side story10 彼女はときめいただけでまだ恋に落ちたわけではない ーマリアンヌの回想ー
マリアンヌ視点のサイドストーリーです。
今回は、ベンジャミンとの出会い編です。
マリアンヌは異国の地で、噂だけ知っている人物に会うとは思っていなかった。
ベンジャミン・クール。伯爵家の長男で、クロエ・ソーンダイクとルーカス・モファットの幼馴染だ。
出会ってみると、話に聞いていた以上に、彼は魅力的だった。細身の長身に、すっきりした目鼻立ち、形の良い眉に眼鏡がよく似合う。少し長い髪を後ろで束ねて、笑顔は穏やかで、周囲に対して非常に親しげだった。
その上、留学先では評判も良く、研究も成果を収めていて、誰からも信頼されていた。ルーカスほどには強烈な存在感はないが、彼がいるならはこの舞踏会は安全なのだろう、と思わせる安定感がある。
親友とされるルーカスとは随分違う。
それが、マリアンヌが最初に見たベンジャミンの印象だった。
ルーカスがクロエの話をする時、時折出てくるベンジャミンの名前に、マリアンヌは少なからず興味を持っていた。その上、警戒もしていた。ルーカスは人嫌いのせいか、信頼すると全面的に疑わなくなる。クロエもそうだし、ベンジャミンもだ。だが、マリアンヌは疑っていた。あの素晴らしいクロエとルーカスの距離をあけるため、ベンジャミンは何かルーカスに吹き込んでいるのではないか? と。
国内の舞踏会では、異国にいるというベンジャミンに会うことはできず、真偽を確かめることもできなかった。だが、今回はチャンスだ。彼の人となりを知り、ことによっては、クロエとルーカスの障害にならないように、彼を見張っていなくてはならない。あの二人は、マリアンヌにとって、憧れの、理想のカップルなのだから。
「同郷の方がいらっしゃるなんて、お珍しいことですわね、マリアンヌ様」
隣の奥方に声をかけられ、我に返った。今日、マリアンヌは、隣国のコバルト夫人の主賓として招かれている。あまりピンとこないが、マリアンヌがいることで、舞踏会の価値が上がるそうだ。
「彼はベンジャミン・クール伯爵令息です。お話ししたことがありまして?」
「まぁ、コバルト夫人、残念ながらないのです」
「それではご紹介いたしますわ。彼は優秀な学生ですのよ」
「そうなんですか……」
ドキドキしながら、マリアンヌはコバルト夫人に導かれて、ベンジャミンと対面した。
「ティラドス卿! 同郷の方をご紹介いたしますわ。マリアンヌ・クラーネ男爵令嬢ですの」
振り返ったベンジャミンは、見惚れるほど優雅にマリアンヌに視線を移した。
「……これはこれは。コバルト夫人。留学してこれほど名誉に思ったことはありませんよ」
「あら、どうして?」
「この上ない美しい夫人に、我が国でも見かけることもできないような人気のご令嬢を、紹介していただけるのですから」
「まぁ、お上手ですこと」
コロコロとコバルト夫人が笑う。そのまま、ベンジャミンはマリアンヌの手を取った。
「お会いできて光栄です、クラーネ令嬢。私はティラドス子爵ベンジャミン・クールと申します。同郷のよしみ、どうぞ、私のことはベンジャミンとお呼びください」
完璧だ。媚もへつらいもなく、適度な距離感にエレガントな仕草。
これは……ルーカス様の敵! クロエ様を翻弄してしまうかも……!
「あ……あの、マリアンヌ・クラーネと申します。私のことも……マリアンヌで結構ですわ」
「それは光栄です、マリアンヌ様。それでは」
そのまま離れていこうとするのを、マリアンヌは慌てて引き止めた。
「ベンジャミン様、こちらでは、留学でいらしているということですが……クロエ様とはお親しいんですか? 国に帰ったら、必ずお会いするくらい?」
すると、ベンジャミンは目を丸くした。間違ったことを言ったかしら? そして、事もあろうに笑い出した。
「よりによってクロエの名前が出るとは……! あなたは面白い方ですね。コバルト夫人、彼女をお借りしても?」
「えぇ、もちろん。ダンスの時間にはフロアに戻してくださいね」
「言わずもがなですよ」
言うと、ベンジャミンはあれよという間にマリアンヌをバルコニーに連れ出した。
「あ、あの」
一体何をするつもり? 人気のいないところに来て、他の人と同じように私を口説くの? それともまさか、私を脅すつもりじゃ……
マリアンヌはとめどなく考えを巡らせた。
クロエ様のことを”クロエ”なんて呼び捨てにするし、やっぱりルーカス様の恋路を邪魔する方なんだわ。こんなに素敵な方なんだもの、仕方ない……いいえ、ダメよ。だってやっぱりクロエ様にはルーカス様しかいらっしゃらないわ。
「どういうおつもりですか?」
だが、どれでもなかった。ベンジャミンは腕を組み、困惑したようにマリアンヌの前に立っていた。
「へ?」
「あなたはクロエ……えー、ソーンダイク令嬢とは、親しくない、というか、敵対関係なのでは?」
「敵対? クロエ様と? まさか! 私はクロエ様を尊敬しております。少なくとも、お友達だと思っておりますわ。なぜそんなことをおっしゃるのです?」
