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不幸なステラ



 ふと目が覚めたステラの眼前に広がっているのは鮮烈な赤だった。





* * *



 その日、王宮では明後日に開かれる第二王子の成人を祝う舞踏会のため使用人たちは皆、朝早くから準備に追われていた。下級侍女の一人、リュシェール子爵家の四女ステラも、舞踏会に招かれた貴族の控室として用意されている部屋の掃除に精を出していた。


「…これでよし。次は、はす向かいの部屋ね」

 掃除を終えたステラは声を出して出来を確認する。この部屋にいるのは彼女一人だけなので答える声は何もない。本来であれば、下級侍女とはいえ一介の貴族令嬢に平民の女性がつく下女の仕事がまわってくるわけがないのだが同僚の侍女たちに嫌われた結果、嫌がらせのように仕事が押し付けられるようになり、ステラは侍女より下の身分である下女からも避けられている。



 ステラの実家リュシェール子爵家は、歴史はあるが数代前の当主が知人に騙されて莫大な借金を負ったため新興の男爵家や商家よりも貧しい生活を送っている。彼女の父で当代のリュシェール子爵は堅実な領地運営を行う平凡な男だが、父から爵位を継ぐ前の若い頃に侍女に手を出し孕ませてしまった。それを知った夫人は怒り狂い、身籠った侍女を屋敷から放逐した。その侍女がステラの母だった。ステラの母は幼い頃に両親を病で失った苦労人で実父の知り合いの伝手を使って子爵家で侍女の職を得ていたのだ。天涯孤独の身重の女の行き先など貧民街にしかない。母は一人で子を産んで、子のために無理をして働いて、ステラが七歳になる前に死んでしまった。それから三年ステラは一人で生き、十歳の頃にリュシェール子爵家に引き取られることになった。


 貧民街の孤児から貴族家の令嬢へ。御伽噺であればめでたしめでたしで終わるハッピーエンドの物語になったのであろうが、現実はそんなに優しいものではなかった。ステラに与えられたのは荒れ果てた納屋のような離れの一室。義母にあたる子爵夫人や半分血のつながった兄姉たちはステラを蔑んだ眼で見下して使用人のように扱った。父は無関心でステラの扱いに何も言わなかった。特に子爵夫人とステラより半年先に生まれた三女にあたる姉の憎悪が深く、早朝から夜遅くまで扱き使われて、仕事にいちいち文句をつけて無能だ、売女の汚らわしい子だと暴言を吐かれて折檻を受けた。父やほかの兄姉はステラを無視し、使用人たちも見て見ぬふりをした。一人で離れの部屋に戻った時にどうしてこんなつらい目に遭うのだろうと泣く夜を過ごしたがこんな生活でもろくな食事もなく夜露をしのぐ屋根もない路上で眠る貧民街での生活よりはいくらかましだったので逃げようとは思わなかった。けれど胸の内には疑問があった。ステラに関心のない父はどうして自分を引き取ったのだろうか、と。



 ステラの疑問が解決したのは十四歳の頃だった。普段は使用人のお仕着せよりも痛んだ襤褸のような衣服を身に着けているのだが、その日は子爵家の侍女に湯浴みをされ香油を使って念入りに髪を手入れされ、化粧をされ、姉たちのおさがりのよそ行きのドレスを着せられて本邸の応接室へ通された。応接室には父と夫人がいてその向かいには父よりも年配の男がいた。父と夫人は普段見せないような笑顔でステラを手招きし、来客の男に紹介をした。その時にステラはようやく理解した。どうして父がステラを引き取ったのか。それは、借金まみれな子爵家のために娘を金持ちに差し出して、援助をしてもらうためだったのだ。


 十四歳のステラにできた婚約者は六十歳の愛人がたくさんいる商家の好色な男のうえ、ステラは正妻ではなく第三夫人として迎えられるそうだ。初対面であるというのに、ステラの手を強引に握り腰に腕を回されたときには悲鳴を上げそうになってこらえた。両親と男の話し合いで、ステラが十八歳になったときに正式な結婚を交わすことが決められた。婚約から半年後、花嫁修業の一環として王宮に礼儀見習いのため下級侍女として出仕することを命じられた。


