side story11 彼は思い出を反芻しただけで手を出したいわけではない ールーカスの追懐ー
ルーカス視点のサイドストーリーです。
話し合いを終えた後の一場面です。
ルーカスがクロエに初めて会ったのは、母親が友人を招いてお茶をしている時だった。
ベンジャミンとあちこち庭を回っていたルーカスは、芝生に転がっている小さな女の子を発見した。
それがクロエだった。
小枝でつついて反応を見る。彼女は可愛らしい唸り声を上げ、ゆっくりと目を覚ました。
透明感のある透き通るようなアイスブルーの瞳。
「だ……」
「まぁ! あなたたち、妖精かと思ったら人間ね! 私ったら寝てしまったんだわ。この芝生があまりに心地いいから……それに花に囲まれてなんて素敵なの!」
自分に見向きもせず、うっとりと芝を撫でる女の子は初めて出会った。今まで、ルーカスは自分に引きつけられる女の子しか知らなかった。
「……君は誰」
「私? 私は……」
そこで彼女はハッとして服についた草を払い、空咳をした。
「その……いくらなんでも、レディに先に名前を聞くのは失礼ですわ。聞きたいのでしたら、お名乗りくださいませ」
ルーカスとベンジャミンは顔を見合わせて笑いながら頷いた。
「ルーカス・モファットと申します、レディ」
「俺はベンジャミン・クールです」
すると彼女はパッと明るい顔をして近づいてきた。
「ベンジャミン様! 素敵な名前! 観葉植物があるのよ、とってもエレガントでかっこいい葉が美しいの。よく似合ってるわね」
ベンジャミンが困ったように頬を赤くする。ルーカスは自分の名前がベンジャミンでないことを、こんなに悔しいと思ったことはなかった。腐りそうになった時、彼女の目がこちらを向いた。透明なアイスブルーに引き込まれそうになる。
「あなたは……ルーカス様でしたわね! 植物にはね、太陽の光が絶対に必要よ。とっても素敵な名前だわ。ベンジャミン様には必要な方ってことなんだわ。親友ね?」
たかが名前なのに。”必要な方”だなんて。親友だなんて。親が知り合いで遊んでいるだけなのに。
ルーカスがベンジャミンを見ると、さらに照れ臭そうにそっぽを向いた。
「ルーカス様、ベンジャミン様、ご挨拶くださいまして嬉しいです。あの……私の名前、何も変哲もなくてつまらないですけど、聞いてくださる?」
「もちろん」
「私、クロエ・ソーンダイクと申しますの。このウェントワースのお屋敷の坊ちゃんはどちら? とっても素敵なお庭で、私、感激いたしました。ここで働きたいと存じます! お母様に許可をいただいたら、雇っていただけるかしら?」
ルーカスは耳を疑った。そんな要望、聞いたことがない。
「……ソーンダイクのご令嬢だろう? それは……無理だよ」
「あら、そうなの……」
「でも……僕の相手をしてくれるなら、遊びに来ていいよ」
「本当?」
「僕、ベンジャミン以外に友達がいないんだ。人に合わせるのは嫌いだし、愛想笑いをするのも面倒だし。でも、クロエ嬢、君が……今みたいに褒めてくれるなら、僕、頑張れそうだな。だから、……遊びに来てよ」
ルーカスがにっこりと微笑むと、クロエは目を輝かせてルーカスの手を握った。
「もちろんよ! あなたほどの逸材が人嫌いなんてもったいないわ! 私、頑張るわね!」
ルーカスはこんなに満面の笑みの少女を見たことがなかった。あまりに可愛くて、息が止まった。
☆☆☆☆☆☆☆
そんなことを思い出したのは、クロエが眠っている姿を見つけたからだった。
当時と同じように、芝生の上でごろりと横になっている。ただし、ここはウェントワースの庭ではなく、彼女も当時の年齢ではない。
妙齢の女性が何をやっているんだ……!
