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彼女は悪役令嬢であって探偵ではない  作者: 霞合 りの
case09.幼き日の婚約者と延長線上の幼馴染
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9-3.素直な笑顔の貴方

「それより、どうやったら戻るの? 解毒剤みたいなものは、あるの?」


クロエが尋ねると、ジェイコブは困ったように答えた。


「それが、こういった薬は、あくまで、心のケアのためにあります。一気に元に戻らせる薬は作ってないそうなのです。思い出すきっかけになるための刺激を与え、少しずつ思い出し、慣れていくのが本来の使い方ですから」

「じゃ、どうすればいいの? この先の仕事は? 社交は? 周遊は……」

「治らないようであれば、国に戻ることになりましょう」

「嘘でしょ? まだ私、山に行ってないわ。ルーカスが連れて行ってくれるって言ったじゃないの」


それに、侯爵嫡男がこの様子だと知られたら、侯爵は笑いものだ。帰るどころか、治るまで軟禁だ。いや、治ってからも、笑いのネタにならないようにと軟禁されるかもしれない。そして彼をその状態に追いやったクロエも一緒に軟禁されて、長い時を過ごすことになってしまうだろう。


軟禁……それに自分は耐えられるだろうか。


クロエは考えた。例え庭に大きな温室ができたとしても、自由に見られたとしても、街の新鮮な花を見に行くこともできないし、領地の山を馬で駆け回ることもできない。珍しい花を森に採集に行くこともできない。もちろん猪狩りだってできないし、獲ったその日に猪をさばいて食べることも叶わないのだ。


耐えられない。でもそれが、ルーカスをこんな状態にした罰……


「ルーカスを元に戻さなきゃ」


クロエはベッドから立ち上がったが、足がもつれてよろけた。


「お嬢様、病み上がりです。まだお体が」

「でもじっとしていられないわ」

「お待ちください。ひとまずですが、お客様をお呼びいたしました。接することで記憶が戻るかもしれないと、期待しております」

「誰?」

「坊っちゃまと親しくしてらした、アッカーソンご夫妻、そしてベンジャミン・クール伯爵令息様でございます。現在、ベンジャミン様に仕切っていただいております。また、お嬢様が心細かろうと、奥様が手配し、同国出身のマリアンヌ・クラーネ男爵令嬢様にも来ていただいています。坊っちゃまは、マリアンヌ様やアッカーソンご夫妻のことは覚えてらっしゃらないのですが、ベンジャミン様のことは覚えておいでですから、そこから糸口が見つかるやもしれません。今は、殿方お二方で話し合っていただいている最中でございます。」


なるほど。ベルビンとエマ、ベンジャミンにマリアンヌが来ている。それなら、すぐにクロエが弱った体で無理をしなくても大丈夫かもしれない。……気にはなるけど。


「そう……私にできることってある?」

「ベンジャミン様は、お嬢様には、クラーネ男爵令嬢やアッカーソン夫人とゆっくり過ごしていただきたいとのことでございますが……」

「あなたはそう思ってないのよね?」

「……坊っちゃまのお相手を」


言いにくそうなジェイコブに、クロエは深く息をついた。当然だろう。あの様子だと、随分混乱しているに違いない。聞き分けのいい子だったが、現状、知っているのがジェイコブとクロエとベンジャミンだけとなれば、警戒心むき出しで抵抗するだろう。


本心を言ってくれる執事で助かったわ。今できることはあまりないが、ルーカスの気持ちをなだめることはできる。


「わかったわ。ルーカスを呼んで」

「かしこまりました。……ありがとうございます」


肩を落として部屋を出て行こうとするジェイコブに、クロエは声をかけた。


「ジェイコブ……」

「はい」

「気にしなくていいのよ。ルーカスがそんな間違いをするなんて、わかるわけがないんだから。あなたはあなたの仕事をして頂戴。頼りにしているわ」

「お嬢様……」


ジェイコブは目を潤ませてクロエを見た。


「坊っちゃまはお嬢様のことを、ご自身より大切に思っておられます」

「大げさね」

「本当でございます。お嬢様と婚約なさってから、坊っちゃまは幸せそうにしております。お嬢様にとっては思うところもあったのでしょうが、どうか、このようなことがあったからといって、見限ることのありませんように……お願いでございます」

「わ……わかったわ。わかったから、もう行って」


クロエが追い立てるように背を押し、ジェイコブは部屋を出て行った。


重い。執事に重い一言をもらってしまった……でも、どうしろっていうの。ルーカスが元の記憶に戻ったら、間違いだったというのではないの? 薬のおかげで頭が冴えたと。


手早く着替え、ベッドに戻ってしばらく待っていると、ルーカスが満面の笑みで部屋に入ってきた。


「クロエ!」

「ルーカス」

「起き上がれるようになってよかった。何か食べる? あ、りんごがあるね。僕、クロエに食べさせたいな。していいんだよね、婚約してるんだもの」

「えーっと……うーん……」

「いつもはどうしてるの?」

「そうね……その椅子に座ったらどうかしら」


クロエは諦めて、幼い口調のルーカスに合わせた。


今までしてもらったこともないし、提案してもらったこともないけど。


見ている間に、ルーカスは嬉々としながら、クロエの枕元に座り、りんごをクロエの口元に運んだ。クロエが食べやすいようにおとなしく口の前でりんごを待機させ、目をうっとりとさせている。クロエがりんごの端を噛み切ると、身悶えせんばかりに喜んだ。こんなの断れない。


「美味しい?」


ルーカスの言葉にクロエが頷くと、ホッとしたように息をついた。


「僕、本当は二十五歳なんだってね。言われてもわからなかったけど、鏡を見たら、なんとなくわかったよ。薬を間違えて飲んじゃったんだって」

「そうみたいね」

「信じてなかったけど、クロエがびっくりするほど綺麗な大人の女性になってたから、それなら、僕も大人でいいって思ったんだよ」


もじもじしながら、ルーカスは続けた。


「僕、ずっとクロエしかいなかったから……きっとクロエと結婚するのだと思ってた。記憶がないのが何故かはわからないけど、今、クロエが僕と婚約してるってことは、僕たち、ずっとそのまま、仲良くしてきたってことだよね? あぁ、良かったなぁ……」


言いながら、顔をベッドに埋める。クロエは思わずルーカスの頭を撫でた。


心苦しい……


幼い、狭い世界の感情は一番厄介だ。純粋でとても優しくて繊細なのだ。




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