異国の地にいるのに、令嬢たちのつまらない噂が彼にも届いているっていうの? マリアンヌの懸念どおり、ベンジャミンは考え込むように顎に手を当てた。
「……ルーカスを巡って、対立しておられるのでは? 婚約者候補のソーンダイク令嬢に、唯一対抗できる婚約者候補として……」
「まさか! ルーカス様はクロエ様のものですわ。いくら幼馴染だからといって、クロエ様はあなたに渡しませんわよ、ベンジャミン様!」
マリアンヌの強い口調に、ベンジャミンは頬を緩めた。
「……ルーカスは強い味方を持ったな」
「まぁ、バカにして」
「違いますよ。ありがたいことだと思っているだけです。知っているかと思いますが、俺はクロエとルーカスとは幼馴染みです。諸事情で、ルーカスとはあまり交流がありませんので、ルーカスがクロエとうまくいっているか心配していたんです。あなたに味方していただいているということは、ルーカスはそれなりにクロエと親しくしてるということですか?」
明らかに肩の力が抜けた様子で、ベンジャミンはざっくばらんに話し始めた。マリアンヌは少しホッとして同じように力むのをやめた。どうやら、ベンジャミンは二人の敵ではないらしい。
「それは……その……」
「あぁ……クロエが避けまくっている状況は変わらないのか……」
「で、でも、お二人ともお姿を認め合ってらっしゃるし、お見かけすれば嬉しそうですし、……ですから、その、お慕いしているのに、素直になれないだけなのです」
「よく観察していらっしゃいますね」
言ったベンジャミンの優しい笑顔に見惚れ、マリアンヌは状況を忘れそうになってしまった。
「え? あ、いいえ、そんなことは……」
「あなたくらいだと、みんなルーカスに惚れるものだと思っていましたが、例外もいるんですね」
「あなたこそ……」
言いかけて、傲慢な考えにきまりが悪くなった。誰も彼もが隙あればマリアンヌに愛を囁きたがる。必要以上に親しくなろうとしてくる。今まで、いつだってそうだったから、うんざりしていたのに。そうじゃないことに、不満を持つなんて。
すると、ベンジャミンは明るく笑った。
「”天使のような令嬢”に見初めてもらえるほど、自分ができた人間だとは思っておりませんよ。分相応というものがありますから」
「そん……」
そんなことはない、と言いかけて、フロアから聞こえてくる音楽が変わったことに気がついた。
「もうダンスの時間ですね。あなたをフロアに戻さなくては。夫人に怒られてしまう」
笑いながら、ベンジャミンはマリアンヌに手を伸ばした。マリアンヌは素直にその手に引かれ、歩き出した。
このまま別れるの? 何か……そう、何か、ルーカスとクロエのために、何かできないの? ベンジャミンが敵ではないとわかったくらいでは、到底二人の手助けなんかできない。
「ご協力していただけないでしょうか?」
マリアンヌが言うと、ベンジャミンは不思議そうに顔をこちらに向けた。
「何にです?」
「クロエ様とルーカス様のこと……どうしたらお二人が仲良くなれるのか……私、お二人に協力したいんです」
「うーん……二人は喜ぶと思いますか?」
「思います! きっと! だって、ルーカス様がクロエ様のお話をなさる時のお顔、見たことございます? 本当に幸せそうなんですのよ! いつだって一緒にいたいって顔に出ています! それに、クロエ様が笑顔のルーカス様を見た時の表情、知っておりますか? 大好きってわかりますわ。私、クロエ様のキリッとした凛とした姿も好きですけど、やっぱり可愛らしいところも大好きなんです!」
「……具体的に、どうされたいんですか?」
眩しそうに目を瞬かせて、ベンジャミンは首を傾げた。マリアンヌは痛いところを突かれ、言葉を詰まらせた。
「それは……まだ……で、でも、考えておりますわ。お二人がゆっくりお話できるようにするとか? 素直になれるように、気持ちを引き出してみるとか……」
「あくまで二人のためですか? ご自分は関係なく?」
「私? もちろん、私のためでもあります。お二人が幸せになさるのを見ること、目下、それが私の楽しみなのですから」
「……わかりましたよ。ご協力いたします。俺は何をすれば?」
ため息をついたように思うのは、気のせいだろうか?
「……ご相談に乗っていただければと思いますの。お二人の様子を……おしらせしますので、対策を考えてくださいます? 幼馴染でお二人をよく知っているベンジャミン様なら、きっといいお考えがあるでしょうから」
「なくはないですけどね……それなりに難しいことです。この話は、内密に願いますよ。……と、あなたをお迎えにいらしたようだ。では、マリアンヌ様。またお会いできる日を楽しみに」
そう言って、ベンジャミンはマリアンヌをやってきた男性に渡すと、さっさとどこかへ行ってしまった。
まぁ。踊ってもくださらないの?
家族でもない限り、フロアに連れてきたなら、そのまま踊るのが通例だ。
マリアンヌは驚いたが、クロエとルーカスの話は、内密なのだ。二人が知り合いだとバレては、感づかれてしまうかもしれない。噂話なんて、どこから漏れるかわからないのだから。
マリアンヌは手を取ってフロアに引き出してくれる男性に微笑みかけ、気持ちを切り替えた。