ルーカスは半ば怒り、半ば呆れながら近づいた。無防備すぎる。何かされてもおかしくないのに。
でも誰に? と問われれば、自分しかいなかった。
この屋敷は今の所侵入者もなく安全で、異国の地ということで、自分たちの滞在はあまり知られておらず、訪問者も限りがある。
「……クロエ」
ルーカスは眠りこけているクロエの耳元に跪き、囁きかけた。クロエはむずがゆそうに顔をしかめ、またすぐに寝入ってしまう。
ルーカスはため息をついた。
こんなに可愛いのに。
クロエは自分をわかっていない。
ルーカスはクロエの金色の長い髪を手に取り、さらさらと流した。そして手に残った少ない量に軽く口付けした。
「僕の大切な人……これまでもこれからも」
どうせ嫌われていると思っていた。
でも自己憐憫に浸るのも終わりだ。
クロエとの婚約が成立するまで時間があったのに、陛下が何も言ってこなかったのは、貴族の令嬢の憧れのように、クロエも王妃になりたいのだと当然のように思っていたのかもしれない。
ルーカスはその勘違いがあって良かったと、心底ほっとしていた。
☆☆☆☆☆☆☆
両家で婚約の意思が固まり、ルーカスは生まれて初めて国王陛下に呼ばれた。
そして不機嫌に言われたのだった。
「本当に合意の上か? クロエ嬢は、君を愛しているのかね?」
まさか政略結婚も辞さない国王陛下から、愛なんて言葉を聞くとは思わなかった。確かに、条件も申し分なく釣り合うルーカスから、クロエを奪うことはさすがにできない。
だが、愛がなく、不本意ならば別だ。もっと条件が良く、もっと愛せる相手がいるのなら、そちらでもいいではないか。
「それは……どういう意味でしょうか?」
「言葉通りの意味だよ。クロエ嬢は、最初渋ったそうじゃないか? 君はさほど思われていないんだろう?」
「だとしても、婚約したのは私です。他の誰でもありません」
「クロエ嬢は素晴らしい女性だと思わないか?」
「もちろんです。ですから、結婚を申し込んだ次第であります」
「……うちの息子はね、どうもお相手探しが苦手らしい。だがさすがにそろそろ、と私も思っていてね。先を越されてしまったのは、なんとなく納得がいかないんだ」
「どういうことでしょう?」
「彼女は植物が好きで、それを目当てに、君の外交についていくのだと聞いたよ」
「はい、その通りでございます」
「その間に……クロエ嬢が君を本当に愛しているのか、証明してもらおう。それなら諦める。が、そうでない場合、彼女に王妃になる権利を与えたい。どうかね?」
それは実質、強制だ。国王陛下の言葉に逆らえるはずもない。うまくいかなければ、クロエは王太子殿下と婚約させられてしまう。
せっかくここまで来たのに。横から奪われるなんて納得がいかない。
ルーカスは王宮を後にしながら考えた。
こんな短期間でクロエに愛してもらうまでは望まない。だが、必要としてくれるなら。選んでもらえるなら。ルーカスがいいと言ってもらえるようになるなら。
そのためになら、なんでもしよう。
大好きと言って、愛してると伝えて、甘やかすのだ。
ルーカスがいないといられなくなるくらいに。
☆☆☆☆☆☆☆
ルーカスは幸せそうにスヤスヤと眠るクロエを見て、ホッとした。
そういえば、ベルビンからもらった社交術のマニュアル本は、クロエには全く効果がなかった。かといって、ビジネスに関することは全て知っていた。婚約者に愛を伝える方法と書いてあったのに、どうしてあれほどにうまくいかなかったんだろう?
ルーカスが首を傾げていると、クロエがふと呟いた。
「ルー……」
「な! なんですか?!」
ルーカスは慌てて飛びはねた。
「うふふ……ルー……」
笑いながら、クロエはするするとルーカスに抱きついてきた。
「ク……クロエ?! いや、その……何?!」
ルーカスが慌てている間に、クロエは、ルーカスの腰に抱きついたまま、また寝息を立てた。
「寝ぼけてた……のか……?」
ホッとすると、ルーカスはクロエを再び眺め、髪をさらさらと流した。
ずっとこのままでいられたら。ずっと……
この先のことを考えると、まだまだゆっくりなどできないかもしれない。でも、クロエと離れないために。クロエと、自分のために。この婚約を後押ししてくれた両親のために。友人のために。
なんとか自由を勝ち取ろう。
そのために、今は、この時間を大切にしようとルーカスは思った。




