十四 日が翻る。統率と矯正を統べろ。
八月二十七日。晴れ。午前。
昨夜はねねの希望通り、焼き肉が敢行された。本来であれば少量ずつ食べていくべきだが。まぁ、入手もさほど困難では無いし。保存食やレトルトに飽きたという事もあり、いわゆる景気付けに食いまくってやった。
あきらさんは「自分は食事の必要が無いので」と肉は遠慮しつつ、歓談しながら赤ワインをこくり。
やっぱり吸血鬼は赤ワインじゃないとダメね! ――という、ネタのつもりだろうか? そのうち輸血袋から血を飲みそうだ。……俺の血液じゃないとダメなんでしたっけ? そうですか。
久しぶりの焼き肉は明日を生きる活力を我々に与えてくれる。今の日本、いや全世界で、焼き肉に舌鼓をうち、タレか塩かで口論できる人間がどれ程残っている事か! ちなみに俺はおろしポン酢派だ。
物資調達に目処が付いたので、本日はマンション内の捜索を行うと宣言。
「あれから二十日ちょっとだからまだ生存者は多いと思うけど……。トモ、あなたまさか食料を届けてあげるつもり?」
言外に『自分達の食料を調達してきてくれている事すら申し訳なく思っているのに、何故他人のために苦労を増やすの?』といった意味が、母さんの表情と共にチラつく。
「協力的な人達だけだよ。この先人手が必要になった時に困りたくないから」
「でもさー、一度食料を渡しちゃったらこの先ずっと朝春が面倒みてあげなきゃいけないじゃん。あたし達は自給生活に向けて動いてるけど、その人達も連れて行くの?」
そんなつもりは更々無い。……従順な美人がいたら考慮するかも。
「そうですよ、兄さん。献身的な考えは妹として誇らしく思いますが、兄さんは特別な人間なんです。もっとご自愛下さい。……なんなら私がご奉仕しましょうか?」
結構です。あきらさんもねねのブラコンには既に順応したようで、苦笑を浮かべつつもスルー。
「正直に言うと、生存者の救出はついでなんだ。一番の目的は自殺者と餓死者、あと反協力的な人間の処分だ」
あきらさんには昨日の時点で既に相談している。本来であれば今日はホームセンターに向かう予定だったが、マンション捜索の結果次第で必要な物資が増える可能性があったので、予定を入れ替えたのだ。
「処分ってまさか……!?」
「あきらさんに実行してもらう。俺の命令で。俺の意思で。……俺が殺す」
「放っておけばいいじゃん! 朝春がそんな事する必要ないよ!!」
「そうよトモ! 人を殺すなんて、お願いだからやめて? あなたはまだ高校生なのよ!?」
「もう……、今までの常識は通用しないんだ。俺は抗体者でゾンビには襲われないけど、人間には襲われるんだよ。その時躊躇したら俺は死ぬ。死なないために、殺す事に慣れておかないといけないんだ……」
「朝春君……、そこまでの覚悟を持っていたんですね……。改めて尊敬します。やはりセクハラが貴方を強くするのですね」
ちょっとあきらさん!? 語弊ありまくりだよ!?
「兄さん……? 今ナニカ、不適当な単語が聞こえたのデスが?」
「トモ? どういう事かしら?」
「いやー、朝春も男の子だねー。もうこの際だし、あたしが手伝ってあげようか?」
あえかの目がギラリ! と光る。
「ねねさん? これは蘭堂家の問題です! あなたは黙っていて下さい!」
「えー、でも兄妹はマズいでしょー? あたしに出来るのはこの身体を使って朝春のストレスを発散させる事だけだしー」
「もう、今までの常識は通用しないんです! 生まれた時から兄さんと共に生きてきた、私こそが適任なんです!」
さっきの俺の台詞はそこまで軽くなかったハズだ。
「母さんはどっちでも良いけど……。じゃあ、二人一緒にって事でいいんじゃないかしら?」
モウヤメテ……。話が進まないヨ……。
「俺はねねにもあえかにも手を出すつもりはないから! 取りあえず落ち着いて……」
「駄目です! 兄さんは渡しません!」
「朝春は妹に欲情するような人間じゃないよー。やっぱり幼馴染みのあたしじゃないと」
お前もねぇよ。
「母さん、二人に説教よろしく。ねねはもう家族なんだから、ケンカはいいけど仲直りさせておいてね」
「はいはい。お昼はどうするの?」
「十二時頃に一度帰ってくるつもり。何かあったら電話かメールするから」
「そう。あきらちゃん、トモをよろしくね?」
「はい。巴さん。この身に代えても朝春君は守ります!」
あえかとねねは未だギャーギャーと騒いでいる。俺の常識が変わっても、この家が、彼女達こそが俺の帰る家だ。在りし日の日常と常識に包まれた彼女達を守るためなら、俺の常識なんていくらでも捨ててやる。
見知らぬ他人に温情なんて与えない。隷属か、ゾンビか。二者択一を俺が迫る。あきらさんの凶刃を以て。俺が振るう。
グダグダになってしまったが、玄関を出て一息つく。ねねの心境の変化に少々戸惑ったが、彼女に手を出す気は無いのであえかのケンカ相手としては相応だろう。
「自分の失言で騒がせてしまいました……。申し訳ありません」
そうだよ! あきらさんのせいだよ!? セクハラの事は黙っててねって言ったじゃん!?
