十六 選択の家。どちらか選べ。
八月二十七日。夕方。
マンションの捜索は八階から始まり、四階までが終了した時点で夕方になったので今日の捜索を終了した。
あれから何人かの生存者を発見し、死体を処理した後に保存食を届けると涙を流して感謝されたが、不思議と何らかの感慨が湧くことはなかった。
俺に別の思惑があったとしても、食料を求める彼等にソレを渡し、感謝されたのだ。だが、俺の心は満たされない。
ちょっとヤバいよなぁ……。と、一応の自覚があるだけまだマシなのか?
思っていたよりも生存者は少なく、空室もそれなりにあったが、反抗的な人間と死者はそれよりも少なかった。処理は絵璃鈴ちゃんに任せっきりであったにも関わらず、彼女の渇きが満たされるまでは遠いらしい。
物理的に考えて、既に数百キロ以上の肉を食べているはずなのに、グーラーの胃袋はブラックホールか。
彼女達が穀物や野菜を要求するのならば。日本人の全てが餓死する日もそう遠くは無いだろう。
事前に着替えを用意して、五○二号室で再び身体を洗う。あきらさんは相変わらず脱衣所の外で待機すると宣言。今度はあえか達を呼び込まないでくれ。
「あきらさんも一緒にどう?」
「い! いえ! その! やはりその! 自分は! その! 男性に慣れていなくてですね……ごにょごにょ……」
実に初心だ。ゾンビ達相手にはあれ程凜々しかったのに、年下の男相手に赤面してモジモジと身をよじる。
あえかのブラコンにうんざりしていた俺には実に新鮮な反応だ! やはり女性はモジモジと恥じらいながら赤面して「恥ずかしいから電気を消して……」というのが好ましい! 勿論これは俺の趣味嗜好であり、世の中の女性にそう在るべしと言うわけではないが。
それでも俺の好みがそうなのだ。他人の趣味に文句は言わない。だから俺の趣味に文句を言うな!
あきらさんをなだめて身体を洗う。洗い終えて合流し、帰宅した。
リビングであえかとねねが正座してる。母さんがプラスチック製の定規を持ってウロウロしている様は、お寺の禅修行か何かか?
「あ、あの。ただ今帰りました……?」
「あら、お帰りなさい。二人とも。問題は無かった?」
今この場が問題有りですけど?
「巴さん。何事も問題無く、マンションの捜索は順調です」
それでいいんだけども!! ダークな話は秘密にしたいんだけども!
「それなら良かったわ。こっちは問題だらけでどうしようかと悩んでいたのよ」
あえかとねねが涙目で正座している。正直に言って、俺の安全のためには二人を見捨てるべきだと。俺の本能が警鐘を鳴らしている。――今更遅いよ。
確かに二人に対して説教をお願いしたけど。母さんが定規をピシピシと鳴らす度に二人の身体がビクリと震える。
そこまでは求めていなかったんだ。母さん……。ちょっとこらしめる位を望んでいたんだよ。俺は。
――トラウマを与えろなんて断じて言ってないからな! 俺は!
時既に遅し。少女達には取り返しの付かない心の傷が刻まれ、それを防ぐ事が出来なかった少年の心にも、同様の傷が刻まれたのでした。合掌。
……などという結末は無く。「反省したようだから解放してあげるわ」という言葉によって解放された。
生まれたての子鹿のように、プルプル足を震わせて……。コケた。どれ程の時間正座していたのかは知らないが、暫くは立ち上がれないようだ。
普段ギャーギャーと五月蠅い二人の姿を目に、俺に眠る加虐心がむくむくと頭を上げて……、しおれて枯れた。
余計な手出しをして恨みを買うのは愚策だろう。――ならばここは介抱して恩を売るのが正解だ。
「二人とも大丈夫か? ほら、楽な姿勢をとって、痺れが抜けるまで大人しくしていたほうがいいよ」
「ありがとう、兄さん。原因は兄さんですけど」
「うん。朝春がおばさんに告げ口したからだよねー」
俺は二人の恨みを買い取り済みだったらしい。――ていうか元々の原因はお前らが五○二号室に突撃してきたせいだろうが! 逆恨みも甚だしい!
