第3話 呼び出し
あっという間に放課後となった。紫希は用事があると言って、俺の体に異常がないことを確認したのち、すぐに帰ってしまった。
何気なく廊下の方に目を向けると、彩葉が教室をのぞき込んでキョロキョロしている。居心地が悪そうにしていたが、その様子を見ていた俺と目が合うと、ほっとしたような顔になり、駆け寄ってきた。
やはり上級生の教室を訪れるのは緊張してしまうらしい。
「お兄ちゃん、帰ろ」
「おう。あ、そういえば。これで合ってるだろ?」
鞄から、ピンクの華やかなパッケージを取り出して、見せる。朝に約束していたらしきグミが購買で売られていたため、昼に買っておいたのだ。
「おー、仕事が早いねお兄ちゃん!これ気になってたんだぁ」
嬉しそうに無邪気な笑顔を浮かべる彩葉の反応に満足した俺は、鞄を手に取って立ち上がった。上機嫌な彩葉の後ろをついていく形で、歩き出す。
昇降口が見えてきた時、校内放送のチャイムが鳴り響いた。何の連絡だろうかと一応聞き耳を立てる。
『2年4組、東雲縁さん。2年4組、東雲縁さん。至急、科学準備室に来てください。繰り返します――』
放送は俺に科学室準備室へ来るように伝えるものだった。声は放送部員のものだろうか。別に放送部が、生徒の呼び出しアナウンスを行うという行為自体は、不思議なことではない。ただ、呼び出されるのが俺である理由がわからなかった。
そもそも、文系の俺は科学の授業を受けていないため、呼び出しの理由が発生することもなければ、担当教師との関わりさえない。関わりのない生徒に突然手伝いを頼む、ということは考えられないし、何か失礼なことをした記憶もなかった。
ともかく、理由が分かっていようがいまいが、行かないわけにはいかないだろう。無視したほうが面倒なことになるのは目に見えている。
「お兄ちゃん……なんかしたの?」
頭の上に疑問符を3個ほど浮かばせながら、思案していた俺だったが、彩葉に声をかけられて我に返った。目の前には、不安そうに俺を見つめる妹の顔がある。
「いや、正直なんで呼び出されたのかわからん。とりあえず行ってくるから、先帰っててくれ」
「……うん、わかった。あとで何だったか教えてね」
そう言うと彩葉は、昇降口に向かって歩き出した。
「気をつけて帰れよ」
「わかってますよー」
妹の背中を見えなくなるまで見送った後、科学室の方角へと体を向け、歩き出した。
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2階の端にある科学室準備室へにたどり着くのに、そう時間はかからなかった。しかし、すぐには扉を開ける気になれず、落ち着くためにトイレで用を足してから、改めて扉の前に立つ。
深呼吸をしてから、扉を2回ノックする。
──コンコツ。
緊張していたのか、2回目が空当たりになってしまった。恥ずかしくなり、ノックをしなおそうかとも思ったが、やめておいた。2秒ほどの間が空いて、中からどうぞ、という声が聞こえてきた。
女性の声だった。おかしい。科学の教師は若い男性のはずで、中性的な声をしているわけでもない。
頭の中で検索してみても、先ほどの声に該当する人物を、俺は知らない。では扉の奥にいるのは、いったい誰なのだろうか。教師の中に該当する人物がいないなら、生徒か。生徒の中には、俺が声を知らない者もいる。
いや、おかしい。校内放送で、一度たりとも話したことがない男を、急に呼び出す変人がいてたまるか。しかも校内放送でだ。変人なら紫希で間に合っている。
これができるのは、放送部しかいないが、放送部の女子部員の声なら聞き覚えがあってもおかしくはない。しかも声の主は、その感じから、大人の女性だと思われた。
結局、解答が出せずに、扉の前で開けるか開けまいか腹が決まらずにいた。先ほどの声の主は、入ってこないのを不思議に思ったのだろうか、どうぞ、と再度入室を促した。
二度も催促されて、入らないのも失礼だと思い、開けることを決心した。中にいる人物から扉越しに怒気や敵意は感じられなかったものの、一応警戒する。失礼しますと言いながら扉を開けた。
────ガラガラッ
「……?」
室内には、もちろん科学の教師ではなく、俺が会ったこともない西洋風の顔立ちの女性が一人、本を読みながら、椅子に腰かけているだけだった。
彼女は本を閉じ、立ち上がる。近くにあったガタガタの机に、本を置くと、まっすぐに俺を見据え、穏やかに微笑んだ。
「君が縁か。急に呼び出してすまなかった」
美しい女性だった。
背中の中程まで伸びる深紅の髪。新雪のように白くきめ細かい肌に整った顔。目は天色で、宝石のように透き通っている。窓から差し込む夕日で、キラキラと輝いて見えた。