「いや、いいんですよ。あきらさん。いずれバレる事でしたし、バレたところで妹が騒ぐだけだと思っていましたから」
ねねが加わったのは予想外だが。自分も役に立つんだぞ! という気概の現れだろう。俺への愛情なんてあるわけが無い。
言って廊下の向こう側、階段辺りの物陰から、顔を半分ほど覗かせてこちらをチラチラと伺う強面ゾンビが複数。
色んな意味で怖いよ、君たち。行動は主人の顔を伺う小動物のようだが、見た目が厳ついスジモンの皆様だから……。叫び声を抑えるのに苦労した。
あきらさんが手を振ると、スジモン達が廊下の脇にズラッと並ぶ。キビキビとした動作が美しさすらすら醸し出す。
――なんか、戦争モノの映画で観た記憶がある。整列! 点呼! サー! 集合完了しました! みたいな。
……あきらさんって国防大学所属だっけ。噂ではそうとう厳しいらしいし、彼女がスジモン達を鍛え上げたのか? ならば姐さんではなく女軍曹か! 美しくも厳しい女軍曹の教育という名の無理難題、屈強な男達は次第と彼女からの罵詈雑言に快楽を覚え始める。
サー! 命令して下さい!
黙れ! 貴様のような肥え太った豚に下す命令など無い! 自分がいいと言うまで腕立てしてろ!
サー! 了解であります!
サー! 自分は軍曹の靴を舐めたいであります!
巫山戯るな! 貴様は マンション周りの草刈りだ! 終わるまで晩飯は無いと思え!
「朝春君、大丈夫ですか?」
ハッ!! 自分は大丈夫であります!
「……すみません。ちょっと考えに耽っていました」
「そ、そうでしたか! 邪魔をしてしまい申し訳ありませんでした!」
俺のしょうもない妄想を邪魔したと、あきらさんが謝罪する。彼女の中での俺の株は上昇が止まらない。いつか来る暴落に備えて何か対策を講じる必要があるかも……。
廊下の脇に並んだ強面ゾンビの奥から、二人の女性が優雅に歩いてくる。
一昨日お世話になった絵璃鈴ちゃんと、お世話になり損ねたOLさんだ。
無表情で歩く彼女達に強面達が揃って頭を垂れる。綺麗に並んだ四十五度のお辞儀はどう見ても訓練されたそれだ。
へっくち。
強面の一人が可愛らしいクシャミをした。
すかさず絵璃鈴ちゃんがゲンコツをお見舞いする!
ちょっと待って! 俺の理解が置いてきぼりなんですけど!? 君達出演作品間違ってない!?
あきらさんが手を振ると強面への制裁が止まる。俺、帰っていいですか?
ていうか帰る! お外怖い!
