十七 偽善と看護。助かりたければ少女を助けろ。
八月二十八日。朝。
久しぶりに熟睡できて気分爽快な俺とは裏腹に、蘭堂家の食卓には常に無い雰囲気が漂う。原因は勿論昨夜の話なのだが。
朝食の用意をあらかた終えた母さんは、昨夜の醜態を思い出したのか隅っこでプルプルと震えて動かない。あえかとねねが配膳をして、母さんに『元気を出して』と励ましている。
「母さん。もう、今までの常識は通用しないんだ。お願いだから受け入れて……」
「そ、そうよね。母さんちょっと、ビックリしちゃってたのかな」
赤面しつつ、身だしなみを整える母さん。
やがて朝食の準備が整い、五人で食卓を囲む。俺達の前にはトーストと目玉焼き、冷凍野菜とソーセージにコーンスープ。賞味期限が近い食材を使った贅沢な食事だ。ソーセージには粒マスタード派の俺だが、スーパーから回収するのを忘れていた。無念。
母さんの性格から察するに、俺を心配する余りに見せた涙が恥ずかしかったのだろう。母さんが親として、色々な感情を抱えている事は理解しているつもりだが。俺としては守るべき対象だ。どんな罪を重ねても。
微妙な雰囲気で朝食を終えた俺達は、マンション捜索を再開する。
今日は三階から一階までだ。問題無ければ午前中で終わる筈。午後はホームセンターに向かうか、いっその事休みにするか。午後の予定に思いを馳せる。
三○一号室、空き。三○二号室、「何だよ! うるせーなぁー!!」
駄目なパターンだ。絵璃鈴ちゃんがすでにスタンバっている。確かにそうだけども! 呼ぶつもりだけど!
ちょっと待ってね。
「救護に来ました。ご家族は何人いますか?」
一応、形式として訪ねた。
「んなモン、お前に関係ねーだろ! いいから食料よこせよ!!」
何故このゾンビあふれる世界で、彼はここまで高圧的な態度がとれるのだろうか? 自分で食料を得るか、他人から奪うかしか無いこの世界で、よこせと要求してきた。ドアの向こうから。笑うよりも驚きに包まれる。
「じゃあドアを開けて下さい」
「そこに置いとけ。お前が居なくなったら回収する」
意外と用心深いようだ。あきらさんに目配せして、合鍵を差し込んで素早く解錠する。同じ鍵とはいえ二カ所あるのが面倒だ。
相手が驚いている隙に素早くドアを開く。予想通りチェーンが掛かっていたのであきらさんが手刀でスパリ。ちょっと待って、また驚きの技が……。
十分にドアが開いたところで絵璃鈴ちゃんが突入。瞬時に相手(太ったおっさんだ)を絶命させた。……しばらく後にお食事が終了。彼女の胃袋に関して、俺は考えるのをやめた。
家の中は意外にも清潔だったが一室の扉を開けると、そこはミリタリーグッズに溢れていた。ガラスケースには銃やライフルが綺麗に陳列され、壁には迷彩柄のヘルメットや戦闘服、ゴーグル等が掛けられている。
ミリタリーオタクの方でしたか。これらが実銃だったら有り難いんだけど、流石にモデルガンだよね?
オートマチック式の拳銃を手に取ってみる。ズシリと重い。銃に関する知識もプレッパーの嗜みだが、実際手に取った事などあるはずが無い。……確かグリップの部分に弾倉、マガジンがあって……。
苦労してマガジンを引きずり出す。BB弾用のマガジンでした。
ですよねー。いきなり実銃は無いよねー。
それにしても重さといい、質感といい、凄くリアルだな。本物なんて見たことも触ったことも無いけど。
万が一を考えてあきらさんと手分けをして全ての銃を調べるも、全てモデルガンだった。持ってても人間相手の威嚇……にもならないだろう。邪魔だし、放置。
あきらさんは部屋の反対側に飾ってあるゴツいナイフがお気に召したようだ。……これって銃刀法に引っかからないよね? 今の御時世、銃刀法なんてどうでも良いのだが、この部屋の主が手に入れた時は日本はまだ平和だったのだ。
ま、気にしてもしょうがない。あきらさんは片っ端からナイフを回収していく。ゴツい双眼鏡やらゴツい懐中電灯やら、ミリタリー関係はみんなゴツい物ばかりなのか?
