十五 マンションの掃除。助ける命をお前が選べ。
八月二十七日。晴れ。午前。
八階の探索が終わった。結論から言えば生存者はゼロ。空室が数部屋あった他は自殺したのであろう、遺体が俺達を出迎えてくれた。幸いな事に、腐敗はそれほどでも無く、絵璃鈴ちゃんに処理を任せた。
グーラーは女性の屍食鬼だ。かつてあきらさんもそうだったらしい。
「断片的な記憶しかありませんが、自分が人の死体を食べていた記憶はあります……。その時は自分の意識と身体が切り離されたような、断片的に覚醒しても死体を食べる自分の身体をどうする事も出来ず、絶望していました」
絵璃鈴ちゃんが死体を貪る。直視するのも憚れるが、俺の命令でそうさせているんだ。見届ける義務があると思うし、慣れなければいけない。
「それから何日か経ったのでしょうか? 急に意識がはっきりとして、自分の意思で行動できるようになったんです! 周りのゾンビ達は自分に従ってくれましたので、服と染髪料を調達して近くの空き家で茶髪に染めてみたんです!
いやー、ずっと憧れだったんですよ! 女子校でも防衛大学校でも茶髪禁止でしたし! 中々上手に染められたと思っているんですが! いかがですか!?」
後半のせいで台無しだ。前半の情報が吹っ飛びかけた。残念カーミラの茶髪を適当に褒めて、彼女の言葉を反芻する。ゾンビが何らかの切っ掛けで屍食鬼となり、屍食鬼がその本能を満たせばカーミラに成る。
あきらさんがそうだったからといって、他のグーラーもカーミラに成るとは限らないが。何らかの変化が期待される。
八○一号室では田楽寺さんにも命令してしまったが、以降の部屋は絵璃鈴ちゃんに処理を集中させる。今のところ、彼女に変化は見られない。
正午が近くなったので一旦帰宅する。
グーラー二人と強面達は階段で待機。
ふと、気になったので隣の五○二号室を調査。誰もいなかった。都合が良かったのでシャワーを借りることにした。
あきらさん、一緒にどう?
「……っ!! じ、自分はその! アンデッドでありますので! 新陳代謝が行われません! 故に! だ、だ、男性と! その! と、ともかく! 時期尚早であるかと!!」
テンパリ具合が半端無い。どんだけ乙女だ。からかいたい気持ちを何とか抑える。あえかやねねに知られたらどうなる事か。
「了解。先に帰ってていいよ」
「いえ、ここで待機します」
脱衣所の外から彼女が言い放つ。俺の安全を気遣ってくれているのだろう。彼女に感謝しつつ、服を脱いでいる途中で着替えが無いことに気付いた。
「あきらさん、悪いけど着替えを取ってきてくれない?」
「き、着替えですか!? 勿論構いませんが、自分には勝手が分からないのですが……」
「母さんかあえかに聞いてくれれば分かるよ。パシリにしてゴメンね?」
「とんでもありません! 自分は朝春君の着替えを取ってきますので、ゆっくりしていて下さい!」
「ヨロシクー」
慌ただしく遠ざかっていく彼女の足音を背に、残りの衣服を脱いでいった。
五○二号室は隣人だが当然他人なわけで。ボディソープやらタオルやらの置き場所に些か戸惑った。
かなり念入りに洗ったはずだが、死臭が身体にこびり付いているような気がしてならない。俺は既に引き返せない地点を超えてしまったのだが、家族にその匂いを嗅がせたくはない。
本来であれば家族にも、死とゾンビの世界に慣れてもらわなくてはならないハズなのに。
彼女達の常識がコチラ側に来なければ、俺はいつでもかつての平和な世界に帰れる。例えそれがハリボテの平和だとしても。
入念に身体を洗い、そろそろ着替えを持ってきてくれないかな? と待ちわびていると玄関の開く音が聞こえた。望まぬ声と共に。
「兄さん! 着替えを持ってきました! ついでに身体を拭きます! 余す所なく拭きます! ねねさん! 離して下さい! 離せー!」
「朝春! あたしがあえかちゃんを抑えているから! 早く着替えて!」
「朝春君ゴメンなさい! どうしても付いてくるって聞かなくて!! あえかさんっ!! 落ち着いて下さい!! ねねさんもドサクサ紛れで脱衣所に突入しようとしないで下さい!」
どうでもいいけど、俺の着替えはドコだ?
