2-1.庭での再会
久しぶりに、クロエはウェントワース侯爵夫人のプライベートなお茶会に参加しにきていた。
早めに着いてしまったクロエは、庭を散策することにした。
参加者はたった三人。伯爵令嬢のクロエと、男爵令嬢のマリアンヌに、そしてもちろん、ウェントワース夫人だけ。だから、侯爵家の庭園にも三人しかいないはず。
そのはずだ。
なのになぜ、彼がいるのだろう? しかも、難しい顔をして。
「……ルーカス様?」
クロエが思わず名を呼ぶと、ルーカスはハッとしたように振り向いて、バツが悪そうに顔を背けた。その瞬間、クロエは呼ばなければよかったと後悔した。せめて、心でつぶやくだけにしておけば。
こんな申し訳ない気持ちにならなかったのに。
「クロエ……あの……僕がここにいるのを聞いたの?」
「いいえ? この間、植え直ししてもらった薔薇があるでしょう。ちゃんと根付いているか確認しに来ましたの。一体、どうして?」
「だって……あれからなんども連絡したのに、何も返事がないから……怒っているのかと」
「怒ってないわ。連絡? あなたから? 私へ?」
クロエが意外そうに言うと、ルーカスは驚いたように目を見開いた。榛色の瞳が、太陽に当たってキラキラと輝いた。
ルーカス・モファットは、このウェントワース侯爵家の跡取り息子だ。見目麗しく、クロエが認識する限り、誰に聞いても完璧だと称する人気者で、クロエとはつまり、幼馴染となる。
「もちろんだよ。届いてないの?」
「何……」
言いかけて、クロエは躊躇した。どんな内容かもわからないのに、軽々しく聞けることではなかった。おそらくそれは、先日の出来事に関係しているから。
すると、ルーカスはサッと顔色を青くした。
「……君のご両親が止めてるのかな?」
「まさか。ルーカス様からご連絡がきたら、一も二もなく私に届けるでしょう。先日から持ちきりの噂に、父も母も大喜びなんですから。後先考えずにあなたが変なことを提案するから」
クロエは苦々しく言った。
クロエが言っているのは、先日、このウェントワース侯爵邸で起きた、『侯爵夫人の薔薇事件』の事だ。
決して切り花にしないはずの、夫人のお気に入りの薔薇の花が、すべて切られてしまった事件である。
悪役令嬢として名高いクロエは、罪を着せられそうになったのだ。だが結局、実行犯が庭師のポール、教唆したのはマリアンヌの取り巻きの一人の令息で、婚約者がいるのにも関わらず恋人がいたりマリアンヌに懸想していたりという、とても残念な結果だった。
その上、ルーカスの気まぐれなプロポーズというオプション付きだ。
正直、思い出したくもない。
しかしルーカスは、クロエの言葉に明らかにホッとした表情で胸をなでおろした。
「良かった。先日会った時も、伯爵は笑顔でお話しくださったから、まさか裏表があるのかと……それにしては何も言われなかったから、僕は少し失望してしまっていたんだ。返事もくれないし」
「お父様は嘘をつくのが大の苦手なんですよ、知ってるでしょう」
「うん。でも万が一ってこともあるし、大事な娘の為だもの、嘘だって吐けるだろうと思って。だから、つまり、希望は持てるということだよね。手紙を読んでいないんだから」
多少しつこく言われれば、内容を聞かざるを得なくなる。この場を辞するわけにもいかないし、この話題からは逃げられそうにない。クロエは観念して尋ね直した。
「何の返事?」
「決まってるだろう? プロポーズだよ!」
ルーカスは明るい様子でにっこりと微笑んだ。久しぶりに懐かしい笑顔を見た気がして、クロエは思わずつられて笑顔になった。
「冗談でしょう?」
「冗談なんかじゃないよ。何度も手紙で伝えたじゃないか。いつ正式にプロポーズをしに行けばいいのかって。家から送っていいのか、その前にもう一度、気持ちを確かめ合ったりするのか、……あぁ、届いていないのか」
そして、ルーカスはがっかりしたように肩を落とした。
「てっきり、クロエは怒って、僕を焦らしているのかと」
焦らす? 何を?
クロエが意味がわからずぽかんとしていると、ルーカスは、かつて仲が良かった幼い頃と同じように、クロエの腕をとった。
「ちょっと歩こうか。薔薇を見に行くんだろう? 案内するよ」
一人で歩けますわ、と手を振り払うほど、クロエはルーカスを嫌いなわけではない。そもそも、身分もルーカスの方が高いし、彼の母親のお茶会に呼ばれているのだ。断る術はない。
クロエはおとなしくルーカスの案内に従うしかなかった。