十三 日常の回復。息子の手綱を手放すな。
八月二十六日。午後。
前日までの空模様から一転。照りつける日射しが不快指数を高める。
「あきらちゃん、トモをよろしくね?」
ちょっとはにかみ、笑顔で応えるあきらちゃん。
「あきらさん、兄さんがセクハラかましたら、やんわり止めて下さい。私が激しく罰を与えますので」
ちょっとドン引きしつつ、引きつった笑顔で応えるあきらちゃん。
「二人とも! あたしは待ってる事しか出来ないけど……。今夜は焼き肉が食べたいの! あとケーキも! 期待して待ってるからね!」
お前はまず、遠慮を学べ。今時はケーキも冷凍保管されている。安いソレが。業務用食品を扱っているスーパーなら手に入れられるかも知れない。が、今日の目的地は普通のスーパーだ。俺は苦笑しつつ沈黙を貫く。
今日は軽装で、空のリュックが俺の相棒だ。
エントランスで強面達に出迎えられると流石に恐怖で硬直する。
原因は『強面』か『ゾンビ』か、はたまた両方か。左右に控えた彼等からは『姐さん、チーッス!』的なオーラを感じる夏の午後。アタマがクラッとするが熱中症にはまだ早い。
アンタも『構うな。配置に戻れ』みたいに手を振るんじゃない! 俺は付き人なの? あの人達、マジモンのスジモンの方々じゃないですよね? ねぇ!? 姐さん! 返事してっ!!
やがて僕らは駐車場へと辿り着く。
「姐さん、こちらが当家の車です」
ありふれたミニバンだ。姐さんにはもっとこう、黒塗りのツヤツヤとした高級車が似合うのに……。
「誰が姐さんですか。朝春君ももっとフランクにお願いしますよ」
あきれたり笑ったり。忙しい人だ。こんな騒ぎが無ければ、この人は立派な自衛官になって、国防にその情熱を捧げたはずだ。それはもう叶わぬ未来だとしても! あきらちゃんの笑顔は俺が守る!
「分かった。あきらちゃん、運転ヨロシクー」
「フランク過ぎます! 確かにそうしろとは言いましたが、年長者に対する節度は持って下さい!」
「冗談ですよ。あきらさん。スーパーまでの道順は大丈夫ですか?」
まったくもぉ! ……なんてぷりぷりと頬を膨らせる様は、やはり萌えでしかない。ヤベぇ、運転中にセクハラしない自信が無い! 落ち着けー。落ち着けー。
「道順は大丈夫です。問題はその道中ですが……」
やはり俺のセクハラが心配なんですね。申し訳ないがこればかりは信じて頂く他無いのです!
「放置車両が邪魔で、通れない箇所があるのでは無いかと。それが心配です」
あ、ソッチですか。適当に迂回すりゃいいでしょー。ゴーゴー。
「あと、朝春君のセクハラも心配です」
分かってんなら早く言えよ! ゴメンなさい。ガマンするから信じて下さい。
ぶるるんと雄叫びを上げて、俺達を乗せた車がいざ、発進! ノロノロとした徐行運転だが、怪我をしたら取り返しがつかないこの世界。安全第一でお願いします。
「あきらさん、その格好暑くないんですか?」
助手席で手持ち無沙汰だったので、会話の切っ掛けとして質問してみた。
「よく分からないのですが、自分はアンデッド、言わば動く死体です。五感は残っていますが暑さは感じないようで……。このような格好をしていても、自分としては快適なんですよ」
「? 例えば火を熱いと感じないとか?」
「いえ。普通に熱いです。理由はよく分かりませんが」
暑さ寒さを感じないのは理解できるが、味覚、聴覚、触覚、嗅覚、視覚の五感が機能しているのは理解に苦しむ。暑さが大丈夫なのに火は熱い。なんだソレ?
「ちなみに服の下には嚙み傷があったり?」
「ありません。あったのかも知れませんが、今はありません。……脱ぎませんからね?」
釘を刺された。上着くらい脱いでも問題無いと思うんだけど。何故そこまで警戒するのか。理解に苦しむ。
スーパーまでは通常、車で五分程。ノロノロと進んでいるのでもっと掛かるだろうが。
道中のゾンビは『姐さんだ! 道をあけろぉ!』といった態度で端に寄る。或いはモーゼの十戒か。放置車両もお行儀良く道の端に寄せてあるので、問題なく車は進む。これもゾンビ達の努力の結晶か!?
あ! 可愛いゾンビ発見!! あきらちゃん! 止めて止めて!!
