもらえれば、帰りにあんた達に引き渡す。なんだったらあんた達を市役所まで送り届けても良い」
ポカンとした坂本が頭を振って叫ぶ。
「そ、そんなうまい話は信じねぇぞ! お前! 何だかんだ言って、オレ達をハメるつもりだろう!?」
心外だ。俺は完全なる善意から提案しているのに、混沌とした世界では人を信じる心は既に失われているのか……
「坂本といったか。普通であれば自分達はお前等を見捨てるハズだ。わざわざ他人の面倒を見ようというお人好しでは、この世界を生きていけないからな」
あきらさんが助け船を出してくれた。
「ああ、それが今の常識だ。だけどよ、もうちょっと耐えたら自衛隊なり軍隊なりが助けに来てくれるかも知れねぇじゃねぇか? だからそれまで、オレ達はここで命ぁ張るしかねぇんだよ……!」
「助けはともかく坂本、お前が他人であるハズの老人や子供達を助けるのと朝春君がお前等を助けるのと……何か違うのか? 自分には同じように思えてならないのだが?」
言って彼女はニヤリと笑う。……ああ、この人は。根っからの姐御体質なんだろう。最後に全部持って行かれた感じがして居たたまれない。エリーは隣で「さすがお姉様!」といった顔で頷いているし、ねねに至っては後部座席の窓からこちらをチラチラと伺っている。
髭マッチョがワナワナと震えて崩れ落ちた。
「オ、オレは仲間を守るつもりが……その為に人を信じる心を捨てちまったっていうのか……!?」
「そうではない、坂本。お前は今までリーダーとして、自分には想像も付かないような苦労やストレスを抱えてきたのだろう。
これからは自分達がその重荷を共に背負おうと言っているのだ。どちらが上でも下でも無い。我等はこれから共に苦労を分かち合う、仲間になるのだ!」
「あ、姐御!! オレぁ、オレぁ! 一生あんたに付いていくぜ!! そうだろ! お前らっ!!」
おー! だの、モチロンだー! だの、姐御最高ー! だのと、野太い歓声が響く。いつの間にか近づいてきていた男連中は二人の話を聞いて盛り上がっている。
防衛大学校では人心掌握術とか、集団を煽る作法とか、そういったカリキュラムが存在するのだろうか?
歓喜の輪から外された俺とエリーはねねを車から引っ張り出して冷たい麦茶で休憩する。家で水筒に入れてきたのだ。
ぐびっと飲んで一息付く。
「あきらお姉様ってちょっと変わってるよね」
「普段は生真面目なんですけどね」
「自衛隊を目指して頑張ってたらしいからな。きっとあきらさんの心には熱い情熱が滾ってるんだろ」
「貴様らに生き残る気概はあるか!?」
サー! イエッサー!
「貴様らにゾンビを殺す力はあるか!?」
サー!! イエッサー!!
「貴様らに仲間の盾になる覚悟はあるかっ!? 仲間の剣になる勇気はあるかっ!!」
「オオオォォォーーー!!!」
……洗脳が終わったようだ。