本日の夕食は焼きそばだ。冷凍庫の適当な野菜と豚バラ肉を混ぜて、期限間近の卵を大量に目玉焼きにして乗せた、デカ盛りメニューである。
物流がストップしている今、卵が食べられるのも良くて残り一週間ほどだろう。――ならば食べられる内に食いまくるだけだ。マンションの生存者連中にも早めに食えと忠告し、一パックずつ配布済み。各家庭でも今夜は卵パーティーが開催されている事だろう。
今日はあきらさんもビール片手に焼きそばを摘まんでいる。防衛大学校は寮生活のようで、こういった家庭の(悪く言えば『雑な』)料理が懐かしいようだ。あくまで嗜好品として、その味とビールを楽しんでいるとの事。
「それで、今日の成果はどうだったの?」
焼きそばの山が消え去り、一息付いたところで母さんが訪ねる。
「うん。八階から四階までで、うちを除いた生存者は三十六人。明日は三階から一階までを捜索するよ」
「でも皆さんに食料を配るんでしょ? トモは大丈夫なの?」
「大丈夫だよ。肉体労働は強面……、コホン、ゾンビの人達が手伝ってくれるし。
スーパーもコンビニも全然荒らされてなかったから食料も一杯あるし」
パンデミック発生がほぼ、世界同時だったのがここで幸いした。買い占めが行われず、略奪もゾンビによって防がれているのが現状だ。
母さんを安心させ、
「それで、今日は何人殺したの?」
安心させられませんでした。
「昼過ぎに女性が怒鳴っている声が聞こえたし、その後も色んな怒声や、悲鳴が……」
「母さん」
「も、もしもトモがやったんなら、か、母さんに言いなさい! きっと、正当防衛なんでしょ? そうなのよね!?」
「母さん、もう、今までの常識は通用しないんだ。俺に従う人間は助けるけど、反抗的な人間は何をするか分からない。
最悪、母さん達が襲われる事だって十分にある。だから敵になる前に処分したんだ」
母さんは「ああ……!」と、その手で顔を覆う。母親を泣かせてしまった。
そもそも今朝の時点で皆に説明したはずなんだが。
――『これからヤルよ』と『ヤッてきたよ』は違うらしい。俺としては心の準備期間を設けたつもりだったのだが……。
あえかとねねが母さんを宥めている。俺がこの場に留まっていてもどうしようもないか……。自室に帰ろうと席を立つ。
「巴さん! あなたは間違っています!」
あきらさんが吠えた。こっから熱血路線に行くの? 今日は俺、もう寝たいんだけど?
「確かに朝春君が間接的にとは言え殺人を犯したことはショックでしょう! ですが!! 何故彼がそうせざるを得なかったか!? 言いたくありませんが、貴方達家族の為なんですよ!」
ドーン! だの、ドギャーン! といったオノマトペが見え隠れしているような?
「アタシ達の為……? アタシ達がトモを苦しめているの?」
「そうではありません。貴方達を害する可能性のある人物を殺す事で、安全度が増します。そうして得た安全こそが、朝春君の癒やしに繋がるんです」
そ、そうだったのかー! ……冗談は置いて、便乗して母さんを説得しよう。
「そうだよ母さん。俺は母さん達の安全と自分の為に、敵対する人間を排除しただけだから」
母さんは泣きじゃくりながらうんうんと頷く。「でもね、アタシはお母さんだから、トモを守らなきゃいけないのに……」と。ぐしぐしと泣く母さんは、こう言っては何だが少女のようだ。
母親を泣かせてしまった。
人を殺せと命令した時よりも、心に響く。重く、悲しく。
あえかとねねに母さんを任せて、俺はあきらさんと二人で食卓を挟む。明日の段取りを決めて、俺は立ち上がり冷蔵庫から缶ビールを持ってくるとそのフタを開く。プシュっと軽快な音が鳴る。既に半分ほど空けた缶ビールの彼女と乾杯し、人生初のアルコールを喉に流し込んだ。
むせることは無かったが、旨いと感じる要素がどこにも無い! 何だこれは! 苦いだけじゃないか!
大人はこんなものをグビグビと呑むのか!
仕事上がりのこの一杯が染みるねー! かぁー! もう一杯! その気持ちが理解出来ないのは俺が未成年だからか!?
落ち着いて飲んでみると、苦いは苦いが、苦いながらもほろ苦く。「このほろ苦さが良いんですよ」というあきらさんの言葉に少しだけ同意した。
あきらさんによれば、俺は酒呑みの素質があるようで、焼酎やウイスキーの呑み方をレクチャーされる羽目になってしまった。――あまり興味は無いのだが。
全てを終えて就寝に付く。パンデミックが発生してから、俺の睡眠時間は徐々に減ってきているようで。……いや、減ってきているし、眠りが断続的になっているのだ。つまり、熟睡できていない。
今は日常生活に支障を来す程では無いが、なんならこれから支障を来す可能性だってある。考えるまでも無く、ゾンビパンデミックが原因なのだが、今後に備えて睡眠薬を入手しなければ……。
「それならば。自分が解決して見せます」
言葉と共に俺の首筋にあきらさんの牙が突き刺さる。今回は意識がハッキリとしているし、痛みも無い。あきらさんが俺の首筋に噛み付き血を吸っている。ただそれだけ。
やがて血を吸い終えたあきらさんに『血を吸うのはもう何日か後では?』という疑問を目にしつつ、訪れた眠気に抗う。就寝の準備は整っているが、あなたの吸血は人を眠らせる事も出来るのか?
……この眠りは、……抗えない……。
与えられた眠りだとしても、俺の心的ストレスを慮って強制的に眠りを与えてくれた。
配慮に泣きそうになる。ちっぽけな高校生のプライドで涙を我慢しつつも、意識はすぐにフェードアウトした。