バスタオルで身体を拭いていると脱衣所の扉がバンッ! とけたたましく開く。善戦虚しく、あきらさんは敗北したようだ。
「兄さん! お手伝いをー!!」
「朝春はあたしのだー!!」
「スミマセン! スミマセン!」
慌てて腰にタオルを巻く。
俺に群がる女二人を抑えつつ、あきらさんが謝罪する様は何とも言いがたい様相を呈していた。――いいから服を着させてくれ。
欲情した二人を家に押し込む様子を伺っていた強面達はウズウズしていた。襲いたくてたまらないのだろうが、あきらさんの命令と距離が離れているせいで行動を起こせない。
すぐに済むから。あんまりウズウズするんじゃない。
「トモ、どうだったの?」
八階だけだけど、生存者はいなかったよ。――適当に濁しておいた。
「そう……。母さん達に出来ることがあったら何でも言ってね?」
何かに飢えた少女二人に、ゲンコツと説教をお願いします。
今日の昼食はミートソーススパゲッティと根菜類の炒め煮だ。通常では無い組み合わせだが、生野菜が絶滅した今。豚汁用として冷凍保存された根菜パックが一先ずのビタミン供給源となっている。
実際の含有量は議論の余地があるだろうが、野菜を食べている。という、事実も必要なのだ。
ちょっと待って? 冷凍のブロッコリーとかポテトとかラタトゥイユとか。冷凍庫にあるはずだよね? 何故炒め煮?
何となく。だそうだ。
食欲は無かったが無理矢理完食し、麦茶を飲みつつ午後の作業を考える。
結局の所、やる事に変わりは無い。じゃあ、スピード勝負だ。いや、流れ作業で処理すべきか? いや、会話出来るのが俺とあきらさんだけだし、住人が敵意を持っていたら俺では対応が難しい。
かと言って絵璃鈴ちゃんや強面達を伴って訪問すれば、生者を襲う彼等を止める術を俺は持っていない。
結局、俺とあきらさんの二人で七階から探索を再開する。グーラー二人と強面達は離れた場所で待機だ。七○一号室、空室。七○二号室、空室。七○三号室……。
「救助の方ですか!?」
いた。生存者が。
「俺は同じマンションに住む者です! 必要であれば食料を用意出来ます!」
「お願いします! 食料を下さい!! もう限界なんです!!」
チェーンを掛けたドアを少々開いて、顔を見せずに要求してくる。
「落ち着いて下さい。生存者は何名いますか?」
「助けて!! もう限界なの!!」
「落ち着いて下さい。生存者は何名いますか?」
「助けて!! 食べ物をちょうだい!!」
錯乱していて話にならない。あきらさんが頷く。彼女がドアの隙間からチェーンを掴むと、プチンと可愛らしい音がしてチェーンが切れた。
扉を開くと女性が腰を抜かし、その場で震えていた。
「貴方の他に、誰か居ますか?」
努めて優しく訪ねたつもりだ。何故か女性がガクガクと震える。何故!?
「貴方の他に、誰か居ますか?」
四十代だろうか。女性はふるふると首を振る。
「そうですか。食料は一人分でいいですね。では後ほど届けに来ます」
「ま、待って!! む、娘が一人! 娘がいます! お願いですから、助けて下さい!!」
「正直に話した方が良いですよ。まず、落ち着いて下さい」
努めて冷静に話しかける。恐怖で支配する気は今のところ無いのだ。
「俺達は貴方に危害を加えるつもりはありません。今は持っていませんが、今日中に食料をお渡しします。その為に、ご家族全員をここに呼んできて下さい」
「え……?」
「この場で生存が確認出来ない人物の食料は提供出来ません。――娘さんをここに連れてきて下さい」
「え……と、その……む、娘は体調が悪くて寝込んでいるんです! だ、だから連れてくる事は出来ません!」
ここまで挙動不審だと逆に真実なのかとも思えてくる。――この女性を生かすも殺すも俺次第だと思うと、優越感からか冷静に判断できているようだ。判断の結果は真っ黒なのだが。
「じゃあ娘さんのお見舞いだけでも。家に上がっても良いですよね?」
「い、いいわけないでしょ!! なんで見ず知らずのアンタ達を家に上げなきゃいけないのよ!!」
「じゃあ、食料は奥さんの分だけって事で」
七○三号室、一人とメモに記す。
「待って! アンタ達何なのよ!! 娘を見殺しにする気!? この人でなし!!」
「マスター、もうよろしいのでは?」
あきらさんが急にマスター呼びに。ようやく俺に身も心も捧げる気になってくれたのか!