「あえかちゃんに報告しますよ?」
しょぼーん。でも俺は諦めない。彼女に向かって『マンションに来てね』と念を送る。ぐぬぬー。来いー。来いー。
程なくしてスーパーに到着。冷凍肉は有るのだろうか? 生鮮食料を除いた場合、スーパーとコンビニの品揃えはあまり変わらない。違うのは在庫量と種類の豊富さだ。
母さんの買い物メモに従い、二手に分かれてカートを押す。途中ですれ違った美人さんにセクハラをかますのは忘れない。……俺は食料調達に来ているのだろうか? それともセクハラしに来ているのだろうか? 何とも哲学的な難問だな。
ビンタをかましてくるグーラーでは無い彼女達の感触は柔らかい。日常が崩れ去り、ゾンビに怯える事しかできない俺の恐怖を、その柔らかさと母性が包み込んでくれるようだ。もっと柔らかさに包まれたい……。
セクハラを堪能し、食料調達に精を出す。美人さん。うちのマンションにおいでよ。
こんな世界だもの。後悔なんてしたくない。誰だってそう思う。俺だってそう思う。
それでも実行出来ないのは、残った家族達の倫理を慮ってか。倫理とセクハラは共存出来ないのか?
いっその事、美少女ゾンビを侍らせてハーレムを……。
割と本気で考えつつ、リストの品をカートに放り込む。
山盛りなんですけど。車に積み込むのが大変そうだ。
あきらさんと合流。ジッと見つめる彼女の瞳が、俺の瞳とぶつかり合う。
何とか言えよ。
……アナタから言ってよ。
周囲の観客が固唾を呑む。ゴクリ。
――ゾンビって唾、飲んだっけ?
ゾンビが固唾を呑む。喉がゴクリと音を立てた。
「あきらさん、そろそろ帰りましょうか」
平静を装い、帰宅を提案。
「そうですね。色々報告もしなければいけませんし」
何を!? 誰に!?
「血の契約を結んだ男性が、ゾンビだからと女性にセクハラをかまし続けるのは、正直ちょっと、どうかと思います」
周囲が静まりかえる。
そして視線が俺に集まる。
ゾンビ達よ。さっきまであーとかうーとか言って徘徊してただろ!?
あらやだ、痴話喧嘩ですわよ、奥さん。
まぁー、若いわねぇー。
みたいな顔して見てんじゃねぇよ!
お前ら全員、自我が戻ってるんだろー!?
「俺は欲求不満を解消しているだけですけど?」
「その、理解は出来ているつもりなんですが、もう少し自重して頂けるとありがたいのですが……」
そうきたか。ならば男の性欲の何たるかを教育してやろう!
「あきらさんは男の性欲を理解しているんですか?」
「え? いえ、その……自分は女子校出身なので……よく分からないのですが……」
「そうですか。では、恥を忍んで宣言します。男の性欲は無限大だと!」
「む、無限大!?」
「はい。特に今のような荒れた世界では子孫を残そうとする本能が働き、より一層強くなるんです!」
彼女は目を見開きかすかに震える。驚愕の新事実だったようだ。
「あきらさんにとって俺の行動は受け入れられない行動だったでしょう。ですが俺にとっては、身近な女性に乱暴しない為の、理性を保つ為のやむを得ない行動なんです!
俺だって自我を失ったゾンビの女性に手を出したくない! だけどそれは、家族やねね、そしてあきらさんに手を出すという最悪の結果を回避するために……!」
「そ、そうだったんですね! 自分はそうとも知らずに朝春君を罵倒して、軽蔑して……。
自分で自分が恥ずかしいです! 自身の身を危険に晒して家族を守り、その性欲も家族の為に抑える朝春君に自分は敬意を払い、血の契約者として忠誠を誓います!」
よく分からないけれど、セクハラを誤魔化す話がカーミラに忠誠を誓われた。彼女の心に響いたのはドコかな?
セクハラの件は黙っていてね?
はい、もちろんです!
「朝春君のストレスを増やす事は認められません! 女性ゾンビ相手に、存分に性欲を発散して下さい!」
いや、あきらさん。あなたは分かっているようで、何も分かっていないよ!!
ゾンビに手を出すのは仕方なくであって、ホントは生身の女性を望んでいるんだよ! 俺は!
あきらさんなら死んでてもオッケーだけどネ! ……こういう言い方だと死体趣味のサイコ野郎だな。
当初の目的を果たし、物資を積んだ車が車道を走る。ぶーん。変わらず運転はあきらさんだが、俺はあきらさんにセクハラしないよう、務める事で精一杯だ。
食料や生活必需品、目標の冷凍肉をゲットして車に積み込む。食料が豊富に残っているこのスーパーは生存者達の糧にはならなかった。彼等の食料はまだ、有るのだろうか?
二十日余りが過ぎた今、先日の俺のように余所で食料を奪う事も辞さない連中が出てくる事を予想していたのに、何故か周囲は静かだ。
八月二十六日。快晴。
空にはカラス。地にゾンビ。
エンジン音を響かせて、我等は帰路をひた走る。