使えそうな物をどんどんリュックに詰めていく。部屋の隅にあった、迷彩柄のリュックも拝借。
これは一旦家に帰って荷物を置いてこないと……。と、考えていると。
あったよ……。クロスボウ。
長めの銃の先に弓が取り付けられた見た目のソレから撃ち出されるのは銃弾ではなく、矢だ。連射性は無いが殺傷能力が高く、発射時の破裂音も無いため静音性に優れている。
確か最近、銃刀法が改正がされて所持は免許制になったようだが……まだ施行されてないんだったかな?
「はい。施行はまだのようですが、施行から半年の間に免許を取得するか処分するかしなければいけませんが……この調子では施行日は来世になるでしょうね」
なるほど。
「というか、クロスボウに関する法改正なんて、よく知ってましたね?」
「ハハハ。武器に関する情報収集はプレッパーの嗜みの一つだからね」
日本で入手可能な殺傷能力の高い武器など、そうは無い。入手法方や扱い方の『知識だけ』はバッチリだ。
ゾンビ相手に使う事は無いだろうが、自衛には役立つ。幸い矢も多数あるのでありがたく回収した。
リュックが一杯になったので一旦帰宅する。
「兄さん、随分早かったですが何か問題が?」
「いや、荷物が一杯になったんで一旦置きに来た。またすぐに出掛けるよ」
「朝春ー、早かったねー」
「おう、武器が手に入ったから。あえか、母さん呼んできて」
俺の部屋に全員集合。武器について軽く説明する。どういった武器で、どのような危険があるかを。近所の病院が機能しているかは不明だが、少しの怪我が命の危険に繋がりかねない今日この頃。皆も安全には気を付けましょうね。というお話だ。
簡単に言えば危険だから触るな。って事。三人は真面目に頷き、むしろ怖いからクローゼットの奥に封印しておけ。と言われた。今更だが五○二号室に保管すべきだったか? いや、万が一無人の部屋に侵入された場合、根こそぎ武器が奪われてしまう。やはり家に置いておくしかないか。はぁ……。
あきらさんは刃渡り三十センチはあろうかという大型のナイフを気に入ったようで、鞘を右太腿にベルトで固定。見た目の凶悪度が跳ね上がったが、本人はご機嫌のようだ。
ちなみに左太腿にも刃渡り二十センチ程度のナイフが装備されている。手刀でチェーンを断ち切る女に、今更ナイフなど必要なのだろうか?
必要なんだろうな。多分……。
三○二号室の捜索を再開する。
ふと、思ったんだが。モデルガンでも顔に向けて撃たれたら……。下手したら失明するかも? 回収回収! 武器になりそうな物は全部回収!
……そういえば、各家庭の包丁とか……。強面さん達、回収してきてくれないかな?