「違います。不用意に名前を呼ぶことを避けただけです。そしてこの家に他の人間の気配は感じられません」
相変わらずドライだなー。あきらちゃんの乙女な部分を刺激して、俺にメロメロにさせるにはどうすれば……。
「じゃあ、絵璃鈴ちゃん。カモーン」
言い終わらないうちに、俺の隣に絵璃鈴ちゃんが控えていた。……普段は近寄りもしないくせに。
数瞬もしないうちに目の前の女性は絵璃鈴ちゃんの胃袋へ収まる。吐き気を我慢しつつも、自分の命令の帰結を見守る。
彼女は女性の首を一瞬でへし折り即死させ、その後に女性を処理した。明らかに人間が食べられる量を越えているハズなのに、彼女は骨まで綺麗に食べ尽くした。彼女の腹は膨れていない。
いや、彼女が未だ空腹だという意味では無く、あの量を胃袋に納めたハズなのに彼女の腹が膨らんでいないのだ。
レスラー系改め、大食い系JKですか!? 川井絵璃鈴ちゃんへの疑惑が深まる今日この頃……。
処理が終わり、一応確認の為に踏み入る。予想通り具合の悪い娘さんは居らず、台所を漁るも食料の類いは見付からなかった。少女のものらしき子供部屋が在ったので、娘がいたのは確かだったのだろうが……。
精神が病んでいたのか、単純に娘をダシにして食料を不正に得ようとしていたのか。今となっては知る術は無いが。
……それよりも俺が人間を殺す命令を下して、平然としている事実に自分でも驚いた。腐臭とか、処理中の絵面がグロいとしか感じていない。
自分の精神状態が危険な領域に入っているのは何となく理解できるが、解決方法が分からない。
――多分ヤバいんだろうなぁ。
他の部屋の捜索を進める。七○四号室のインターホンをピンポーン。
「きゅ、救助の方ですか!?」
女性が応える。
「同じマンションに住む者です。必要であれば食料を提供できます」
バタバタと足音が響き、ドアがガチャリと開いた。チェーンは掛かっていない。
「有り難う御座います!! もう限界だったんです!!」
さっきも同じ台詞を聞いた気がするんだけど?
「同じマンションに住む者です。生存者は何名いますか?」
四十代と思しき女性に尋ねる。
「はい。私と娘が一人います」
「食料の配給は実際に生存が確認できた人にしか行いません。……申し訳ありませんが、娘さんをここに呼んで頂けますか?」
女性が顔を曇らせる。
「娘は今体調を崩していまして……。」
「そうですか。ではお見舞いだけでもいいですか?」
「その……、病気という訳では無いのですが……」
?? 病気じゃないのに体調が悪い? 素人判断は危険だと思うがこんなご時世だ。医者に行くことも出来ずに症状からネットで判断したんだろう。
だとしても、先程の例もあるので面談をお願いする。
「あの……。娘さんは月のアレですか?」
あきらさんの言葉に母親は頷く。
「娘は重い体質なようで……」
そこまで言われれば、いくら俺でも気付く。日本の性教育は遅れているらしいが、高校二年生たる俺は、独自の情報ルートを持っているのだ!
――マンガの情報がドコまで正確か、俺は知らない。
お母さんの承諾の元、少女の部屋に立ち入る。あきらさんに意見を伺ってみたが、まぁ問題無かろう、と。
同世代位の少女に挨拶して七○四号室を後にする。食料を届けるのは後だ。
使える人間が一体、どれほどいるだろうか……。
女を殺して彼女達を救う。罪の天秤がどちらに傾くのかは知らないが、俺を裁く神様は一体何人裁いたのか?