しかし、服装は奇妙で、西洋風の黒鎧を身に着けており、その上から黒いローブを羽織っている。さらにとんがり帽子をかぶっているので、表現するならば、西洋騎士+魔女という言葉しか思いつかない。腰には、これまた黒い剣が下げられているのが見える。胸の上部がセパレートになっていて、豊かな膨らみが覗いている。さらに、下部がスカートのようになっている草摺と腿当ての間に覗く絶対領域が眩しかった。
RPGでいうなら、やや防御力は低いが、火力は出せる魔法剣士、といったところだろうか。実際の火力は知らないが。
実家が剣術道場の俺にも、西洋の剣は見慣れないものだったが、本物であると、直感が告げていた。
鎧も金属の重量感が見て取れ、コスプレの類でないということは明白だった。
そもそも、コスプレイヤーが真剣を携帯していたら、違法である。
何より、彼女の雰囲気が、並みのそれではない。穏やかな微笑みを浮かべているが、強者のオーラを無理やり隠しているような、いつ攻撃されても、負けることがないことを知っているような。説明などつかないが、それほど彼女の雰囲気は異常だった。
しかしその一方で、彼女からは敵意など微塵も感じられない。それどころか、急な呼び出しに対しての謝罪をしてきた。
見るからに、丸腰の俺が勝てる相手ではないし、仮に真剣を持っていたとしても、勝てるか怪しい。
彼女が何者かは知らないが、分かっていることは、会話のキャッチボールは始まっており、そしてそのボールは俺が持っているということだ。
「あなた……何者なんですか?明らかに学校関係者ではないと見受けられますが」
俺はできるだけ相手を刺激しないように、丁寧に言葉を選んで質問した。彼女は穏やかな表情を崩すことはなく、すぐさま返事をした。
「気持ちは分かるが、警戒しなくてもいい。私の名はジャンヌ・ダルクという。よろしく頼む。それと、敬語は気持ち悪い。自由に話してくれ」
「えっと……ジャンヌ・ダルク?百年戦争の英雄と同じ名前なんだな?」
今度は嬉しそうに一笑いしてから、もともと座っていた椅子に腰かけた。
「同じ名前どころか、同一人物だぞ」
言い終わってから、向かいの椅子に座れと、促すようなジャスチャーををしてきた。
敵意はなさそうなので、素直に椅子に腰かける。脚の長さが合っていなく、座り心地が悪かった。歪んで、教室で使われなくなった椅子なのだろう。
「あー、いや……すまないが俺は今、正直あんたがイカレてると思ってる。今生きてたらジャンヌ・ダルクは何歳だと思う?」
「フフ、それもそうだな。しかし……私は魔女だ。それ故に私はまだこうして生きている。それと、女性に向かって、年齢の話題を出すのはよくないぞ?」
最後にウインクを付け加えて、ジャンヌは答える。そのウインクが、絵になるくらい優雅であったため、つい見惚れてしまった。
「まあ……恰好と年齢……のことに関しては、魔女だというのなら合点がいかなくもないんだけど。いきなり魔女だなんて言われて、信じるやつなんていないぞ。自分が魔女であることを、どう証明する?」
「ふーむ、なんでもいいのだが、攻撃魔法は……危険だな。では、こういうのはどうだ?」
そう言うとジャンヌは、右手を開いた状態で横にスライドした。その瞬間、透明なディスプレイのようなものが、空中に現れる。
「……どうなってんだこれ」
「ふふ、これだけではないぞ。誰か一人の人物のことを思い浮かべてくれ」
「人物?ああ……わかった」
よく分からなかったが、先ほどまで一緒にいた妹の姿を思い浮かべてみた。すると、目の前のディスプレイが光を放ち始め、映し出されたのは、よく見知った部屋だった。
「彩葉の部屋……だな」
「この魔法は、思い浮かべた人物がどこで何をしているのかを見ることができる。制限はあるがね」
しばらく画面を眺めてみたが、手品のような仕掛けがあるとは思えない。
────と、画面に彩葉が写りこむ。
ちょうど帰宅したようで、鼻歌を歌いながら鞄をベッドの脇に置く。
待てよ、この次に彩葉がとる行動といえば……。
パサッ。
彩葉のスカートが床に落ちた。おお、白か!お兄ちゃんは清楚な感じでいいと思うぞ。
その次にシャツのボタンに手をかけ――。
「って、ジャンヌさん!?いけないシーン写っちゃってるから!」
当のジャンヌは、ぼーっと画面を見ていたが、思い出したかのように、顔を赤くして画面を両手でかき消した。
「す、すまなかった」
「俺じゃなくて妹に謝ってくれ」
「それもそうだな……」
すまん、彩葉。
「と、とと、ともかく、これで私が魔女であると信じてもらえただろうか」
慌てた様子のジャンヌ。最初の落ち着いた雰囲気とは正反対である。実はこっちのほうが素なのだろうか。
「あ。そ、そうだな。少なくとも手品には見えなかったよ…………。で、あー……それで、俺に何か用事があって呼び出したんだよな?」
俺は頑張って真面目な顔に戻ると、ジャンヌに尋ねる。彼女もまだ少し顔が赤かったが、元の穏やかな表情に戻り、ゆっくりと頷く。
「────縁。君には扉を開ける鍵になってもらいたい」