無理ですか? そうですか。
各家庭のドアは施錠してあるので、後日回収しよう。心のメモに記す。
「あきらさん、包丁を武器にするとしたら長い棒に括り付けて槍にするのが一番ですかね?」
ミリタリー部屋を漁りながら質問する。
「そうですね。耐久度は期待できないのでほぼ、使い捨てになると思いますが……。後は相手に投げつける……のは、逆に奪われる可能性が高いですし。隠し持って、隙を突いて突き刺すのも良いかも知れません」
やっぱりそうか。
――その気になればカッターやハンマー等の工具も立派な凶器になるなぁ……。
面倒だから回収するのは包丁だけでいいか……。
ポケットが多数付いた上着なんかも魅力的だったが、サイズが合わずブカブカ。痩せろ、おっさん。
台所の食料はカップ麺が少々。どちらにしても彼の命は数日の内に潰えたのだ。タオルで包丁を包み、カップ麺と共に回収。オーディオラックのDVDを見ると、戦争物ばかりが並んでいた。……しばらく悩んだが放置。要望があれば回収するとしよう。
残りの家の捜索を開始。三○四号室と三○六号室で二人ずつ三十代らしき夫婦と、中学生と小学生の姉妹だった。
夫婦も姉妹も食料が尽きかけていたようで、大分憔悴していた。ご飯よりもお粥かな? 玉子粥にしてあげよう。
「奥さんはお粥作れますよね?」
「あ、はい。作れます」
「弱った身体に普通の食事は危険なんで、とりあえず手持ちのパックのご飯と卵をさしあげますから、玉子粥……というか雑炊というか。味付けも薄めにして下さい。じゃないと、身体がビックリしちゃいますから」
「ビックリですか?」
「はい。消化器官が弱っているのであまり良くない結果に……」
「う、薄味の玉子粥ですね! わかりました!」
後でまた食料を持ってくると言うと、夫婦は涙を流して感謝してくれた。中々気持ちが良いもんだ。
今日の俺の心は正しく機能しているようだ。久しぶりに熟睡出来たからかな?
「自分も人を助けるために防衛大学校に入ったので……。自己満足なのは理解していますが、ちょっと誇らしいです」
言ってあきらさんは優しく微笑む。仮に数年で世界が、日本が復興したとしても、カーミラとして生きる(心臓は停止したままだが)彼女が大学に復帰する事は不可能に思える。
三○六号室の姉妹は先程の夫婦より危機的な状況だった。水だけを飲んで、もう三日も食事をしていないらしい。姉が最後の気力でドアを開け、生存への道を自らの手で開いたのだ。十歳の妹の衰弱具合も酷いが、我々は医者では無いので十分な手当が出来ない。十三歳だという姉も自分の世話すら満足に出来ない状況だ。誰かがそばで看病しなければならない状況だが……。
そうだ。三○四号室の夫婦を頼ろう。食料を条件にすれば言うことを聞いてくれるはずだ。ていうか聞かせる。どうせ彼等もしばらく玉子粥だ。二人分も四人分も手間は変わるまい。
早速三○四号室に引き返し、事情を説明。快く引き受けてくれた二人を三○六号室へと案内する。……作りかけの粥は鍋ごと運んできた。看病における注意点を夫婦に説明し、何かあったら自分のスマホに連絡するように伝える。
「絶対に無断で廊下に出ないように」
「君達はマンション内を自由に歩いているんだろ? 少なくとも三階は安全なんじゃないのか?」
「安全じゃありません。忠告を無視して外に出れば、貴方の余生はゾンビですよ」
「じゃ、じゃあ君達の安全は……?」
言って男はあきらさんの格好に今更ながらに気付く。上下黒の革製品で身を包んだライダー姿に、両の足にはゴツいナイフが装備されているのだ。
――アンタ、今まで何体のゾンビを屠ってきたんだい?
――あら? あなたは今まで食べてきたご飯の杯数を数えていて?
――クッ、なんて女だ!
みたいな遣り取りが交わされたとか、交わされなかったとか。
「夕方頃に纏まった食料持ってきますんで。着替えや私物はその時に取りに行って下さい」
納得させて次の家に……昼飯食いに一旦帰ろうか。
田楽寺さんが「自分の出番はまだか」といった眼差しで俺を非難している様な気がした。ゴメンなさい。あなたの出番は絵璃鈴ちゃんの次なんです。恨むなら彼女の異次元収納胃袋を恨んで下さい。
その様な事を説明しようとして近づくと、田楽寺さんはスススと遠ざかる。
俺に癒やしを与えてくれる天使はドコだ。ゾンビはいらねぇ。天使をよこせ。