 子爵家を出て王宮で下級侍女として働くことになった当初、ステラは慣れない場所、慣れない仕事に戸惑いながらも同年代の少女たちと働くことに新鮮さと楽しさを感じていた。同僚の上級侍女の中に姉の知り合いがいて、ステラは貧民街で育った売女の娘だの、身体を売って五十歳も年の離れた卑しい商人に取り入った金の亡者だの噂を立てられたり、一人だけ多くの仕事を押し付けられたり、周囲から避けられていた。こういう事態になることは最初から予想していたから、ステラは彼女たちの意地悪をうまく受け流すすべを覚えた。


 侍女の中には優しい人もいて上級侍女に表向きはしたがってステラを避けていても、裏ではフォローをしてくれる人がいた。特に、ステラと同時期に侍女になった田舎生まれの男爵令嬢のリジーは少し気が弱いけれど優しい子で仲良くなった。ステラが押し付けられた仕事をこっそり手伝ってくれたり、仕事が休みの日には一緒に街に繰り出して評判の甘味を食べたり、リジーが片想いをしている騎士の話を聞いたりした。ステラにとってはじめての少女らしい生活で幸せな時間だった。けれど、幸せな時間は長く続かなかった。


 ある日、上級侍女に日中の仕事を終えた後に急遽、王宮の離れの清掃を命じられてステラは一人で掃除をしていた。侍女の気まぐれで突然呼び出されて仕事を押し付けられることはよくあること。時間外の仕事は、リジーがよく手伝ってくれるが今日は別の仕事をしていたので、一人だった。早く済まさなければ使用人の食堂の営業が終わり夕食を食べ損ねてしまうので、ステラは集中して仕事をしていた。集中していたから、扉に背を向けて作業をしていたステラは若い男が一人部屋に入ってきていたことに気が付かなかった。突然後ろから腕を引かれたステラは身体のバランスを崩して男の胸に飛び込んだ。そして、強引に顔を上向きにされて唇を唇でふさがれた。突然のことに、抵抗することができずされるがままになっていると、聞き覚えのある悲鳴が聞こえた。少し開いていた入口にはリジーと数人の侍女がいた。リジーはその場に泣き崩れ他の侍女は彼女の背を慰めながら意地の悪い笑みを浮かべてステラを見ていた。その時、ステラに乱暴に迫った男がリジーの想い人である騎士だということに気づいた。


 その一件から一月も経たない内にリジーは王宮を辞して田舎へと帰った。ステラは何度もリジーに話をしようとしたが、リジーは何も話したくないとステラを拒絶した。ステラがリジーの想い人を奪ったという噂は一気に広がって、これまで上級侍女に虐められるステラに同情をしていた侍女たちもステラを嫌い無視するようになった。


 少し後になって、リジーの想い人であった騎士は金目当てで商家の令嬢を誘拐した罪で捕縛された。彼は賭博で多額の借金をしていたのだ。騎士がステラに強引に迫ったのはその現場を見せてリジーとステラを仲違いさせるために、上級侍女が金を出して命じていたことが解った。けれど、リジーはもう居ない。ステラは侍女からも下女からも徹底的に嫌われ避けられてしまったので、一つくらい可哀そうなことがあったとしても変わることは何もなかった。





「これで今日の仕事は終わりね」

 掃除用具を片付けたステラは、スカートの埃をはらい大きく伸びをした。高位の侍女に命じられた掃除が終わったのは深夜に近い時間だった。周囲の灯はおち、警備の騎士が時折見回りをする以外、あたりに人気はなかった。ステラは早足で王宮の端にある使用人の居住区へ向かう。幸いというべきか、同僚に嫌われているステラは狭いが一人部屋が与えられていた。食堂は当然閉まっているので、部屋に常備している保存食を口にして、ステラは固い寝台に身を委ねた。




 不幸なステラは十七歳。結婚まであと一年を切っていた。






 



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