俺とあきらさんの手前に辿り着いた彼女達は片膝を付く。まるで忠誠を誓う騎士のように。
絵面は極道一直線だが。JKとOLが片膝付く極道作品など、俺は知らない。
「朝春君、川井とは面識がありますね。もう一人は田楽寺祭です。二人ともグーラーです」
ご先祖様は余程おでんが好きだったのだろうか? それとも味噌田楽派か? 喋ることが出来ない彼女に名字の由来を尋ねる事が出来ないのは残念だが、生前の彼女は同様の問いを数え切れないほど受けていたであろう。
……君の答えが聞きたいよ。
事前に管理人室から得た、緊急時用の各部屋の合鍵を手に、あきらさん、絵璃鈴ちゃん、祭さんと俺の四人で階段を上る。絵璃鈴ちゃんは何故か俺に近づかない。祭さんもやんわりと遠ざかる。
これから重要なミッションをこなす上で、それぞれの信頼関係が築けていないのは問題では無いのか?
「あの……朝春君。川井はセクハラをしてくる貴方が嫌いだと……」
ほぉ?
「田楽寺は川井に影響されて……。自分も説得を続けているのですが、こればかりは如何ともし難く……」
「あぁ、気にしないでいいよ。多少の自我が戻っているんだろ? だったらしょうがないよ。無理に命令しちゃあ駄目だよ?」
「朝春君。……いえ! これは自分の落ち度です! 自分が教育し直します!」
「あきらさん、そうじゃないんだ。たとえゾンビになっても乙女の矜持を失わない。……そんな女性に意識を変えろなんて強要できないよ。今は見守るのがいいんじゃないかな?」
「……貴方がそう言うなら、自分は従います」
今ならあきらさんにセクハラしても許されるのでは?
想像して許されなかった時の、自分の立場を考えて自重する。俺も彼女に守ってもらうだけの存在だ。血を代償として。
俺に対する目付きがひたすら悪いグーラー二人を従え、最上階からマンション捜索を開始する。俺の言葉に従う二人は、決して俺には近づかない。むしろ俺から遠ざかる。――ちょっとハブられた気もするが、それでも皆で階段を上る。
今日俺は、人を殺める。そのために階段を登るのだ。グーラー二人の冷たい目は俺を非難する目だ。
自分の手を汚さずに人を殺める、俺に向けるその顔は表情が無い筈なのに、その目が俺を責めているようだ。私達に頼らず、お前がやれ。と。
私達に押し付けるな! お前が殺せ! ……と。
やがて最上階に到達した。
端の八○一号室のインターホンを押す。ピンポーン。
返事が無い。もう一度押す。
返事が無い。扉を叩く。ドンドン!
「救助に来ましたー! ご在宅ですかー?」
しばらく待つも反応無し。鍵を開ける。ガチャリ。
たちまち腐敗臭が立ち込める。むせ返るのを我慢しながら奥にと進んだ俺の眼前に。ソレが横たわっていた。
ソレの首には乾いた血がこびりつき、手にした包丁も同様に黒ずんでいた。
彼の身体も、周囲にも同様の黒ずみが広がっており、俺は台所に走り、吐いた。
覚悟していたつもりだが、匂いを伴った現実はやはりキツイ。涙と鼻水を垂らしながら喘いでいると、あきらさんが背をさすってくれた。
「朝春君、大丈夫ですか? いえ、今はとにかく落ち着いて下さい。ゆっくりと呼吸をして、この空気に慣れて下さい。意識して口で呼吸します。なるべく浅く、ハッハッハッと」
ハッハッハッ。辛いはずなのに頭の片隅で、なんか俺犬みたいだな。……なんて考えていた。
やがてあきらさんに抱きしめられた。こんな状況でなければ、セクハラの一発でもかましたものを!
涙と鼻水を満載した俺を、あきらさんがその豊かな胸で宥めてくれた。死臭立ち込める部屋で彼女が俺の頭を撫でる。
徐々に頭が冴えてきた。やっぱりあきらちゃんのおっぱいは俺の癒やしだ! 幼馴染みだからといって、簡単にヒロインになれると思うなよ! ねね!
あきらさんのおっぱいで再起動した俺が下す。命令を。
「絵璃鈴ちゃん、田楽寺さん。処分しろ」
遠くで蝉が鳴く。
近くで蠢くグーラーに命令を下した。
グールとは食屍鬼。人の死体を好んで食べる化け物だ。その女性形がグーラーと呼ばれる。
だからなんだ!? 名前なんてどうでもいい!
はやくこの世界に慣れなくては。
俺は家族を守るんだ。
俺が家族を守るんだ。
俺の家族を守るんだ。
世界と俺は変わってしまったけれど、家族だけは……。




